『夕顔』「山の端之出」を勤めて

『夕顔』「山の端之出」を勤めて
夕顔の不安と哀しさ優雅さ

国立能楽堂の5月の定例公演(2022年5月11日)で『夕顔』を勤めました。
源氏物語の『夕顔』の巻を本説として、夕顔という女性の霊を主人公にした曲は『夕顔』と『半蔀』の2曲があります。私、3月の粟谷能の会にて『半蔀』を、今回、5月に『夕顔』と、短い間にこれらの2曲を勤める事となりました。これまで同じような曲が続く事を避けてきましたが、今回このようになってしまったのは私の不徳のいたすところです。それでも勤め終えてみると、両曲を見比べるよい機会になり、面白い発見もありました。

さて、夕顔はどのような女性なのでしょうか。頭中将にみそめられ玉蔓を生みますが、中将の妻の右大臣家から追われ、五条あたりの荒家に隠れ住むことになります。そして光源氏との出会いとなり、誘いに乗って逢瀬を重ね、なにがしの院で物の怪に取り憑かれ儚く短い一生を終えます。

能『半蔀』(作者は内藤左衛門)は源氏と夕顔の出会いに焦点を当て、夕顔が源氏との恋を懐かしむ様子を、夕顔の花と重ねて美しく戯曲されています。
一方、『夕顔』(作者は世阿弥)は夕顔という女性の霊が、儚く亡くなる悲しい出来事を主軸に、源氏の誘いに自らをコントロールできなかった自身の過去を懺悔し、僧に弔いを願う展開です。光源氏との深い契りを忘れられず、僧の弔いで成仏するという、夕顔の心の揺れ動きを主題として構成されています。

今回の『夕顔』は国立能楽堂から小書「山の端之出」で出演を依頼されました。
この小書は、シテ(女・夕顔の霊)の「山の端の心も知らで行く月は 上の空にて影や絶えなん」の謡を見所の鑑賞者にはご覧になれない幕の内から謡います。
すると、ワキ(旅僧)が「不思議やなあの四阿(あずまや)より、女の歌を吟ずる声の聞こえ候、暫く休らひ歌の主をも見ばやと思ひ候」と、受ける形になり、通常の謡の順序が逆になります。

この「山の端の・・・」という歌は「山の端の心=光源氏の心」も知らないで「行く月=行く私」は上の空・・・と、夕顔が源氏に誘われ、なにがしの院に行くときの不安な気持ちを詠ったもので、夕顔の心情を表す大事な歌です。小書「山の端之出」はここを強調する演出です。

演者としては、幕の内から見所の隅々まで声を届かせる声量が必須です。もちろん能における女性の声として届かせなければいけません。鑑賞者に謡が聞こえなかったら演者失格です。終演後、よく聞こえました、とのご感想をいただき、ほっと安堵しております。

この小書、本来はワキの言葉の後に、囃子方の囃す一声にてシテの登場となりますが、今回はアシラヒ(囃子による明確なリズムを伴わない演奏)を打っていただき、姿を見せると「巫山(ぶさん)の雲は忽ちに・・・」と、鼻歌を口ずさむように謡いながら登場することにしました。以前はこの歩みながら謡う事は平気でしたが、馬齢を重ね肉体的にきつく感じるようになったのは少し残念でした。とは思いながらも、どうにか粗相なく出来た事を素直に喜んでおります。また今回は、下げ歌と上げ歌を省略しました。遠くから「山の端の・・・」の歌が響き、女の姿が見えて鼻歌が聞こえてくるとすぐに、旅僧と女の問答となる方が、作品が引き締まると思ったからです。今回、小鼓の観世新九郎氏、大鼓の亀井広忠氏に、この事をご理解いただき、私の「山の端之出」にご協力いただけたことに感謝しております。

『夕顔』の舞台は、源融の大臣の住んでいた河原の院です。今は廃墟となった「なにがしの院」を序やサシ、クセにて繰り広げます。

このクセは居グセです。動きがほとんどなく、見る側は地謡の詞章を聞き、動かないシテの心情を想像します。作者の世阿弥は見る側が源氏物語の夕顔の巻を知っていることを想定して作っています。私も夕顔の巻を知らない青年期は、内容がわからず、つまらない能だと敬遠していましたが、今はそれなりに面白く思うようになりました。しかし、こんな難しい課題を戯曲にした世阿弥の手腕にはただただ感心すると同時に、見る側の鑑賞力も期待されているのだと感じさせられます。

