『芭蕉』と向かいあって

『芭蕉』と向かいあって

粟谷能夫

 能役者として、これまで辿ってきた道筋、歴史といったもので勝負するしかない、そうでなければ全く歯が立たない曲があることを『芭蕉』(平成十五年三月二日、粟谷能の会)という大曲に取り組む中でつくづくと思い知ることが出来ました。前号「阿吽」巻頭の菊生叔父の文章の中で『芭蕉』の地頭として舞台を支えるという、熱い応援を受けて私自身大きな一歩を踏み出すことが出来ました。
 私の人生の中で『芭蕉』の記憶を辿ってみると、まず父の舞台が蘇ります。言葉では表現できない能の極致のようなものでした。外見は豪放磊落にみえて、実は繊細でこわれやすい父の内面が、『芭蕉』の曲をとおして佳く出ていたと思います。
 次に、観世寿夫さんが地頭をされていた、観世静夫さんの舞台です。それは思いの外に情緒的な舞台でした。『芭蕉』は、どちらかといえば無機的な曲と思っていた私には、新鮮な驚きであり、初めはよく理解できませんでした。しかし、静夫さんの能は寿夫さんの抽象度の高い謡と対峙しながらも良い味を出している。その人の人間性や体質、思いを出して、その人の能を創り上げていいのだ、能というものは、それほどまでに幅広く懐が深いのだと、その時に強く感じさせられました。
 そして次に思い出されるのは、寿夫さんの「芭蕉と禅竹」という文章です。
「能では、多くのめんにおいて、表面的に人間的な表現を否定してしまって、しかもそうした抑圧をつきぬけて訴えかける、より深い時点において人間を表現するという技法が用いられていますが、この曲なども、一見して非人間的な主題と見られやすいが、その奥底には人間が強く描き出されていると思うのです。しかし一歩まちがうとまったく劇でなくなってしまう、その辺のところに、この曲のむずかしさがあるのではないでしょうか。私ははじめにあげた『安宅』や『船弁慶』と比較して、この『芭蕉』や『定家』といった曲のほうが、より本質的な意味で演劇であると考えると同時に、現代に能がつながり得る価値を持っていると思うのです。」
 今回『芭蕉』という大曲に取り組むうえで、この文章から大きな勇気を頂きました。夢幻能の極致ともいえるこの能に何を巧むことができるだろうか。能役者として、これまで辿ってきた道すじ、様々な出会いを糧に、自分自身の思いと人間性で、自らの自叙伝を書くつもりで創り上げていくものだと思うのです。

写真 芭蕉 (シテ粟谷能夫 平成15年 粟谷能の会)

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