『采女?佐々浪之伝』に取り組んで
粟谷明生
研究公演『采女』を終えて、あー終わってしまったのだという、やや放心したような気分を味わっています。それは、今回の『采女』は先代・十五世喜多実先生の創案された『采女?佐々浪之伝』に、新しい試みを加えてみたいと、一年間自分なりに思いをめぐらしてきたからです。
能は長い歴史の波に洗われながら、なお変わらぬ様式美を保っていて、それを継承する私たちは、その本流をしっかりとらえて伝えていく役目があるのだと思っています。とは言っても、今に生きているものが、一つの能を自分なりに解釈し、新たなものを創造する努力をすることも必要ではないか、これまで伝えられてきた本流も江戸時代のそのままの姿ではなく、少しずつ形を変え、時代にあった能を創り出してきているのだから──こんなことを考えて、七年前から能夫と「研究公演」なるものを始めました。
今回第八回・研究公演(平成九年十一月二十二日、於・十四世喜多六平太記念能楽堂)も、「研究」と名がつくだけに今までのものとはちょっと違うものを志向したい、伝統の中の自分らしさを求めてみたいと考えました。
まず、何を演じるかから始まりました。その前の研究公演で第六回に私が『松風』、第七回に能夫が『小原御幸』と、それぞれ一回ずつ大曲に挑みました。今回は二人で、どうしても気になる曲をやろうということになりました。能夫の『景清』は、早く自分なりのものを手がけておきたいとして、すんなり決まりました。では私はどうするかというとき実先生の『采女?佐々浪之伝』が思い出されました。過去に演じられて、演出方法に対するいくらかの疑問や曲の構成上の散漫さを感じていたので、これに挑戦してみようと考えたのです。
全体の流れはこれでよいのか、散漫さをぬぐうにはどうしたらいいか、『采女』は何が言いたかったのだろう。他流の人の演じる『采女』を研究してもみました。
そんなあるとき、家の伝書にある『采女一日曠れ也』という一文を見つけ、これがキーワードになると感じました。采女は帝の寵愛を失って猿澤の池に入水自殺します。一旦は地獄道に墜ちますが、功徳により成仏でき、一日、水の世界からこの世に現れて、その喜びを舞い、再び猿澤の池に消えていきます。この世に現れた一日は、采女にとってまさに晴れやかなときだっただろうと思うのです。私は『采女』という能で、その晴れやかさと、極楽浄土に向かっていく美しい様を見ていただきたいと思いました。
こう考えて詩章を見ると、前シテ・里女が旅の僧を猿澤の池まで導いて、入水の事実を知らせるまでに、延々と藤原家が建立した春日明神の由来や春日野の春の美しさが謡われていることが気になりました。当時は、権勢をふるっていた藤原家を讃える必要があったかもしれませんが、今、采女の悲劇を謡うときに、それがどれほど必要でしょうか。散漫な印象を受けるのはこのあたりにあると考え、できるだけ春日明神のくだりを省いてみました。
詩章を削除するにあたっては、野村万之丞さんに替間をつくっていただきました。猿澤の池の情景描写を少し書き加えるなどして、詩章の一部が省いても話がスムーズに流れるように、苦心していただきました。私がイメージしていた流れに仕上げていただき感謝しています。
序の舞についても手を加えてみました。『小波の伝』の序の舞では、後半に長絹を脱ぎ捨てて、裳着胴(下着姿)になって舞うという演出になっています。この姿は竜女になって解脱していく様を表しているのでしょうが、私は序の舞の中で、物着(装束の着脱)をしたくありませんでした。采女にとって「曠れの日」の舞なのです。舞っている間は、ただひたすら美しく、きれいで透明感があって、一段も二段も高みに浄化されていく女性の姿を描こうと考えました。笛の松田弘之さんにお願いして、序の舞の導入の部分には「干の掛」(笛が干の手より吹き出す)を入れていただき、内面的な充実感を表現していただきました。それでも、竜女というイメージもどこかにひきずっていたいという思いもあって、長絹の下に、細かい鱗模様の摺箔を着てみました。
装束についても、伝書によると、「采女の後シテの装束は萌黄または茶色大口袴を使用するが、帝に愛されたご褒美なのか一日だけいい想い(一日曠れ)をと、高位の序で緋の袴をつける習いがある」といったことが書かれています。袴が萌黄や茶色では、もとより私のイメージに合わないのですが、先輩たちが緋の袴で演じている姿を見ても、それでよいとする拠り所となるものがありませんでした。今回、先の伝書にこの「習い」があることを知って、自信を持って袴を緋にすることができました。
面は新潟の吉川花意氏にお願いして打っていただきました。かわいらしい小面では、采女の心情を表現できないのではないか、この世界に現れた一日は晴れやかな一日には違いないのですが、入水した罪業の意識をどこかに引きずっていて、心の底にはわだかまるものがあるという。わずかに苦渋を含んだ面をつけたかったのです。家に代々伝わる古面は誇りで、その中から選ぶこともできたでしょうが、研究公演でもあり、創作面に挑戦してみたのです。
このように、今回の『采女』は新しい試みをいれましたので、先代の実先生の「小波の伝」の名称を、あえて創案当初の「佐々浪之伝」として演じさせていただきました。能楽師は考え過ぎるとろくなことはないと諸先輩から御批判いただくことになるかもしれません。しかし「佐々浪之伝」を再考するという試練の中に自分を置いてみて学ぶことが多く、充実した一年を過ごせたと思っています。振り返れば反省する面も多々あり、諸先輩や観てくださった方々に、この試みはどうだったかを問うてみたい、それらを次なる能への糧にしていきたいと考えています。
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