我流『年来稽古条々』(28)

我流『年来稽古条々』(28)
?研究公演以降・その6
 『松風』について

粟谷 能夫
粟谷 明生

明生 今回は、第6回研究公演(平成7年11月25日)で取り上げた『松風』について話したいと思います。研究公演を立ち上げて五回が過ぎ、そろそろ大曲に挑もうということで、一日に能一番の番組にして、まず私が『松風』を勤めました。あの時は、父が仕舞『芭蕉』を、能夫さんが仕舞『熊坂』を長裃の小書でやられました。仕舞の小書については後日取り上げるとして、では本題の『松風』について。あのときの『松風』の地謡は豪華な顔ぶれでした。地頭が父(粟谷菊生)、副地頭が友枝(昭世)師、左端に能夫さん、右端が幸雄叔父と、まあ贅沢なことで有難かったです。でも申し訳ないのですが、非常に豪華過ぎて・・・船頭が多すぎたというか…。

能夫 相殺してしまうかもしれないね。(笑)

明生 原因は私でして…。皆様、私のことを心配されて謡われるものですから、譲り合う、というか…。地謡は、少し負を背負っている方が却ってよいことってありますから。

能夫 負と言っても地謡を謡えない人では困るが、喜多流は人数が少ないから、適度なバランスが必要だね。

明生 『松風』を今までに何回演られましたか?

能夫 僕の披きは昭和63年の粟谷能の会でだった。その後は、青森の公演で一度しているね。それっきりかな…。

明生 能夫さんのお披きでは私がツレを勤めましたね。それで私のほうは研究公演の十年後、平成17年の粟谷能の会で再演しましたが、二度目も父が地頭をしてくれまして。最近ようやく父の謡の味、というか、良さみたいなものが判るようになってきて、まあ遅ればせながら、有り難みを噛みしめているのですが…。父の謡は音量も調子も大きく、高く、自分の肉体疲労など考えずに、シテを盛り立てる、舞台を支える意識で謡っていたように思えます。特に『松風』はホットに謡うようにしていたと…。冷たい『松風』ではダメな気がしますが。

能夫 そうだね。ホットな感じだね。僕も『松風』を謡うとなるとなんだが、特有の意気込みというか、感性が湧いてくるよ。『松風』は詞章もいいしね。シテの謡も含めて、『松風』は『道成寺』に匹敵する、いやその上を行く曲だよ。だから『道成寺』の次の課題曲となるわけさ。

明生 『道成寺』が終わると、次は『松風』。『道成寺』も難しいですが、『松風』はもっと上。能役者ならば目指さなければいけない曲だよ、とよく言われていましたね。
確かに『道成寺』はいろいろ秘技があり、難易度は高いですが、鐘入りすれば、誰にも見られない、一息つける場があり、我に帰ることが出来ます。ところが、『松風』は汐汲みの段が終わり、やれやれ前半が終わったか、と思う間もなく、曲は後半に続行されていくわけで、長丁場の苦しさ、体力が必要ですね。

能夫 『松風』はとてもやり甲斐のある大曲だね。シテ(松風)とツレ(村雨)の力が拮抗していなくてはいけないし、中入りがないのも特殊であるし、憑依する面白さもある。能のいろいろな要素が入っていて難易度が高くなっている。夢幻能であるようで現在能のようなところもある。『道成寺』はある意味、運動能力を試される、体育会系の成果を期待されるが、『松風』はそれだけではない。だから『道成寺』に取り組むと同じような懸命な意識で稽古して、技術面と精神面の両方を磨かないと、処せない曲だね。『松風』には映えがある、それが難関だよ。

明生 ですから早いうちに一度経験しておく必要がありますね。どのくらいの負荷がかかるのかを身を以て知ることが第一で、ある年齢になったら自然と出来る、という領分のものとは違うことが判らないといけないと思いますよ。

