『敦盛』を勤めて 〜若やいで美青年を演じる

『敦盛』を勤めて
若やいで美青年を演じる

8月の喜多流自主公演(令和5年8月20日 於:観世能楽堂)で『敦盛』を勤めました。
『敦盛』の初演は平成7年10月の「粟谷能の会」でした。稽古能では勤めていますが、公開ではこのときが初めてでした。その後、半能で勤めたこともありましたが、正式には今回が2回目、実に28年ぶりとなりました。『敦盛』はシテが16歳の青年ですので、20代~30代の若いうちに一度は勤めておくべき演目ですが、私は機会がなく少し遅めの40歳での披きとなりました。

(撮影 三上文規)

再演に際して、私は面や装束は出来る限り前回と重ならないよう、違うものを選ぶようにしていますが、今回は40歳初演の時と同じ面と装束を選び、若い頃の雰囲気そのままを再現出来れば面白いのではないかと思い、敢えて同じものにしました。鏡の間で自分の姿を見ていると40歳の時に戻るような不思議な気分を味わい、とても面白く感じました。

(撮影 新宮夕海)

『敦盛』の物語は、蓮生法師(ワキ)の名乗りから始まります。源氏の武将・熊谷次郎直実は、一の谷合戦で16歳の公達・平敦盛を手にかけたことで、世の無常を感じ出家して名を蓮生法師としました。蓮生が敦盛の菩提を弔うため、再び一の谷を訪れ弔っていると、遠くから笛の音が聞こえ、数人の草刈男(前シテ・シテツレ)が笛を吹きながらやって来ます。身にそぐわない風流な男達と笛の故事などを話すうちに、男達は立ち去りますが、一人(シテ)が居残り、実は自分は敦盛の霊であるとほのめかし、弔ってほしいと頼み消え失せます。

(撮影 前島𠮷裕)

『敦盛』のワキは行きずりの旅僧ではなく、敦盛の因縁の敵、熊谷次郎直実すなわち蓮生法師に設定しています。かつて戦で敵同士であった二人が、敦盛は霊として、直実は出家の身・蓮生として、再会することで、劇的に面白くしています。
舞台進行はワキが名乗りのあとに一ノ谷にて弔いの念仏を唱えていると遠くの方から笛の音色が聞こえて来ます。すると「ああ面白い、笛の音が聞こえてきた」と、謡いますが、本来は笛の音は鳴りません。今回はご覧になる方々に実際に笛の音色が聞こえた方が舞台の進行と状況が分かり易くなると思い、笛の杉信太朗氏とワキの宝生欣哉氏にご協力いただき、ワキの念仏の後に短いアシラヒ笛を吹いていただきました。これにより、シテとシテツレの「草刈笛の声添えて」の次第の謡で、笛を吹きながら現れたなあ、とご覧になる方々が想像して下されば・・・と思っての工夫、演出でした。

(撮影 新宮夕海)

この演出は喜多流にはありませんが、金剛流に「青葉之会釈」という小書で存在しますので、まったく新しい演出ではありません。能は観客の想像に委ねるところが多い少し不親切な演劇です。演者はそこにあぐらをかくのではなく、少しでも分かり易くご覧いただけるような工夫は必須です。逸脱しない範囲内で、できる限り分かり易くご覧いただけるように考え対応することは、今の時代とても大事だと思っています。ブログやフェイスブックに能を紹介することで、自身不親切な部分に気づくことがあります。今回も投稿がきっかけで笛の演出が実現出来て、とても有意義だったと思っています。私にとって演能レポートは、頭の整理と過去の演出の見直し、それだけでなく、新たな発想が生まれることにもなり、とても楽しいライフワークです。

(撮影 前島𠮷裕)

後場は、蓮生が敦盛の霊を弔い念仏を唱えると、武将姿の敦盛の亡霊(後シテ)が現れ、平家一門の栄枯盛衰を語り、合戦前の宴を懐かしみ、そして舞を見せ、最後は討死の有様を見せます。敦盛は敵の蓮生に巡り会いましたが、今は敵ではない蓮生法師に回向を頼み消え失せます。

