我流『年来稽古条々』(22)

我流『年来稽古条々』(22)
   稽古の原点を見つめる

粟谷 能夫
粟谷 明生


明生 子方時代から青年期へと、稽古を振り返り、『翁』まで話し合ってきました。自分たちの能を追及し、さらに大曲に挑むなどをしてきましたが、話はもう現在の私たちにまで迫って来ていると思います。そこで、時系列で語るところから一歩離れて、稽古そのものについて、原点に戻って話してみたいと思うのですが。 


能夫 稽古の原点ね。世阿弥は『風姿花伝』で「稽古は強かれ、情識はなかれ」と書いているね。稽古は厳しく、そこに自分の情、つまり自分勝手な考えを入れるな、と。


明生 基本ですね。子供の頃の稽古は理屈ではなく、ただ教えられた通りに、無心に覚えることを第一としますね。父の時代も、我々の子供のころの稽古もまさにそうで、これからも変わらないと思います。強烈な叩き込みですね。


能夫 そうだね。基礎習得までは、あまり頭でっかちになってはいけないのだろうね。


明生 稽古方法は反復運動ですね。一言に稽古と言っても謡と舞とがありますが、子供の頃の謡は意味も判らず丸暗記です。でも、そこで覚えたものは大人になっても間違えないですね。四十歳越して覚えた『伯母捨』などもう綺麗さっぱり忘れていますよ。(笑)


能夫 子供のころの稽古というのは嫌とか、そういうことはなかったんじゃない。


明生 そうですね。余計なことは考えずに、親や先生に言われるままに、素直でしたね。

能夫 僕は稽古が苦にならなかったよ。お能が好きだったからね。わけが判らないうちに好きになっていたんだね。


明生 お能が好きになるような環境があったからじゃないですか。


能夫 親が意識したかどうかわからないけれど、好きになるような環境を作ってくれていたんだね。僕が子供の頃、ガラスの電灯の笠をめがけて『道成寺』の真似事をして駆け込んだりしていたらしいから。自分では覚えていないよ。


明生 私も腰に刀を差して風呂敷を身体に巻いて「うう??」と唸っては刀でお能ごっこをしていました。観世三兄弟(観世寿夫、榮夫、静夫)の先生方もそうだったといいますね。華雪先生に子供用の装束を作ってもらいお能ごっこ、ここまでくると位の違いを痛感しますね。(笑)


能夫 能舞台とか楽屋とかいろいろ連れて行ってもらったしね。そういう環境づくり、それも子供教育というか稽古の一つの形でしょうね。


明生 茶道の小堀遠州流の「稽古照今」という言葉が僕は好きで、古を稽(かんがえ)今に照らす、基本をしっかり踏まえた上で今の自分を輝かせる、そう解釈していますが、いい言葉でしょ。世阿弥の「稽古は強かれ、情識はなかれ」にも通じますね。ただ、無心に強く稽古をする・・・。


能夫 そう、稽古は強かれだよ。


明生 強かれ、固い感じがしますが基本ですね。自分の昔を思い出すと小学生までは波風たたないですむのですが、これが中学ぐらいになって声変わりして、思うように自分の声が出ない、お能というものは自分にとって何なのだろう、なんて思い出すと、ただ言われるままの稽古というものを考え始めるようになりますね。


能夫 そのころになると、いろいろな能にふれて、能の善し悪しが多少見えてくるわけだよ。格好いい人もいれば、ちょっとギクシャクしていると感じさせられるものも見えてくる。小学生の頃とはまた違う考えが起こるよ。自分もあの格好いい人を真似たいとか、確固たるものに近づきたいという発想が芽生えてくる。そういうものが自分のなかにはあったと思うね。そのために確かな技術を獲得したいと、ね。親に言われる押しつけではなくと、自分で思ったものね。


明生 それは反逆児の私からするとご立派!と尊敬しちゃいます。(笑) 私はそこまで至っていませんでしたから。指導についてですが、狂言方は生涯親子で稽古をするでしょ。耕ちゃん(故野村万之丞)が太良先生(野村萬)に習うことについての善し悪しを話してくれたことがあります。また武司君(野村萬斎)からも万作先生(野村万作)に習う心の内みたいなものを聞いたことがありますが、そういう家族主義というか、家族で伝承していく形態ができ上がっている。何歳頃には何を披かせ次は何、という道が確立しています。似ているようで私たちとは少し違いますね。若い時分は実先生(十五世宗家喜多実)にお習いし、お互い、小さいときは父親に習っているとはいっても、狂言方のようなアットホームなものとは違いますから。


能夫 親子での稽古法が確立していて、いい関係で出来れば、それはすばらしいと思うよ。しかし親に習うというのは案外難しい面もあるからね。僕が若いころに寿夫さんに憧れて、親父の能を否定していた時期があったし、明生君だって、親たちのやっている能に反発したことがあったでしょ。だから親以外の人に習うのも悪くはないし利点もあるわけ、他流に目を向けることも悪くはないと思う。僕も遠回りはしたような気もするけれど、お能のすばらしさをより強く知ったし、またそれがあるからこそ父たちの能を見つめることもできたからね。


明生 能夫さんの場合は遠回りでなく、もっとも近道したんじゃないの。(笑)


能夫 明生君も反発したけれど、力強く戻ってきたね。


明生 そこですね。戻れるかどうかですよ。私はうまく戻してもらいましたが・・・。狂言方の人たちだって親子で反発する時期はあると思うけれど、一緒にいなければ興業が成立しないから、何とか、悪い言葉ですが騙しながらもやって、そして成長していくのでしょうね。シテ方の場合は、その青年期を上手く乗り切れないで離れていく人も出てくるわけです。だから青年期の稽古というのは教わる方も教える方も難しいと思います。


