『三輪』を勤めて 三輪明神を男神と意識

『三輪』を勤めて
三輪明神を男神と意識

第105回・粟谷能の会(令和5年3月5日、於:国立能楽堂)で『三輪』を勤めました。私の『三輪』初演は平成6年、広島花の会で、その後、平成19年に粟谷能の会(粟谷菊生一周忌追善)にて小書「神遊」に挑戦し、平成29年に広島薪能で勤め、今回は4回目です。小書への取り組みは、新しい視点から能を深く掘り下げる作業ができるので、色々と勤めて参りましたが、特に小書「神遊」は若い頃からの憧れでもあり、その経験がその後の演能にとても役に立っています。しかし今回は敢えて小書を付けず、『三輪』の本質を知りたいと選曲しました。

故・観世銕之亟先生(観世静夫先生)は「能を大別した時、神の能と仏の能があり、私は神様の出現する能の方が大好きです」と、おっしゃっておられました。今回勤める『三輪』はシテが三輪明神、ワキは高僧の玄賓僧都(げんぴんそうず)で、神様と仏様の両方が絡んでおり、また、三輪明神が男神と女神の諸説あり、どちらを想定するかで演じ方も変わると思います。
「神と仏」「神と衆生」「男と女」、現代人ならば、しっかり区分けしたいところですが、逆に分けない曖昧さが能『三輪』の魅力であり面白さかもしれません。私は今まで女神を想定して勤めてきましたが、今回は男神の意識で勤めてみました。
この観点に立てたことで、今回新しい試みが出来て、しかも少し本質に近づけたという手応えを感じ、素直に喜んでおります。
三輪明神を男神と考えると、おのずと装束選びも違ってきます。私は演能の手引きとして、伝書を主体に、諸先輩からの伝承と、そして演能写真も大きな手掛かりにしています。『三輪』で、心を動かされた写真が二枚あります。一枚はモノクロの観世寿夫氏の大口袴を着流しに替え、蔓帯をしないお姿です。「寿夫先生は、三輪明神に王朝風の蔓帯は似合わないと考えられ、外されたのだ」と従兄の能夫が説明してくれ、能は決まり事でがんじがらめではなく、色々な工夫が出来る余白があることを教えてくれました。能の可能性に目覚めた一枚です。今回は男神として演じるために着流しにはいたしませんでしたが、蔓帯は外しました。


(「観世寿夫至花の風姿 平凡社より)

そしてもう一枚は56世梅若六郎先生の写真集の白地狩衣に浅黄色の大口袴、面は「十六中将」の男顔のお姿です。
これを見たときは、さらにすごい衝撃が走りました。通常の緋大口袴に長絹の女姿とがらりと違って、まさに男神を具現しています。この写真は男神を意識した演出の大きな原動力となり、白地の狩衣と浅黄色の大口袴の装束はすぐに決まりました。面は敢えて女顔にこだわり、本来のかわいい「小面」ではなく、クセの詞章を考えて、やや艶のある大人びた「増女」にしました。


(56世梅若六郎 能百舞台より)

ここで、『三輪』のあらすじを簡単に記しておきます。
三輪山に住む玄賓僧都(ワキ)の庵に、三輪明神が里女(前シテ)に取り憑いて、樒(しきみ:仏前草木)と閼伽の水(あかのみず:仏前に供える水)を毎日供えに通っています。里女は玄賓に取り次いでもらうと、僧に救済を求め、衣を一枚所望します。受け取って帰ろうとすると、住処を尋ねられ、里女は三輪明神の神詠を引き、杉の立つ門を目印に訪ねて来て、と言って、姿を消します。

【中入】

玄賓が教えられた場所に行くと神木に与えた衣がかかっていて、金色の文字で歌が書かれています。読むと、女の顔をした三輪明神(後シテ)が現れ、衆生(人間)の罪を助けてほしいと願います。そして、神代の昔物語は衆生のための方便であると語ると、神婚譚や天の岩戸の前の神楽を再現して見せ、最後に三輪と伊勢の神は同体である、と告げ、夜明けと共に姿を消すのでした。

能『三輪』はなかなかわかりにくい曲です。演ずるにあたり私のいくつかの疑問の私なりの答えをご紹介いたします。
先ず、三輪明神はなぜ里女になり、しかも神が仏に救いを求めるのか?
神はつい万能と思ってしまいますが、能の世界では神が人間界に降りられ力を発揮するには、人に取り憑かなければならない設定が多いです。
能『三輪』では、高僧の玄賓僧都に毎日樒・閼伽を供え、「憂き年月を三輪の里に過ごしている」と嘆く仏を信仰する里の女に三輪明神は取り憑きます。そのため神が玄賓僧都に救いを求める不思議な現象となりますが、これは神が人間救済のために、身を犠牲にし、時には人間になって、人間の迷える心、老いの苦悩も共に苦しみ、我々衆生を救済して下さる、と考えると何とも有難いお話で、腑に落ちます。
ということで、三輪明神は里の女の嘆きを助けるために天より降りられ取り憑いた、と考え勤めました。


