『羽衣』を勤めて

『羽衣』を勤めて
横浜かもんやま能で小書「霞留」を

横浜能楽堂で催される「横浜かもんやま能」(2021年10月16日)で、能『羽衣』を「霞留」の小書(特別演出)で勤めました。横浜能楽堂でシテを勤めるのは久しぶり、2004年に能『半蔀』を小書「立花」で勤めて以来、実に17年ぶりとなりました。立花では生花を川瀬敏郎氏に生けていただいたことを思い出します。

横浜能楽堂は和風の落ち着いた雰囲気があり、舞台に立つと、その和の空気感が身体に沁み込んできて、とても気持ちよい舞台です。



 
「横浜かもんやま能」は伝統があり、今回の催しが37回目となりました。井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼ゆかりの「掃部山公園」で薪能としてスタートし、公園内に「横浜能楽堂」が建てられると、能楽堂で催されるようになり、直弼公とゆかりのある喜多流と観世流・銕仙会銕之丞家の二家が交替で勤め、狂言は大蔵流・茂山家と決まっています。
今回は、昨年の催しがコロナ感染症の影響で、今年に繰り延べになり、私が勤めることになりました。

では本題に入ります。
能『羽衣』の小書は、喜多流では「舞込」と「霞留」の二つがあります。正確には「雲井之舞」と称して演じられた小書、これは、喜多流十四世宗家・喜多六平太先生が大正4年12月8日、天皇御即位の天覧能に勤めた特別の小書ですので、現在は演能されることはありません。また「物着」の小書もあるようですが、伝書には記載されておりませんので、現在の小書は「舞込」、「霞留」の二つです。

『羽衣』は能のなかでも最も人気曲、ポピュラーな曲でよく演じられていますが、通常の小書なしの演能はあまり演られることがなく、小書「舞込」が多く、「霞留」は意外と少ないです。

私の『羽衣』も通常の演能は稽古能で勤めただけで、あとは「舞込」が6回、「霞留」は1998年(平成10年)10月の粟谷能の会以来2回目です。
1998年の演能レポートに、かなり丁寧に書いていますので、今回は簡潔にレポートしようと思います。

通常や「舞込」では、まず最初に舞台中央先に羽衣(長絹)を松の作り物に載せて出しますが、「霞留」では松の作り物を出しません。では、羽衣はどこに置くのでしょう。伝書には「一の松の松に掛ける」と書いてありますが、現在は一の松近くの橋掛りの欄干に掛けます。天女が降り立つ目印、依代的な意味もある松ですが、一の松が欄干から遠いとワキが羽衣を取りにくく、また松から落ちるハプニングも想定されますので、演者の工夫で欄干に掛けるように変わったと思われます。申楽談儀「してみて善きに就くべし せずは善悪定めがたし」の通り、自然の成り行きと納得しています。

ご覧になった方は、作り物の松が出ないことをどう思われたのでしょうか。
作り物が舞台中央先に置かれると、「シテが舞っている姿が見えない」と、言われることがあります。物語を象徴する作り物、舞台先に置かれるのには意味があるのですが、確かに邪魔かもしれません。演者としては作り物がないとのびのびと舞える反面、作り物があることで、自身の舞台での位置がわかる利点もあり一長一短ですが、「霞留」は作り物を出さないのが決まりです。

また、通常や「舞込」では、ワキの「衣を返し与ふれば」の後にすぐに物着になりますが、我が家の伝書には、「霞留」になると、ワキの謡の後に「少女(おとめ)は衣を取り返し」と謡の言葉を変えて入れ、「天の羽衣風に和し」と続き、次第「東遊の駿河舞・・・・此時や始なるらん」を謡ったあとに物着となり、その後は序の「それ久堅の天といっぱ・・・」と変わります。今回は「少女は衣を取り返し」の謡を入れない近年喜多流の方々がやられている形式で勤めました。

序之舞は、「舞込」は黄鐘調ですが、「霞留」は盤渉調(高い音色)となり、華やかな感じが強調されます。また序之舞の構成も、最後が破之舞の位となり、すぐに「東遊の数々に・・・」の仕舞どころとなるのも「霞留」の特徴です。


 
天女が最後に「国土にこれを施し給う」と宝を国土に施す型がありますが、「霞留」では、扇(中啓)を舞台に落とす型となります。普通は立ったまま落としますが、中啓が閉じてしまったり、良い場所に落ちなかったり、と見苦しくなることもあるので、今回は膝をつき下居して綺麗に落ちるように試みました。その後は扇を持たずに舞いますが、これは珍しいことです。

最後、幕に入る型が「舞込」と「霞留」では大きく異なります。
「舞込」では、三保の松原、愛鷹山、富士の高嶺を眺め、橋掛りの三の松のあたりでくるくると回って、「霞に紛れて失せにけり」の謡と共に名残惜しそうに下界を見ながら消えるように後ろに下がりながら入幕します。
それに対して「霞留」は、最後の地謡の「失せにけり」を謡わずに「霞に紛れて」で謡を止め、お囃子が囃すだけの残り止め(のこりどめ)となり、天女は地上を振り返らず、幕に向かいスーッと消えるように、天女は月の世界へと上っていくイメージで入幕します。地上への未練や後腐れなく、お囃子のかけ声と音色だけで消えていく特別な演出で印象的です。

このように、二つの小書では細かな違いがあります。「霞留」について、実は我が家の伝書に書いてあるのは作り物を出さないことと、序之舞を盤渉調にすることだけで、扇を落とすことや残り止めにすることは書いてありません。これらは先人たちの工夫の積み重ねで、やはり「してみて善きに就くべし」です。

私は『羽衣』を何回か演じてみて、「舞込」も「霞留」もそれぞれに良さ、面白さがあると思っています。今回も、いろいろなやり方(小書・特別演出)があって、日々時の流れとともに能の演出も幅を広げているのだと、感じました。

今回の装束は前回の『羽衣』で白色腰巻と白色長絹にしたので、今回少し変えて、白色腰巻に赤色長絹にしました。冠には喜多流のお決まりの赤色の牡丹を挿しました。
通常は冠に月輪を挿しますが、小書になると赤色の牡丹を挿すのはなぜか、以前の演能レポートで今後の研究課題と書きましたが、まだ解明出来ずにいます。どうも年を重ねて大らか、いや鈍感になったようで、能にはいろいろな可能性があっていいと、最近はあまりこだわらなくなりました。これがよいのか、そうではないのか・・・・。

さて、最後に面を「小面」にするか「増女」にするか迷いました。可愛らしく可憐な乙女のイメージで喜多流本来の「小面」で勤めたい気持ちもありましたが、前回が「小面」でしたので、変えて「増女」にしました。当然、謡や舞の動きなどはややゆったり、可憐よりも落ち着いた品格ある風を心がけて勤めました。

「疑いは人間にあり、天に偽り無きものを」という名セリフ、数ある羽衣伝説と違い、舞を所望するだけで羽衣を返すという清らかで上品な作り、美しい天女の舞姿、天から音楽が降り注ぐような詞章、何度ご覧になってもさわやかで晴れやかな気分でお帰りになれる曲ではないでしょうか。人気曲であることが改めてわかります。

10月に『竹生島』を井伊掃部頭直弼が創案した小書「女体」で勤め、1週間後に直弼公ゆかりの「横浜かもんやま能」で『羽衣』を勤めることが出来ました。直弼公とのご縁を感じながらも、直弼公だけではなく、先人たちや多くの鑑賞者の方々に支えられてきた能なのだ、と改めて思いました。

(2021年10月 記)
写真提供 新宮夕海