『景清』を勤めて
豪の者・景清の揺れ動く心
今年の第107回粟谷能の会(令和7年3月2日 於:国立能楽堂)は、初番に『景清』、狂言「秀句傘」を挟み、『石橋』で締めくくる番組編成としました。私は『景清』でシテを勤め、『石橋』では前場もある本能を企画し、弟子の佐藤陽に子獅子(シテツレ)を披かせ、親獅子(後シテ)を長島茂氏にお願いして、私は前シテを勤めました。粟谷能の会や『石橋』については改めて記すこととして、まずは『景清』についてレポートします。
私の『景清』の初演は平成24年の粟谷能の会で56歳の時、それから13年の時が流れて、今回、69歳での再演となりました。亡父・菊生の十八番だった『景清』を思い出し、父の芸を真似ながら、私自身の景清を演じられたら・・・と思い勤めました。
まずは『景清』の物語を簡単にご紹介します。
平家の武将・悪七兵衛景清(シテ)は宮崎に流され盲目の乞食となり、日向の勾当(こうとう)と名乗り暮らしていました。
そこへ娘・人丸(シテツレ)が従者(ワキツレ)を従え訪ねてきます。景清は自分の娘であると知り驚きますが、乞食の身を恥じて他人のふりをします。
しかし、里人(ワキ)のとりなしで、景清は娘と対面し、屋島の合戦での三保谷四郎との錣引き(しころびき)の武勇伝を語り聞かせますが、やがて時も過ぎ、涙ながらに別れを告げるのでした。
景清は平家の武将ですが、さほどの武勲があるわけではありません。平家物語ではわずかに「錣引き」の話が数行あるくらいで、これも錣を引きちぎった力の強さはあっても、所詮相手に逃げられ、屋島の負け戦の一コマなのです。義経や頼朝の暗殺を企て源氏滅亡を志すも失敗に終わる、人生の負け組大将のような人物を能は描いているように思えます。
景清の姓は伊藤とも藤原とも、また平景清とも言われていますが、やはり通り名の「悪七兵衛景清」が一番だと思います。この「悪」は「悪い」ではなく「強い」の意味ですが、景清の様々な伝説の中の、「源氏の栄える世を見ぬために両眼を自らえぐった」という話が、一番景清らしい、と私は思い景清を演じています。
勾当というのは、平家語りをする盲目の琵琶法師の、検校、別当につぐ位の者のことですが、
能のシテ景清が僧ではないのに角帽子(出家者の象徴)を付けているのは、もしかすると、盲僧が景清を語る伝承からの逆輸入かもしれないと思うようになりました。ここは定かではありませんし、相模国の娘人丸の事もいろいろな伝承があります。それら様々の伝承から能『景清』の景清像が造形されているように思われます。
景清を演じるにあたり、どの辺に焦点を定めるか?
「麒麟も老いぬれば駑馬にも劣るが如くなり」と謡われるほどの惨めな姿の景清です。
敗将、盲目、老体、乞食、と多くの負を背負っています。自ら両眼を潰すほどの強い意志と、肉体は衰えても枯れ果てぬ気骨が横溢していますが、そこには将来への明るい光はなく、絶望的な状況があるだけです。豪の者でありながら、景清の揺れる心、その底に見える暗黒の悲劇を皆様に想像していただくために、どのように勤めたら良いか・・・、と考えました。
景清の心中を最初に表現するのが、「松門の謡」といわれる謡です。
引き回しをかけられたまま、藁屋の作り物の中で次のように謡います。
「松門独り閉じて年月を送り、自ら清光を見ざれば時の移るをもわきまえず、暗々たる庵室に徒に眠り。衣寒暖に与えざれば。膚(はだえ)は髐骨(ぎょうこつ)と衰へたり」
この「松門の謡」について、14世喜多六平太芸談に「丁度、鎧の節糸が古くなって、ぶつぶつ切れたように謡え、と伝えられています。妙な言い方ですが、良く心持ちを言い表しています。(中略)松門をひとつ上手く謡って聞かせてやろうなんて気持ちで朗々とやられたんでは、もうお終いです。どこまでも低音で、呂の音を主に腹の中で謡う・・・」
と、書かれています。私ここまでは素直に納得出来るのですが、次の最後の言葉が、どうも気になっています。
「聞こえても、聞こえなくとも、そんな事は何方でもいいのです。」
この言葉、昔はそれで良かったのかもしれませんが、しかし今は、それでは通用しないと思います。「謡が聞こえなかった・・・」と、お客様に言われたら、それこそ本当のお終いです。
国立能楽堂の隅々のお客様まで、老体景清の声が、心情が、伝わるために能役者は言葉に潜む言霊を、謡の調子、高低、強弱、緩急、陰陽、様々な技を絡めて演じなくてはいけないと思います。謡本に記された節だけ見ても到底謡えるものではありません。口伝によってさまざまな謡い方が伝えられていますが、私の「松門」は『景清』を得意とした父の謡い方を真似ています。初演の時も父はすでに亡く、直接教えを乞うことはできませんでしたが、父の松門は身体の奥深いところまで、染みこんでいます。今回の再演では初演の時よりは余裕が出てきて、基本は真似ですが、自分の思いも少し載せられたかな、と思っています。