(撮影 新宮夕海)

後場は舞いどころが多く、修羅能の武将は「カケリ」を舞うのが定番ですが、『敦盛』は正規の舞「男舞」を舞う特異な曲です。カケリは舞とも言えないほど短く激しい動きですが、男舞は少しスピーデイーに舞をみせる趣向です。喜多流の敦盛は美青年、16歳の未熟な男として、大人の男に成っていないため、正式な舞の構成の五段の寸法ではなく、短く三段で済ませます。明日、死ぬかもしれないという戦の前に、管弦の宴を催す平家方の優美さ。戦さ場にも女性たちを同行させる平家の人達に対し、荒々しく戦場を駆ける坂東武者では、その勝敗は見えていたのではないでしょうか。

(撮影 新宮夕海)

敦盛は宴で笛を吹き、その笛を陣中に置き忘れ取りに戻ったのが命取りとなります。敦盛が一人逃げ遅れ、熊谷次郎直実と相まみえるようになったのは、笛への愛着、そして何よりも大事なものを置き忘れた不徳のいたすところです。

(撮影 新宮夕海)

カケリを男舞に変えて、音楽好きの貴公子・敦盛を強調した世阿弥の演出は冴えています。しかし、修羅能でありながら、修羅能らしくないところを演じなければいけないのが、演者の注意点かもしれません。後場は平家一門の栄枯盛衰を語りますが、敦盛が修羅道に堕ちて苦しむ様は無く、直実に殺される戦闘場面も短く作られていて、「敵はこれぞと討たんとするに」と、太刀を抜き、討ちかかりますが、すぐに弔いに感謝して太刀を捨て同じ蓮(はちす)に生まれよう、敵ではないと言い終曲します。全く修羅能らしくないのです。

(撮影 新宮夕海)

能は、特に世阿弥は、強い武将を描くより、優美で、美しく散っていった貴公子を描いて名作を多く残しています。『清経』『通盛』『忠度』など、能は亡びの美学、亡びる者への鎮魂の意味があるようで、平家の公達の能を演じると、いつもそのことを感じます。
敦盛が腰にさしていた笛のことを『平家物語』(敦盛最期)では、鳥羽院が敦盛の祖父・忠盛に与えたもので、それが父・経盛に相伝され、才能ある敦盛に与えられたもの、名を「小枝」と言う、と書かれています。一の谷の合戦で源氏の陣地であった須磨寺には、敦盛が愛用した笛「小枝の笛」が「青葉の笛」と呼ばれ、今でも宝物館に展示されているようです。

(撮影 前島吉裕)

能『敦盛』の詞章には、前場で笛づくしの謡がありますが、そこには「小枝、蝉折、様々に、笛の名は多けれども、草刈りの吹く笛なれば、これも名は青葉の笛と思し召せ」と謡い、敦盛の笛が「青葉の笛」なのか「小枝の笛」なのかは、はっきりしません。前シテを草刈男としたのは、草刈笛の説話もあるようですが、「青葉の笛」のイメージも重なっていたのかもしれません。

(撮影 前島𠮷裕)

28年ぶりの『敦盛』、演じるにあたり一番心掛けたのは、クセの仕舞どころや男舞、キリの仕舞どころなどで、若い貴公子になるために、もうすぐ68歳の私が、懸命に若やいで舞おうとしたことです。若いころなら、何も考えずに若々しくできましたが、今はそこに意識を集中して若々しく演じる、そこへの挑戦でした。
『敦盛』はもしオファーがあればまた懸命に勤めますが、おそらく、これが舞い納めとなるでしょう。来年は『頼政』が2回、予定されています。同じ平家物語を本説にしている能でも、『頼政』など、年寄系の能にシフトし、老武者の心を演じたいと考えています。

『敦盛』の出演者(敬称略)
ワキ:宝生欣哉 後見:友枝昭世・内田安信 笛:杉信太朗 小鼓:大倉源次郎 大鼓:佃 良勝
(2023年9月 記)