我流『年来稽古条々』(20)

我流『年来稽古条々』(21)
 ?青年期・その十五?
   『翁』について(2)

粟谷 能夫
粟谷 明生

明生 前回は『翁』について、能の根源に立ち返るような話ができたと思いますが、今回はもう少し、稽古から演能の実際まで話を進めてみたいと思います。能夫さんは『翁』を披くころというのは、どんな風だったのですか。

能夫 我々の『翁』の披きは、宮島・厳島神社の御神能でのこと。父や出雲恒一先生が、そろそろ世代交代して、我々にも披かせようということだった。だから僕は、現在、御神能の執事をされている出雲康雅さんと前後して披いたね。『翁』といっても、御神能の場合は翁付脇能を勤めることになるので、一般の『翁』の披きとは違うかもしれないね。


明生 そうですね。御神能は三日間とも五番立で行い、初日と二日目は翁付脇能の形です。私も披きは『翁』付『弓八幡』で、その後『養老』『高砂』と進んでいきました。脇能を披くのはこの順番がいいと思いますが。

能夫 そうね。内容からいって、そういう順番が妥当だと思うよ。


明生 中学、高校時代に、実先生(先代宗家喜多実)から神舞の稽古をつけていただいたときも、舞囃子で『弓八幡』や『養老』が先で、『高砂』は最後でした。

能夫 やはり『高砂』の方が重いからね。


明生 私はこれらの翁付脇能を披く前に、能夫さんの脇能のツレをずいぶん勤めさせてもらいました。記録を見ると『弓八幡』『養老』『高砂』と、全部演っています。

能夫 舞囃子を経験して、ツレを勤めて、ようやく翁大夫(シテ)ができるということだろうね。だから、御神能で自分が大夫をできる時が来たというのが大きな喜びだったことを覚えているよ。今、翁付脇能は時間の制約がありなかなかやれないけれど、本来『翁』は脇能も含めて勤めてはじめて披きといえるのではないかと思うよ。非常に儀式性の強い『翁』をやって、そこに精神のありどころというか、祝言の心、芸能の根源、根拠、そういうものを込めてね。そして幕に入って、次の脇能の出を待つ。その間に脇能の『弓八幡』や『高砂』なりのシテの気持ちへと変化していく。そういう集中力の変化と持続を体験しないといけないと思うよ。


明生 私たちは御神能という機会に恵まれ、翁付脇能を勤めることができます。ツレを勤める機会も多く、積み重ねから演能チャンスが生まれる。これが妥当、正統ではないでしょうか。

能夫 そうだね。一般にはなかなかこういうわけにはいかない。僕なんかは御神能で育っているから、翁付脇能が当たり前で、それでそういう気持ちが強いのかもしれないな。


明生 翁付脇能は江戸式楽の様式の中で固定化されたものでしょ。式楽を意識して、能夫さんが言うように、翁付脇能の大切さを認識することも大事な要素の一つだと思います。そして一方、前回の話に出たように、『翁』という曲そのものの重要性を考えるなら、『翁』だけでも十分に何ものかを表現できることも再認識しないといけないと思うのです。前回、観阿弥が『翁』を神事から芸能にしたという話が出ましたが、今は逆に芸能ということに甘んじているのではないか、今一度、信仰というか、神事を感じさせるものに戻るべきでは、という気もするのですよ。我々シテ方が舞台で舞う時間は十五分ほどですが、だからといって楽にこなせるものではないという。

能夫 そういうことも言えるね。今、誰でも翁付脇能をやれる環境でもないし、『翁』の根源的な立地条件を考えれば、『翁』そのものに集中し、精神性を込めるということが重要かもしれない。


明生 厳島神社には神々しいまでの圧倒的な自然の力や、まさに神が降り立つような環境があって、特別です。一般には能楽堂の中でも、屋外のそれと同じように神がシテの体の中に降り立つような、そういうものを演者自身が意識し表現していかなければいけないように思いますが・・・。

能夫 御神能という屋外で『翁』をやる喜びみたいなものを、一般には能楽堂に持ってこないといけないわけだね。

明生 今、『翁』は各流儀の初会で演じられることが多いですね。冬の寒い時節、ときには雪が舞うこともある。そんな年の初めに、厄を祓い福を祈る。私は『翁』というと正月、冬、春、寒気、屋外などが連想されます。夏の夜の薪能の『翁』など場違いな感じがして私は気持ちが悪い・・・。