『景清』は台詞劇、舞が全くない、能として珍しい曲です。それでも、床几にかけて語る三保谷四郎との「錣引き」の闘いの場面では、熱が入り、不自由な体ながら、思わず立ち上がり、様々な所作が入ります。しかしその動きは、老体と盲目のため、健常者の動きとは異なります。例えば、左方を刀で斬る時は、右手を左方向に動かしますが顔は逆に右へ向けます。反対に、右方向を斬る時は、手は右、顔は左に向けます。
この動きについて、「盲目は目でなく耳で見る」が、父・菊生よりの教えです。
また、前に進みたいが、足が思うように動かない忸怩たる思いを、特別な「抜く足」にて表現します。演者はこれらの不自由な動きを体に染み込ませ、スムーズに動けるように稽古し、舞台で不自由な動きが違和感なく自然に見えるように演じなければ失格です。
最近私は、お能をだれず、飽きずに見ていただきたいと願い、とりわけ、粟谷能の会では、演能時間があまり長くだれないように心がけています。作品の良さを壊さず、短く出来るところは短縮して演出しています。
今回、謡の短縮はしませんでしたが、ツレの登場の出囃子を少し短くし、正面前で謡う次第(出囃子)を橋掛りで謡うように変えました。これは、単に時間短縮になるだけでなく、道行らしい効果もあったのではないでしょうか。
それに『景清』という能は、分かりやすい場面展開、また景清の揺れ動く心を細やかな型で表現するなど、舞がない割にはだれない演出になっていて、それにも助けられ、飽きずにご覧いただけたのではないかと思っています。
「え! 終わったの?」
と、お客様に感じていただけたら、私の思う壺です。
能は日常生活に比べると、かなりゆっくりとした動きで舞台は進行します。もちろん、日常生活とかけ離れた時空をお楽しみいただけるのは、能ならではの雰囲気で良いことです。ただし、演者側はそのスローペースに胡座をかかず、舞台にだれる空気感が出ないように努めるべきと思っています。
さて、錣引きの語りが終わると、いよいよ最後の場面です。ワキにこの物語が終わったら娘を故郷に帰してくれるようにと約束しての語りでした。もう自分の命はそう長くないと悟っている景清は「亡き跡を弔ひ給へ」と頼み、「さらばよ」と娘の背中を押して帰します。これも切ない親心なのです。「さらばよ 留まる」「行くぞ」との一声が親子の形見となるとして終曲します。
現代のTVドラマなら、娘との再会で「めでたし、良かったね」と終わるのでしょうが、室町時代に作られた能は娘と再会しても、すぐに別離となる哀れな悲劇を描いていきます。
能は勝ち組より負け組に焦点を当てて戯曲することが多く、『景清』は一番の負け男の鎮魂能と言えるかもしれません。
この最後の場面で、見所からすすり泣く声が聞こえてきました。あるご婦人は「主人が泣いて泣いて恥ずかしかった」と仰っしゃいます。以前、父・菊生が「結婚式では、男親は娘とバージンロードを歩き、最後に娘を奪っていく憎っくき男に手渡さなければならい、ここは残酷なシーンだよ。だけどそのとき、父親は相手の男をにらみつける度胸はないのね、必ず視線を外してる。そこで『景清』の別れの場面では、パージンロードの父親のように、視線を落とす型をしている、何でもお能に応用するんだよ」と言っていたことを思い出します。
娘との別れ、どうも『景清』は男親の涙腺を緩めるようです。また、ある女性からは「人丸になった気分で見ました。切なくなりました・・・」と言われました。能『景清』は、男性は景清に、女性は人丸に心を寄せてご覧になるようです。このように、優れた能は老若男女全てに適応しているのです。
ここで装束のお話をします。
能『景清』の装束(着物)は着流し姿と大口袴姿の2通りがあります。前者は乞食として、後者は武将としての側面を強調しています。喜多流は武将として白色大口袴を着用し、私もそのようにしました。面は景清の専用面をかけますが、これにも顎髭が有る無しで2通りあり、髭がある方を使います。専用面があるのは『景清』のほか、『頼政』、『弱法師』、『鬼界島』、『蝉丸』などがあり、いずれも個性的な人物像を描き出しています。『景清』の専用面は負け組でありながら、まだどこかに負けん気、強さを表し、それでいて盲目の哀しさも秘めているような面です。頑固な老いぼれ武将に似合う装束と専用面(粟谷家の能面「景清」)は、もし次回勤めるときでも、多分変わらないでしょう。私には不動のお決まりです。
今回、共演者に恵まれたと喜んでいます。ツレ・人丸の狩野祐一さん、ワキの宝生欣哉氏、地頭の長島茂氏、囃子方(笛・松田弘之 小鼓・鵜澤洋太郎 大鼓・亀井広忠)、地謡陣、舞台を盛り上げてくださった皆様、そしてご覧になってくださった方々、皆様に感謝申し上げます。
今回の『景清』は再演であったため、少し余裕が出てきて、謡い方や動き、表現法に再発見がありました。加齢すると、瞬発力や持久力などが落ち、身体のキレも悪くなります。確かに衰える面もありますが、69歳だからこそできることもある、と感じています。身体は衰えても、その代わり謡(口)は若い時より、重みを増して良い謡に成長する、と言われていますが、そのことがじんわり分かるようになりました。50代の初演、60代の再演を終え、次は2、3年後に70代の『景清』もご覧いただきたいと、新たな目標が出来ました。
写真撮影 新宮夕海
(2025年3月 記)