研究公演つれづれ(その13)

研究公演つれづれ(その13)
第13回研究公演(平成17年12月22日)
『木賊』シテ・友枝昭世 地頭・粟谷能夫 副地頭・粟谷明生

粟谷 能夫
粟谷 明生

■地謡を充実して、喜多流の『木賊』像を創造する

明生 昨年暮れに、研究公演を4年ぶりに復活させ、『木賊』に取り組みました。研究公演の第3回『求塚』で試みたように、友枝昭世氏にシテをお願いして、私たちは地謡を充実させ、この難曲『木賊』を創り上げてみようということでした。この会で、能夫さんがずっと主張していた、喜多流の『木賊』像が出来上がったのではないかなという気がしています。粟谷新太郎7回忌の年に、こういう機会を仕掛けることができ、その成果を上げたということは喜ぶべきことですね。

能夫 それは嬉しかったよ。

明生 能夫さんがよい仕込みをして、友枝昭世氏をくどいて、そしてシテのエネルギーを我々も受けて・・・という感じでした。

能夫 僕らの新しい喜多流の『木賊』像を創るんだという気持ちを踏まえて、昭世さんが新しいチャンネルに切り替えて臨んでくれたという気がするね。まさに三位一体。

明生 装束についても、地謡についても、今回、昭世さんは我々に常に指示や相談をなされていたでしょ。こういうことはあまりないことですね。『求塚』のときもこれほどではなかった。もっともあの時は我々が未熟だったのですかね・・・

能夫 能というのはシテだけの思いでやっても成立しにくい、その思いを舞台を創るみんなに伝播しないとね。本来、能は座のような組織で手作りでやるものだから。我々だけでなく、もっと地謡の一人ひとりに、「こう思って」「こう謡ってくれ」という細かい指導があってもよかったかもしれないね。まあ、それは僕たちが伝えればよかったことかもしれないけど・・・。その辺は今結論を出せないが・・・、でも僕たちだって謡い方ではかなり細かい指示はしたつもりだよね。

明生 その辺はみんな真摯によく聞いて合わせてくれたと思います。今回の地謡の人は、半分は未経験者ですから、しかも大曲ですし、普段の従来のパターンでは了しきれないと思っていたのではないですか、だから素直にならざるをえないところがあったのでは・・・。

能夫 そう思うよ。

明生 みんな積極的で、あんなに前向きに取り組んだ姿を見たことないというくらい。(笑)


能夫 大曲を創り上げるときに抜擢されたという意識が、みんなの中にあったんじゃないかな。必要な人材だよと言われたときの喜びってあるじゃない・・・。僕らの志が通じたということではないかな。だって、自分たちの会で自分が舞わないで、シテをしないでだよ、地謡で勝負する、地謡を創り上げるなんていう物好きがいるかね・・・? 

明生 普通しないですよ。

能夫 そうでしょ。そういうことに挑むことが、僕は革新、画期的なことだと思うんだよ。だからその志が通じたということ・・・。誰だってシテを勤めるのがいいに決まっているもの。僕もそう思うけれど、粟谷の家は益二郎からの伝統で新太郎、菊生叔父と皆、地謡を謡ってきたじゃない、そのことについての継承もしておきたいというか・・・、そのような思いがある集団だという喜びと誇りみたいなものを・・・。

明生 ありますよね・・・。


能夫 そう。だって地謡が駄目では良いお能は成立しないから。どんなに立派な大夫がいたって・・・。

明生 故観世銕之亟先生が「舞えて謡えてだよ、そして装束付けができて・・・」


能夫 後見もできて、オールマイティでなければ駄目だと。


明生 「そうでなければ、僕は能楽師として認めないよ」と・・・。説得力ある言葉ですよね。今回地謡に参加出来てすごく勉強になりました。次回謡うときの、そしてシテを勤めるときの肥やしになりました。こういう形で学習ができ、興行的にもうまくいき・・・、本当によかったですよ。


能夫 うまく仕掛けが利いた、ということだね。

明生 能夫さんの仕掛けが成功しましたね。時期的にも。


能夫 我々が粟谷能の会を創っていく時期にもなってきているしね。

明生 友枝さんが『卒都婆小町』を3回やられて、次に『木賊』という流れの中で鮮度もあったし。地謡が大事だというメッセージや志がまわり、とりわけ若い仲間に伝わった気もしますし。求心力だね、これはやっぱり・・・。