後場は読経に引かれ、シテ(夕顔の霊)がゆっくり現れ「あら有難の御経やな」と、僧に感謝します。この「あら有難の御経やな」の謡は下掛り(金春、金剛、喜多流)にしかなく、上掛り(観世、宝生流)は、いきなり「さなきだに女は五障の罪深きに」と謡い出します。上掛りにない「有難の御経やな」を敢えて謡う喜多流の演出は、旅僧への感謝の気持ちが、込められていて、これが本曲のテーマになっているのではないでしょうか。
ここは丁寧に思いを込めて謡いたいところです。

供養と読経を経て、「優婆塞が行ふ道をしるべにて 来ん世も深き契り絶えすな」と謡うと、夕顔は序ノ舞を舞います。序ノ舞は能という芸能でしかできない表現です。演者は決められた型の舞を寸法通りに舞うだけです。鑑賞者はその舞から自由に想像し、演者は想像力に委ねます。
例えば、昔を懐かしんでいる、いや過去を後悔して改心している、読経のお返しにきれいな舞を見せる感謝の舞、読経により成仏できた喜びの舞と、といろいろな見方があって良いと思います。そこが能の面白さ、能でしか味わえない世界ではないでしょうか。

このところ私の演能は序ノ舞が続いてしまいました。粟谷能の会の『半蔀』、喜多流自主公演の『西行桜』、広島蝋燭薪能で『羽衣』、そして今回の『夕顔』、私自身も少し食傷気味で、本三番目物ではありますが、定型の型ではなく、袖をかつぐ型など、やや派手な印象の替の型の序ノ舞にしました。

序ノ舞が終わると「お僧の今の弔いを受けて、数々嬉しや」と夕顔は「笑みの眉」を開き、変成男子となって解脱・成仏します。現代の女性からは、「男子に変わって成仏? なにそれ!」と、お叱りを受けそうですが、当時の仏教思想、法華経では、女性の救済は男性に変成してはじめてなされるという考え方なのです。ご不満に思われる方はたくさんおられると思いますが、ここは能という演劇として受け止めて、夕顔の哀しさ優雅さを鑑賞していただきたいところです。

そして夜が明けぬ間に、夕顔の霊は姿を消して終曲します。
通常は常座で留拍子を踏んで終曲となりますが、今回は、敢えて視覚的にも分かりやすくご覧いただきたく、謡の中で入幕としました。

演じるにあたり、面は本来「小面(こおもて)」、若い女性の面が決まりですが、私の夕顔像には似合わないと思い、やや大人びたきれいな女性の「宝増(たからぞう)」にしました。

装束について、『半蔀』も『夕顔』も伝書には白色や紫色の長絹に緋大口袴と記載されています。今回、3月の『半蔀』の白色長絹に緋色大口袴と変えてみたく、少し冒険でしたが浅黄の大口袴にしました。ご覧になられた方はどのように思われたでしょうか。
短い期間に2曲を勤めることで装束を替える発想が起こった事が面白く、私自身、装束選びを楽しめたのは貴重な経験でした。

今年の私の演能は上半期に集中してしまい、あとは6月喜多流自主公演『杜若』、12月喜多流自主公演『大江山』を残すところとなりました。
コロナ感染症は、いまだに終息したとは言えない状況です。そのなかで、私自身は感染しないように気をつけてきましたが、もし感染したら・・・という不安が常にありました。

コロナ対策により、感染していなくても濃厚接触者となってしまうと何日かの自宅待機が義務づけられ、舞台に立てない事も起きるかもしれません。これから代演者の手当てが出来ず、興行が中止になることもあり得ます。PCR検査で陽性になり、症状が出て苦しいならば仕方がありませんが、何の症状もなく、ただ濃厚接触者であるというだけで舞台に立てないという状況はどうでしょうか。
医療従事者や保育士などでは待機日数の縮小も考慮されました。
演劇の世界が、これからコロナ対策をどのように考え対処するか、少し角度を変えて考える時期が来ているのではないでしょうか。             (2022年5月 記)

写真提供:国立能楽堂