型付と向かい合う

型付と向かい合う

粟谷能夫

型付けには奥深いものがある。おもに江戸時代から明治迄の先人がいろいろな経験の中から見つけ出した演出が記され、大変貴重なものである。動きや演出上の心得の後、最後には「—も宜し、—も有り、—は損なり」といったものが入り、その書き方には幅といったものが感じとれる。だから問題は、読み手が型付をどれだけ深く的確に読みとれるかということになる。型をなぞるだけでは駄目なのである。たとえば『烏頭』のカケリの場面、囃子の手組で大小の鼓が「ツタツタツタタ」と打ち、シテは「トントントン」と三つ拍子を踏み、大鼓が大きな掛け声で「イヤー」と頭(かしら)を打って「親は空にて血の涙」となる喜多流独特の型がある。型付けにはこの「トントントン」は近づく、歩み寄るという意味合いだと書いてあるが、今はただ結んで拍子を踏むだけになっている。しかし大事なのは子鳥を捕らえようと近寄るという意識で、ぐっと前に出る思いを込め、演ずることだろう。ただ「ドントントン」と拍子を踏むだけでは駄目なのだと思う。やっている型としては同じでもそういう思いが含有されているといないとでは表現が違ってくる。また『梅枝』の「夫の形見を戴き、この狩衣を着しつつ、常には打ちしこの太鼓の…」で、頭をさす。続いて衣を見る、そしてまた太鼓を巻ざし見ると三つの具象的な型が続くところがあるが、伝書には三つの型が続くと死ぬというような事が書いてある。『梅枝』は同じ題材を扱った『富士太鼓』とは違って、夢幻能の極致のような曲だから、生々しくなっては駄目だという教えだと思う。そこに注意しないと、一つ一つの型が生かされず、型そのものの味わいが死ぬという意味だろう。この教えを理解した上でなら、三つの型を続けても、演じようによっては十分成り立たせることが可能だと思う。知らないで演ずるのとでは自ずと違いが出てくるはずである。これを極端な例だが「三つの型を続けて演じると演じ手が死んでしまう」と解釈するようでは困ってしまうのである。このように、型付には基本の型の他にいろいろな情報が書き込まれている。そこから先人の心に深く分け入り、読み取っていく喜びは大きいものがある。自分が一つの曲に対してどこまで考え抜き、稽古を重ね、先輩達や他流の人達の舞台から多くを吸収するか、そういうことが積み上がっていくと、同じ型付が違うように読みとれることがある。日々発見があり、新たな発想をもたらしてくれる。時には型付通りということを越えて、自分に引き寄せて創造することがあってもいいとさえ思う。そういう意味では、その役者としての広がりがどこまであるかということが問われることになる。結局は日々の能に対する真剣な向かい方、その積み重ねが大切だということだと思う。

写真 『鵺』シテ 粟谷能夫 撮影 あびこ喜久三

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