能夫 ウフフ、そうじゃなくて、やっぱり好きか嫌いかってことなのよ・・・。

明生 好きか嫌いかってことですが・・・、今回はやはり能夫さんの策に全員がうまくはまったという感じですね。能夫さんはこの企画は失敗はしないよと言っていたでしょ、途中から、そうだ失敗しない、成就するな、とどんどん感じてきましたから・・・。


能夫 これを仕込んだのは2年前だよね。最初、友枝さんに話をもちかけたら、あまり手ごたえがよくなくてね・・・。僕が『木賊』をやりたいから、その前にやらないんですか?というようなニュアンスに思われたらしい。昭世さんは自分の頭の中には『木賊』は組み込まれていない、だからやる気はないって言われたんだ。

明生 そんなやり取りがあったなんて知らなかったですよ。


能夫 僕がやりたいのではなく、友枝さんに舞ってもらって我々が、つまり菊生叔父抜きで地謡をやりたいのです、と申し上げたらわかってくださって。それで引き受けて下さって・・・、取り組みだしたら、まあ「楽しい!面白い!むずかしい!」とね。

明生 そうですね。昨年後半はもう友枝さん、『木賊』の話ばかりなさっていたし、すごい気の入れようでした。


能夫 そうでしょ。昭世さん、昨年は『木賊』で楽しい1年を過ごされたわけ。だからあれは昭世さんの歴史の中でもすごくいいものになったと思うよ。喜多流の『木賊』の巻頭を飾ってくれたし、いい時期に『伯母捨』があって、そして画期的な『木賊』が燦然と輝いて・・・。そういう時間を我々も一緒に過ごしたということじゃないかな、と僕は思いますよ。いい人材にシテを頼めて、シテも、我々も、喜多流の若い者もみんな一生懸命にやれたという・・・。

明生 観てくださった方はどう思われたか知らないけれど、少なくとも演じる側は充実していた、真摯に取り組んだということは確かですね。

■充実した地謡が謡えただろうか

明生 それで地謡の成果ですが、昭世さんが「よく揃ったなあ。でも揃ったというのは音じゃない、高さでもない、ということを肌で感じたよ」と仰っていましたが・・・。能夫さんも言っていましたよね。以前は周りの音が違うんだ、発声とか発音とかが気になると。でも地謡が揃うというのはみんなが同じ音を出すということではないんだということが体験出来たと・・・。


能夫 そう、単なる統一規格では駄目みたい。

明生 中村邦生さんも長島 茂君も前列も、みんな音はそれぞれ違う、だけど気を張り詰めることで一体になれるということ、故観世銕之亟先生が地謡は重層でなくてはと話されていたのを思い出しました、これが今回の収穫でしたね。


能夫 ホント、そう。

明生 能夫さんと私だって違うでしょうし。違うけど近いかな?一応合わせるように思いながら謡っていましたけど、そこに目立たなくゴツゴツしたものが発揮されたような・・・。


能夫 そう。みんなの気持ちが喜多流には珍しくデリケートに結集したんだね。

明生 みんなで出す息、引く息と両方があることを体験出来た・・・。私自身のことを言うと、申し合わせのテープを聴いて、ちょっと自分の声が大き過ぎて邪魔しているという反省もあって。益二郎は大きな声で周りを束ねたということが頭の端っこにあって・・・、でも私は副地頭という立場だから、もっと自分には絞り込んだもので地頭を引き立て、邪魔にならず、それでいて頼りになる存在、そうでなければと思って・・・。そういう謡はボリュウムじゃなくて何だろうと思っていたら、打ち上げの宴会のときに昭世さんが「気だよ」って。


能夫 そう、気持ちだよね、思いだと思うな。結局さ「げに真、何よりも・・・・・磨けや磨け」で、僕なんか気持ちが入っちゃうんだよね。クセなんかよりもあそこの方に・・・。


明生 「磨くべきは真如の玉ぞかし、思えば木賊のみか、我もまた木賊の、身をただ思え我が心、磨けや磨け」と木賊を刈るあそこの場面、能夫さんもうかなりのハイテンションでね。


能夫 シテが「胸なる月は曇らじ」と思いを込めているでしょ。あそこ「ゴメン、高い調子になっちゃって、でもちゃんと受けてくれたね」と昭世さん言われたけれど・・・。音の高さでなく昭世さんの思いみたいなもので受けるのよ、そのぐらいのことは出来るよな!