能夫 明生君はいつもそう言っているね。

明生 力量に合った経験の積み重ね、が大事で…。『松風』は確かにシテとツレが拮抗する曲です。だからまずシテを勤める前にツレをきちんと経験していなくてはいけない。辛いシテツレの経験無しで、シテなど言語道断ですよ。だから、日頃の学習が大事で、『松風』のツレの指名を受けられるような状態、条件を備えていなければいけないですね。そこを満たして、はじめてシテという晴れ舞台に上がれる、能夫さんが言われる、競泳のスタート台に立てるわけですね。『松風』のツレ役は、謡は多く、足の痺れも心配で、逃げたくなる気持ちも判りますが、まあご指名がかかる喜びみたいなものもありますからね。

能夫 先輩に、「頼む、やってくれよ」と言われたときの嬉しさって、あるじゃない。

明生 嬉しさの反面、不安感もあってね。でもその経験を活かさないといけないですね。そしてシテを勤めると、次にツレを演るときに、「あっ! こう動けば、この程度に謡えば」という程度が判ってきます。それ以前は、ただ書付にある通り機械のように動き謡うだけでしたから、悪くはないが、良いわけがない。パターン化されて…。

能夫 昔は皆、パターンでやっていたよね。明生君の最初のツレのシテは菊叔父ちゃんかな?

明生 そうです。27歳の時、大事なところで謡を間違えて、恥かきました。楽屋で怒鳴られるなあと覚悟していたら、父の無念そうな顔、妙に静かに「しっかりして頂戴よ」と叱られたの、今でも覚えています。大反省です。そんなこともあり、能夫さんのお披きの『松風』のツレは改心して…(笑)。あのときは能夫さんに細かく、ツレの立場での心持ちまで教えてもらい、あれで能の面白さを知った、引き込まれた、といっても過言じゃない。それまでツレであのような細かい稽古は正直無かったですからね。パターンで覚えるだけでしたから…。それが33歳のときです。

能夫 『松風』というのはシテ・ツレが二人で一人みたいなところがあって一緒に創ろうとする気持ちが絶対必要でしょ。ツレが何も知らなかったら、こうやろうよ、こうやってよ、なぜなら、と説明してそれに応えてくれないと困る。運命共同体というか、一緒に仕事するわけだから。ただ昔の人たちは、そんなことはしなかったみたいで、自分のことだけで…。自分が良ければ相手も当然そうだ、と勝手に思っていたからね。まあそれで出来上がってしまう凄さもあるわけだが、僕はそういうのはいやだから。

明生 あのときの稽古のお陰で、いま役に立っています。ツレの在り方を教わり、その後、父の相手を二度、そして研究公演でシテを披いたわけですが、先ほど話したように十年後にもう一度シテを勤め、実はその間に友枝昭世師のツレを平成十四年、宮島厳島神社の観月能で勤めまして、このときはじめてまともなツレが出来たかな…と思っているのです。それまでは、どこかシテに寄りかかる気持ちが強かったのですが、あの時は拮抗出来た。そう実感したのが観月能でした。観月能にふさわしく、月がきれいな秋の夜、師の友枝さんからの指名でお役を勤め、父が地頭で能夫さんも地謡にいて、三役も揃い最高のロケーションでした。ただ書付通り、右向いて左向いてと幼稚でいたら、評価を下げたと思いますね。

能夫 『松風』はそういう風にツレが充実してはじめて成立するんだよ。姉の松風、妹の村雨、この姉妹の微妙な関係が出てこなきゃね。

明生 あの二人の姉妹の性格をどのように演じるか、このさじ加減がミソですね。

能夫 そう、それと先ほど話した、『松風』は長丁場で、中入りがなく二時間近い時間を舞台の上でさらされながら表現しなければいけない。

明生 中入りがあれば、楽屋で一息ついて変身して登場出来ますからね・・・。

能夫 中入りは、インタバルで何かチェンジして出て行ける。ところが『松風』は、己の体だけで己の世界を変えていかなければならない。肉体で攻めて凌いでいくような能だね。古作の能だから、能の原型というか、そういう特徴がある。戯曲の処理能力というか、曲を理解していないとできないね。覚悟してやらないと…、ただ『松風』をやりましただけのことになってしまい、それじゃ『松風』にならない。