(前シテ 撮影 吉越 研)

次に後場の見どころとなる二つの昔物語、神婚譚と天の岩戸隠れの話をどうしてここで紹介されたのか? 
答えのヒントは序のシテと地謡の謡にあります。「それ神代の昔物語は末代の衆生の為、済度方便の事業(ことわざ)、品々以て世の為なり」と、昔物語は人々を救う手立てであるということで、神婚譚や天の岩戸隠れの話を選ばれたのは三輪明神の済度方便のお考え、と思うと、これも腑に落ちます。

この神婚譚のクセはとてもエッチで面白い内容です。大和に住む夫婦の女が、夜にしか来ない男に「昼もいらして」とおねだりをすると、男は「昼は恥ずかしい、そんな事を言うならもう会わない」と別れを告げます。女は別れを悲しみ男の住処を知ろうと裳裾に糸を付け、糸を手繰って住処に辿り着くと糸は杉に絡まっていました。能に「蛇」の詞章はありませんが、説話では杉の下に蛇がいたとされています。女は「私の相手は杉?」「えっ、私は蛇と・・・・・」。
こんなエロチックなお話を三輪明神が謡い舞って玄賓に見せますが、ここはさらさらと、軽快に進めると舞台効果が上がると思い、地頭の友枝昭世師にお願いして軽く謡っていただきました。これはとても好評で、自身満足しています。

神婚譚の後、玄賓は「もっともっと聞かせて、見せて」とねだるので、明神はさらに続けます。
天照大神が岩戸隠れをなさり、世の中が暗闇となったため、岩戸から出てきていただこうと、八百万の神たちが岩戸の前で楽しそうに歌声をあげたのが神楽の始まりであると、その有様を見せます。


(観世流・故 山中義滋氏) 

「神楽」は、御幣を使って舞う流儀もありますが、喜多流は中啓(扇)で舞います。これは三輪明神が巫女に取り憑いて舞うのではなく、明神自身が舞われることを意味します。能の基本的な作風は、前場で化身として現れ、後場で本来の姿になって登場するものです。喜多流の『三輪』は前場で里女に取り憑いて現れ、後場で本来の三輪明神が出現するので、正に基本形、理にかなっていると思います。


(後シテ 撮影 吉越 研)

『三輪』の神楽は神楽と神舞の2部構成です。私は前半の神楽は天鈿女命(あまのうずめのみこと)のイメージで、リズム良くワクワクするような雰囲気で舞い、後半の神舞はガラッと変わって、手力雄命(たぢからおのみこと)が岩戸を開ける情景を力感溢れる舞でお見せしたいと思いました。神楽は地謡の声が入らず、囃子方4人とシテだけの世界となります。シテは笛や小鼓、大鼓、そして太鼓の音色に合わせて舞いますが、ここは能役者の舞の技量が計られるところです。今回のお囃子方(笛・松田弘之、小鼓・鵜澤洋太郎、大鼓・亀井広忠、太鼓・小寺真佐人)の素晴らしい神楽に乗って舞うことが出来たことも、大きな喜びでした。


 
『三輪』のシテは一人で何役もこなします。前シテでは里女になり、神婚譚では妻の女と夜しか来ない男にもなります。神楽で天鈿女命と手力雄命になり、最後は岩戸を開けて姿を現す天照大神にもなってしまい、一人六役です。それを三輪明神として姿、恰好を変えずに目まぐるしく変化・展開するのですから、ご覧になる方は「今、何に変身しているのか?」を、常に想像して見ていただけると、舞台進行がお分かりになるのではないでしょうか。

最近、加齢してせっかちになったのかもしれませんが、能の演能時間が必要以上に長く感じることがあります。
地謡で昔、父・菊生と一緒に謡っていたときは、すべてが乗りよく謡っていたように思い出します。静かにゆっくりでもテンポ良く、ご覧になる方がワクワクするような、観ていて、聞いていて楽しくなるように、それが悲劇であっても同様に演じたいです。演者も観客も心の興奮が起きる舞台こそ、世阿弥が説く「華(花)」です。
「えっ、もう終わったの?」と、ご感想をいただけたら、演者たちの勝ち、「まだ演るの?」と観客に時計を見られたら演者たちの負け、と思っています。今回、80分の演能時間を「区間新記録ですね」と、仲間から冷やかされましたが、「その通り! 新記録」と、笑って答えました。

今回も様々な新しい試みをいたしましたが、いつも一緒になって考え協力してくれる仲間がいることが有難く、感謝しています。仲間がいるから今日までやってこられた、とつくづく思います。多くの人の支えがあって私の今があるのです。
能には面や装束、型など、色々な決まり事がありますが、実は幅広く対応する懐の深さを備えていることを教えてくれ、様々な工夫をし、挑むことの喜びを熱く語ってくれたのは、今残念ながら休演中の従兄の能夫です。能の懐の深さを知ったことが、私がこれまで演能を続けてこられた一因で感謝しています。
能夫の復帰を願っています。              
写真提供 『三輪』撮影 新宮夕海 (2023年3月 記)