明生 能夫さんはあそこの謡を気にしていましたからね。


能夫 そう、心を磨かないと人間駄目だというテーマみたいなものでしょ。僕はここが好きだよ。自分の心を磨けということで。

明生 前半のクライマックスだね。


能夫 僕はあそこが上手く謡えないと失格だと思っていたから、あそこはハッチャキで謡いましたよ。これはもう僕の動物的な感覚だけど、なんか感情をむき出しに謡いたいとね。クセなんかより、磨けや磨けとやっていることに・・・。


明生 父親の精神性の強さみたいなものがあそこに滲んでいるんでしょうね。


能夫 父親というのはこういう生き方をしているんだというような。あそこが僕はこの曲のポイントだと思うから・・・。

明生 すごいハイテンションになっていたもの。


能夫 だから言ったでしょう。僕はここにかけるから、あとの初同とかその辺はおまかせしますからって(笑)。

明生 「げに真・・・」はどうしても高くなるけれど あそこは下がってはつまらないですよね。


能夫 高くていいの。これまでの昭世さんとのおつき合いや菊生叔父の隣で謡わせてもらって獲得したものもあるし、そういう複合的な要素で張って謡えたんじゃないかなと思うよ。

明生 凄かったよ、独壇場でしたよ(笑)。


能夫 だから、それがすごく楽しかったんだよ。


明生 ハイ、ハイ(笑)。


能夫 やっぱりここを創っておかないと、筋立てとしてうまくいかないから・・・。

明生 前半のクライマックスはここで、あの段で1回終息してもいいんですね、折り目ですかね。次の地謡「よそにては」から始まる段で終わるのではなくて・・・。


能夫 「よそにては」のところはローテンションでもいいと思う。そこそこ説明的なところだから。

明生 私はあの「よそにては正しく見えし帚木の、・・・・陰に来て見れば無かりけり」で、遠くにいると見えるけど、近くにいると見えなくなるというのは、親子関係として見ると面白いなと思うので重要な関連だと思いますが・・・・。本当は恋人同士の話なのでしょうが。親父菊生と自分の関係で考えても、あまり近くにいると、その良さや愛情の深さが分からないというようにね。「ありとは見えて逢わぬ君かな」なんて美しい世界だと思ってやっているわけですが、菊生親父のあの頑なな打ち上げ宴会でのお説教を聞くと、まさしく木賊老人が目の前にいるわけでしてね・・・・。


能夫 昭世さん、爆笑していたからね。でもまあいいじゃない、頑なな菊チャマがいるというのは(笑)。

明生 それから次の段「廬山の古を思し召さば・・・」のところですが・・・。


能夫 そこだよ。「老情を慰む志・・・」と言って、老人の心情を慰めるために共に飲もうよと言って、中国の故事を引きながら酒を勧めるわけでしょ。浅井君(観世流・浅井文義氏)にも言われたけど、あそこは観世寿夫先生がすごかったんだよと。シテが老情と言って感極まっているのに、その気持ちを受けない「廬山の・・・」はないだろうって。

明生 そうですよね。仏の戒めで飲めないという僧に、故事まで引いて飲め!と飲ませてしまうのだから。


能夫 「廬山の・・・」は寿夫先生は呂音(低い音)でガンガン強く謡っていたよというのがヒントになったんです。そういういろいろな話が聞けるのがいいねえ。

明生 いろいろな人の話を聞かないとね。喜多流の人だけでは狭すぎますよ、もっと広く。


能夫 自分の発想だけでは、ここは甘く謡うところかなと思っていたけど、この話を聞いて昭世さんに話したら、「そうだよ、老情を慰むと気持ちを入れて謡っているから、それを受ける廬山の、が平坦ってことはありえないよ」と言ってくれたので、あそこの段が決まったということがあるね。

明生 いいアドバイスをもらいましたね。


能夫 そうね。いろいろなおつき合いの中でもらっているものもあるし、分からなければ問うこともあるし。あそこの「廬山の」の段は浅井君からというか、寿夫先生からのメッセージだよ。・・・あそこはうまく謡えたと思うよ。