能夫 その時期は辛抱強くね。他流に気持ちが行くならそれもいい。気持ちが離れる人には、いろいろな仕掛けをして、いい能にふれさせるとか、能に何らかで参加させるとか、他のすばらしい能楽師と話す機会をつくるとかね。明生君にも僕はずいぶん仕掛けをしたんだよ。


明生 ありがとうございます。能夫さんも辛抱強くですね。(笑)


能夫 純粋培養だけでなく、いろいろなものにぶつかって体験をして戻ってくるのもいいんじゃない。そしてまた、家の子でなくとも、逆に青年期に能にめざめて門をたたく人もいるわけでしょ。そういう人たちを受け入れる開かれた面もあるわけで、これからはそこを充実させなくてはいけないし。そこで内にいた人も外から来る人も刺激しあえばいいね。そして究極は、憧れの能に近づきたいという気持ちが大事でしょ。そうすれば自ずと自分で技を磨こうという気持ちになるし。そういう意味では指導者が憧れられるような能を舞っていなければならないということだね。


明生 父が「俺が演っていることが教えていること」って言っていました。手取り足取り教えるわけではないが、いい謡を謡い、よい能を舞う、それが指導だと。最初は何言っているんだ、逃げみたいな意見と思っていましたが、今はよくわかります。父はあのように謡っていたな、と思い出しますからね。


能夫 我々もそういうことが言えるような能を舞っていかなければならないね。


明生 基本的な技術、たとえば舞は型を間違えずに、謡は調子を外さないでうまく合わせるとか、そういうことが完璧に出来たとしても、そこで止まっていては駄目で、その次に何をすべきか、というと結局、そこは誰も教えてくれません。だからそこから先は自分で尋ねていくしかないわけで、それが大人の能役者の味わう一つ壁ですね。そこを乗り越える事が必要となります。まさに照今でしょう。


能夫 そうだね、それまで蓄積してきたもの、それに何かもう一つプラスする作業、そういう問題意識を持つことね。僕は稽古で一番大事だと思うことは、集中力の維持ということ。例えば、『半蔀』を稽古していると、ああ、ここからは序ノ舞だ、ここからはキリだと、それぞれのパーツはさんざん稽古を積んでいるわけですから、そこに来ると流してしまうことがある。


明生 ありますね。サシまで来ると、あとは舞囃子で演っているから大丈夫なんて、勝手に思ってしまい型附を読まなくなる。ところが、能では違うということもありますね。


能夫 そうなんだよ。座敷謡や座敷舞とは違う。実際、伝書に座敷舞ではこうだがお能ではこうだなんて書いてあって、発見があるよね。だからお能一曲を通じて、どういうふうに謡い舞うのかということを意識しないといけない。伝書を読んだり、過去の人の能を思い出したりして、自分自身のお能を創っていかなければならないからね。


明生 それはもう自分自身で創り上げていくしかない。特にある年齢になったら誰も手を差し伸べてくれませんから。


能夫 それでも明生君は友枝昭世さんに習って最終チェックをしてもらっているからいいじゃない。僕はそれがないから、親父が書いてくれたものや伝書を見たり、これまで自分がいずれはこうやるぞと思いをためていたものとか、そういう自分を信じてやるしかないんだよ。


明生 それぞれのやり方があっていいと思いますね。私は披『道成寺』の時に志願して友枝師についた、能夫さんは誰にも習わずに自分のスタイルを確立していく道を選んだ。能楽師は最善の方法を自分自身で選択していかなければいけないということでしょうね。今の喜多流はそこの自由があり恵まれた環境だと思います。


能夫 自己責任ということだね。僕だって自分勝手に演っているというわけではないよ。その都度、菊生叔父に聞いたり、友枝さんにも聞いたりして、そういうところはきちっとクリアして、自分なりのものをと考えているよ。先人が演ってこられたもの、そういう情報、それに他流の人と話したときに、知ったこと、そういう諜報活動みたいなこともして、自分の能を創り出す、足し算が必要なんだよ。


明生 自分から教えを乞う前向きな足し算ですね。三番目物は技術面をクリアー出来ただけでは作品を手がけたと言えませんね、『野宮』や『定家』など特に感じますが、三番目物には足し算が必須ということですね。


能夫 そういう曲にどう取り組むかだな。明生君がよくいっているけれど、大曲にも早く取り組むべきだって。


明生 少し背伸びしてやれるぐらいのときに一回勤め、それで二回、三回と演って完成させていく、それが能役者の宿命でしょ。それも稽古の一つ。


能夫 この間の『定家』を振り返るとね。披きのときは、憧れの曲、大事な曲に体当たりするんだという、すごい緊張感で構えていたよね。それが二度目になると意外とリラックスしてできるようになる。一度演って余裕みたいなものができるというか、成長できたというのかな・・・。


明生 無駄な力が抜ける?


能夫 そうね。一回目ではどう頑張ってもそうはならないからね。だから、年齢的にはやや若くてもできるときに積極的にやって、それでまたやり直しをするというのが本物の前向きということかな。


明生 時々の初心というのですかね。その時々に真剣に取り組み、そこにその時々の自分の能を創る。「稽古照今」という言葉いいでしょう。


能夫 「稽古照今」だね。僕ぐらいの年齢になると生きていることすべてが稽古という気もしてくるな。


明生 そうですね。その人の生き方、人生、経験がすべてお能に反映されるということをつくづく感じますね。

能夫 時々の初心をどう出せるか。お互いに自分の人生をかけて稽古しよう。お能はそれだけの価値がありますよ。             

(平成19年10月記)

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