能夫 そう思うよ。そして囃子方、地謡、三番叟を勤める狂言方、全部が競い合うような緊張感を持った雰囲気がないと駄目だね。


明生 そうですね。千歳が凜としてよく、三番叟がおおらかでありながらがキュッと締まらないと良い『翁』にならない。成り立たない。変な言い方ですが、ただお行儀善くにとどまらず、緊張感があって土の香りがするような大地の大きさというか・・・。千歳は上掛りではシテ方が勤めますが、我々下掛りは狂言方が勤めます。喜多流の『翁』は狂言方に囲まれているイメージが強いですね。

能夫 だから、狂言方にとって、『翁』の披きはとても重いものなんだ。狂言方の各家では、親から子へときちんと伝承して披かせているようだね。


明生 狂言方がそれだけ大切にしているのですから、我々シテ方も緊張感を持って、精神性を入れて演らないといけませんね。心技体といいますが、鍛えられた肉体があって、もちろん技術を持ち、そして気持ち。

能夫 技体は基本だよ。それがなければ駄目だけれど、『翁』という能は、その技術を超えるところがあるね。先代の観世銕之亟先生の『翁』を思い出してみても、テンション高かったからね。普通の謡とは違う何か特別なものを感じさせられたよ。決して手の内でやっていないんだなあ。


明生 理屈を超える、声の力、命の力・・・。

能夫 僕はね、宮島で『翁』を勤めるときは、生き死にをかけて演るというような心持ちでいるよ。シテの翁大夫が舞台の正面先に出て下居して深々と礼をするでしょ。あの場面では、僕は普遍的なもの、北極星に向かって礼をする心持ちなんだ。ちょうど礼をした先に宮司や神官が並んで座っておられるので、その人たちに礼をしているように見えるかもしれないけれど、永遠のものに、全神経を集中して頭を下げているんだよ。


明生 神の依代(よりしろ)として、正面はるか先にあるとされる「影向の松」(ようごうのまつ)に礼をするということですね。昔はそこに将軍やパトロンが座っていたから、よろしくお願いしますという意味にもとらえられて、そういう媚びた時代もあったと思いますが・・・。

能夫 昔は、芸能者を養ってくれる人とか権力に対して頭を下げる意味合いがあったかもしれないけれど、精神的にはもっと違うところ、永遠不滅の神の領域、もっと大きなところに向かって礼をしているという意気込みがないといけないと思うよ。


明生 そういうものに礼をすることで、世界のすべての厄を払い、福を引き寄せる意識ですね。礼をする精神性ですね。若い人に何でこういう型をするのかと聞くと、型付にあるからとか先生に教えられたからという答えが返ってきそうですが、本当の意味合いを問いただしてもいい曲ではないかと思います。私も能夫さんに教えてもらいましたが、一回目はいくら言われてもわからなかったです。礼をしたら、やはりあそこに宮司さんがいるじゃないか、とつい思ってしまいましたから。(笑い)

能夫 一回目はとにかく、「つつがなく」がいいさ・・・。


明生 そう、いろいろ約束事があって、例えば膝の突き方でも間違えたら大変ですし。でも二回目に心の余裕が出てくると、あ、ここはこういうことなんだと自然に判るような気がします。「北極星に向かってお辞儀をしろよ」という能夫さんの教えがね。

能夫 北極星はいつも動かないから根拠なんだ。森羅万象、大宇宙なんだ。僕はそう思ってやっている。


明生 みんなの福のために大夫は禊をするような覚悟ですか・・・。

能夫 覚悟ですよ。そう思って粋がって演らないとテンション上がってこない。心の中で闘っているよ。


明生 袖を払うときも、「一、二」と型通りにやろうという意識ではなくて、フワーッと空気を動かすように。「あー、これが翁だ」と、観客が見てくれるような、何か根拠ね。そういうことが分かってくる四十歳前後に一度披いて、次につなげていくということが必要だと思いますよ。ある年齢になったら、指導者が見極めをつけて、一度勤めておけとチャンスを作ってあげるといいと思います。

能夫 あまり年をとってからの披きでの無作法は致命傷。かといって若すぎて生な翁大夫は場に合わない。それを見極める指導者が必要ということだね。

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