明生 あそこは能夫さんが頑張っていたから、もう僕は委ねてというか邪魔にならないようにというか、さっきも言ったように、基盤の支えはしますから、あとはご自由にしてください、みたいなとことがありまして。能夫さんは、ここはこうやるぞ!と言っていたからね。


能夫 そうね。まあやりようがあるよね。戯曲というか能を考えるとき、先人の思いや教えも大事だし、謡っている本人の自覚も大事だよね。能は総合芸術なんだよ。過去・現在・未来みたいなものを一緒に持っていないと謡えないよ。

明生 こういう精神力の中で友枝さんが舞えたということはある面ではよかったのではないですか。演者がこれだけの結束力で、しかも謡っている人間がこれだけ考え思い謡ったということは・・・、そういつもあることではないですから。


能夫 そうでなければ『木賊』という曲は成立しないだろう、逆に言えば。こればかりは究極の謡い物の曲だなと思う。


明生 このような現在物の曲ねえ。『卒都婆小町』もそうですけど。能夫さんはわりと幽玄趣向というか・・・。


能夫 幽玄志向があるか・・・。

明生 幽玄物は甘さみたいな部分を残しておいてくれるから、演技者にとっては救いがあると思うのですよ。


能夫 入りやすいよね。

明生 しかし、現在物はシビアでしょ。


能夫 シビアだね。

明生 で、能の演技として生(なま)になるな、という規律、教えがあるじゃないですか。『卒都婆小町』『木賊』、『柏崎』もそうですが、今の世の中での現在物の置かれている難しさというものですね・・・。今、現在物をカッチとできる者はやっぱり僕はいい役者だなと思うしそこを見たいと思うのですよ。それはきれいな幽玄の世界も勿論ありですが、くさくならず、あたかも幽玄のように現在物を見せる能役者になりたいなあ・・・と。何かマジックをかけてしまうようなね。そういう感じ・・・、この間の『木賊』や『卒都婆小町』を謡うことで感じたことなんですよ。


能夫 『木賊』なんか謡っていると楽しいよね、極致だと思ったね。これが夢幻能ではなくて現在能なのかなという感じもしたし(笑い)。

明生 幽玄も現在もどちらにも激しくぶつからないと駄目というかでしょうか、幽玄にも力強く当たらなければ駄目だし、現在物にも跳ね返されるぐらい。だから僕はもう少し幽玄の方に強く向いていかないといけないなとも反省するのですが・・・。どうしても現在物をやり始めると一生懸命になって・・・、今そっちの方に目が向いていて・・・。振り向けばもっと違うものもあるとはわかるのですが・・・。


能夫 それはそれぞれの立地条件も違うわけだし、それぞれのポジションで訪ねていけばいい問題じゃないかな。


■重い曲に挑戦する意義

明生 友枝さんが『木賊』のような大曲は20年?30年も間をあけてはいけないなあ、自分がやってみて分かったとおっしゃっていたのが印象的でしたね。


能夫 秘曲、大曲といって大事にしすぎて、結局は誰も勤めないのでは、誰もできなくなってしまう。だからそう間をあけずにやっていかなければいけないんだよ。『伯母捨』だって、菊生叔父が数年前に百何十年ぶりに掘り起こしたわけでしょ。


明生 百何十年ぶりなんて言うことさえ、本来なら恥ずかしいわけですよ。

能夫 本当に。でもそういう曲目が言葉の上に載るようになった今の喜多流を喜ばないといけないよ。それは友枝さんのおかげだし、菊生叔父が頑張って道を開いてくれたということでもあるし

明生 我々はプロなんですから、そういう曲がありながら知りません、見たことありませんではちょっと恥ずかしいですよね。


能夫 だから誰かがやらないとね。温存、温存では氷河期のマンモスみたいになっちゃうよ。飾ってある標本を見たってしようがないでしょ。生きているものを見なくちゃ。動いているものを見なくちゃね。

明生 で、『木賊』を能夫さんもやりたいでしょ。


能夫 それはそのうちやりますよ。

明生 そのときには、謡う要員になれると思いますよ。


能夫 それはできるさ。あれだけ頑張って謡ったんだからね。

明生 去年『卒都婆小町』やったのだから、今度は『木賊』を目指して下さいよ。一生懸命謡いますよ。


能夫 ウン、近い将来!

