『望月』を勤めて

『望月』を勤めて
生の舞台を催す意義

コロナ感染症のオミクロン株が猛威を振るって、なかなか先が見通せないこの頃です。
令和2年(2020年)以来、コロナ感染症により文化芸術活動が大いに制限されたことから、国が対策として「文化庁アートキャラバン事業」(令和2年度)を企画し、活動を支援しています。能もその事業の対象となり、「日本全国能楽キャラバン!」と称して、全国各地で多くの公演を行ってきました。その一つ、広島での公演(令和4年1月18日、於;JMSアステールプラザ)で『望月』を勤めました。
(実は、昨年10月に勤めた『竹生島』もこの事業の一つとして実施されたものです。)

能『望月』は能『放下僧』同様、仇討ち物語の現在物ですが、獅子舞があることから喜多流では特に重い習いの曲目となっています。
シテの小沢友房が主君・安田友春の妻(ツレ)と子の花若(子方)とで、主君の敵の望月秋長(ワキ)を討つわかりやすい物語で、見どころ満載の能です。

物語は、シテの小沢が主君が討たれたときにその場に居合わさず、思い空しく守山の宿屋の亭主となっている独白から始まります。そこへ、主君の妻と子が宿を求めてやって来て、涙の対面となります。そしてあろうことか、同じ宿に主君の敵の望月までやって来るのです。友房は奮い立ち、友春の妻を盲御前(めくらごぜ)に仕立てて、望月に酒をふるまい酔いに乗じて仇討ちを遂げようとしますが、この計略を練るところから実行までの舞台進行がまさに緊迫した場面の連続となります。

前場はそれぞれの役者の謡の技芸で緊張感を高め、後場は逆に子方の鞨鼓の舞とシテの獅子の舞を見せながら、視覚で楽しませる構成です。喜多流は実際に望月をとり押さえ問答をするスリリングな場面や、最後は笠を望月に見立てて短刀を抜いて斬り刺す型もあり、かなりリアルな演出となっています。

このような曲では、シテは芝居心を持ちながらも能の結界を超えずに演じるのが心得です。この難しい心得は稽古はもちろんですが、年齢を重ね、場を積むことで少しずつ味わいが出せるようになっていくもののようです。

また、『望月』には適齢期の子方が必須です。私の披きの時(平成12年)は息子の尚生が子方で、シテとして親としてどう導いたらいいかに心を砕きました。2回目(平成29年)は大島伊織君が子方を勤め、ツレがお父様の大島輝久氏で、親子でよく研究されて上出来の舞台をつくってくださいました。そして今回は3回目、子方は今度も大島伊織君です。前回は小学校2年生で子方適齢期、その後6回『望月』子方を勤めて、中学生になった今回で子方は卒業となりました。彼の成長がまぶしく感じられ、伊織君の最初と最後の『望月』子方にシテとして共演できたことを正直嬉しく思いました。

能で獅子を舞うのは『望月』と『石橋』だけです。同じ獅子の舞でも二曲は違います。
『石橋』は霊獣のような獅子が牡丹の飾られた一畳台で軽やかに遊び戯れ、速さと強さが求められます。一方『望月』の獅子は人間(武士)が変装し、敵の望月の様子を見、仇討ちのチャンスを窺うもので、動きも『石橋』よりはややゆったりと、人が演じる柔らかさが必要となります。今回、膝の具合が悪く難儀でしたが、まあどうにか舞えたかな、と思っています。体力的なこと、そしてこれから喜多流に子方になれる子供がいない状況を思うと、今回が『望月』の舞い納めと感慨深いものがありました。

今年1月、コロナのオミクロン株急拡大により、広島は全国でもいち早く、「まん延防止等重点措置」適用になりました。公演を無観客にして映像で有料配信する案が出されましたが、私は生の公演にこだわり、リスキーでも有観客での演能を主張しました。
能の映像配信は、生でご覧になるものとは雲泥の差がある、と思っています。もちろん資料として映像で残すことは価値あることですが、しかし舞台での息吹、緊張感、空気の揺れ、能空間の全容、それらすべてを生で丸ごと味わっていただいてこそ、能は成り立つのです。

当日は予想を上回るご来場者で、お客様がリスクを負いながら、勇気をもって心強く鑑賞に来てくださったことに、演じていて胸が熱くなりました。まさに一期一会の舞台、大切なひとときを共有出来たことが喜びです。
そして今回、アステールプラザが閉鎖せず、スタッフが全員協力してお客様をお招きしてくださったからこそ開催出来たと思っております。
関係者の皆様、ご来場のすべての方々に感謝申し上げます。
有観客で演じる素晴らしさを改めて噛みしめています。
 
(今回も能楽協会関連の公演のため演能写真の掲載が出来なかったことを申し添えます。)
写真 『望月』 後シテ 粟谷明生 平成29年 


                          (2022年1月 記)