明生 今の喜多流の風潮からいえば、『卒都婆小町』、『木賊』という順序になっています、私はそれでいいと思いますよ。男役者が女に化けることより、男が男に、それも生にならずに頑なな爺に化けることの難しさはかなりのハイグレードと思いますからね。


能夫 その辺はシテというか、そこに生きる役者の思いみたいなものもあるんじゃないの?

明生 最長老クラスの曲ですよね。どっちを先にやってもいいと思うけど、足腰丈夫なうちにしないとね。


能夫 それはもう運命だよ。出会いだよ。昭世さんが一生懸命やった『木賊』を見せられると、それはよかったと思いますよ。

明生 食指が動く?


能夫 それはね。心の底では、いつか自分もという前提がないとね、自分の志というか思いがないと、謡っていてもしようがないわけでしょ。自分で引き取る覚悟があって謡わないと。

明生 今回、『木賊』というクラシックな単なる重習というベールに包まれていたものが、そのベールが引き下げられ我々の目の前に燦然と輝いたそんな感じですかね。


能夫 そうだよ。自分がやるときのための、今回が一つの助走だよね。僕ぐらいの年になるとそういう思いでやらないとやっていられないよ。

明生 私は謡っていても、『木賊』はまだ遥かかなたという感じですが・・・。


能夫 ないだろう?


明生 能夫さんにはあるだろうな・・・というのはわかる。やっぱり曲目が降りてくるという・・・。


能夫 降臨したというか、まさしくね。自分のところに降りてきた、近づいてきたというのは確か。そのためにやったようなところがある。


明生 そう。よかった、よかった。


能夫 もう、よくやったよ。自画自賛!あんな大曲をよくやったと思うよ。友枝さんの実力を認めざるを得ないというのがすごくあるね。あの人の稽古のすごさね。

明生 それはすごいよね。


能夫 それだけやっているすごさというのが、舞台にちゃんと現れているからね。

明生 それはもう、私が憧れるところで、師として仰ぐところですよ。ちょっと真似できないけれど。


能夫 真似できないけれど、僕たちは僕たちのやり方でやっていかないとね。

明生 真似できないけれど、私は能夫さんからもらった資料、伝書という鎧をまっとって、自分なりに目指すところに向かいたいんですよ。


能夫 それはいいじゃないですか。


明生 優秀なものに出会うとお能は面白いですよね。


能夫 ねっ。いいシテに恵まれて、いい形でできたね。こんな場に身を委ねてしまうと・・・、常にチャレンジャーというか、いいものに出会って吸収して、生き死にがあって、何かそうしたことを繰り返していかないとしなびていく気がする。天人五衰じゃないけれど、腐っていく気がするね。自分を駆り立てて、いいところにもっていかないと・・・。

明生 今、しなびるという状態ですが・・・ああ終わったなと思ってね。そしてさあ次と、気持ちを奮い立たせなければ・・・。


能夫 その気持ちを奮い立たせる意味でも研究公演があるね。

明生 私もいろいろな会を起こしてきました。妙花の会、花の会、そして研究公演もそう、でも長続きするのは研究公演。熟成させて、ブドウをワインにする力は能夫さん持ち前みたいで研究公演で、『柏崎』とか『弱法師』、『松風』とかいろいろな曲を勤めけれども、中でも特に誇れるものといえば、『求塚』や『木賊』で、我々が地謡を固めて一曲を創り上げたことですかね。


能夫 そういうことだろうね。それにしても囃し方の人たちも燃えてやってくれたね。みなさんのおかげですよ。『木賊』は総合力として、すごくいい舞台になったと思うよ。

明生 12月に能夫さんが帽子をかぶっていて、みんなに風邪をひくんじゃないぞなんて、激飛ばしてプレッシャーを与えてさ、地謡の健康まで気遣ってなんてことは異例中の異例なことよ。


能夫 それはそうよ。明生君が風邪でティッシュの箱なんか抱えて来たんじゃアウトだからね(笑)。昭世さんにも言ってたよ、お風邪は大丈夫でしょうね?って。

明生 健康でいろよ、一生懸命やろうよというメッセージが最後、舞台に還元されたのではないですか。


能夫 昭世さんともいろいろな意味で切磋琢磨できたし、みんなも100%の力を出して曲に取り組んでくれたし、これ以上ないよ。楽しかった・・・!

明生 そうですね。みんなが力を出し切ったことが実感できました。またやりましょう。
 (平成18年1月4日 記 於 ガーデン)