明生 松風の恋慕をいかに表現するか。やはり型と謡というものが試されますね。謡の力で、恋で壊れている女を演じるわけですから。男の役者が女に扮して、その女が行平に憑依して男になる…。女性では表現出来ない世界を男が創造する、それが能ですね。女流能楽師の方々には、申し訳ないがそこには限界があると思いますよ。

能夫 そうだね。「げにや思い内にあれば、色ほかに現れさむらふぞや」、あそこは、単に上音で綺麗に謡えばそれでいい、というものではないよね。やはり、生々しい恋の能だから、型で処理するのではなく、何か心情が前に出たり、後ろに引っ込んだりしないとね。それが見えないと・・・。

明生 『松風』は熱い恋、『野宮』は何か冷たい愛…。

能夫 両者には、身分の違いもあるからね。六条御息所は高貴な人だもの。でもカッと燃えるところもあって…。

明生 御息所の燃えるのと、松風のお姉様の狂気とを演じ分けないといけませんよね。同じ手法では無理ですから。演ってみてわかりました。最近、思うのは、温かみのある謡や舞、ということ。父の『松風』は温かだったなあ、と。私も温かく演りたいなあ、と…。

能夫 温かさね、判るよ。『松風』は内に秘めてだけではない、ふと表に溢れ出てしまう感情、そういうものが起きないと、世界が立ち上がらない気がするね。

明生 『野宮』と『松風』はどちらも「破之舞」がありますが、これも質が違う気がします。破之舞は『羽衣』でも舞いますが、あれは最後の付録、サービスの舞です。それに対して『野宮』や『松風』の破之舞は序之舞よりも想いが強くストレスもある。両者の微妙な違いを舞い分ける心が大事だとわかったのは、やはり経験からですね。『松風』を勤めて、破之舞の重要性を知りました。『羽衣』だけでは破之舞は語れませんからね。

能夫 『松風』も『野宮』も破之舞が醍醐味だね。舞ってて楽しいもの。ところで「真之一声(しんのいっせい)」だけれど、あれ、おかしくない? 嫌じゃない?

明生 真之一声は脇能の出囃子ですよね。脇能以外ではこの『松風』だけですか? なるほど・・・、なぜ真之一声なんですかね。

能夫 根拠はないよね。『松風』という曲を大事に考えたからかな。でも鬱陶しいよ。似合わない。

明生 身分は低いし、神々が現れるわけではないし、神への祈りがないのに、空虚な感じがしますね。

能夫 汐汲みという作業をしている、いわば労働者に真(まこと)の一声だからね。考え直してもいいような気がするな。違和感あるよ。真之一声で厳かにやらなくても、リアルな今を謡ったほうがいいんじゃないのかな。

明生 今後考えてもいいかもしれませんね。私は、研究公演の披きは、普通に小書なしで、十年後の再演は小書「見留(みとめ)」で勤めましたが、喜多流の小書にはこの他に、身体の身を使う「身留(みどめ)」、それに「戯之舞(たわむれのまい)」がありますね。父は「見留」一辺倒で、すーっと幕に消えて入っていく景色の良さを一番に上げて、「見留」が一番、が口癖でした・・・。

能夫 『松風』は各流儀にたくさんの小書があるね。やり様もいろいろだね。

明生 「戯之舞」の面白い実先生のお話がありましたね。「戯之舞」は元来、十四世喜多六平太先生が、観世清廉氏と『求塚』と交換しようとされたが、喜多身内から反対があり取り止めになり、後に、昭和44年に実先生が観世元正氏に再度お願いに伺い頂戴した。そのお礼にと何か差し上げます、とおっしゃったら、『鸚鵡小町』の型付をいただいています、とのお返事だったとか。
まあ、経緯などどうでもいいのですが、私、次回はこの「戯之舞」でやってみたいと思っているのですが…。この「戯之舞」を再考し、「真之一声」についても考えてみたいですね。『松風』は体力がいる曲ですから、早めに計画しないといけないな。実先生のように15,6回も出来る立場とは違うので、還暦前にもう一度…。

能夫 ほんとうに体力がいるからね。やり様はいろいろあるけれど、型の連続だけではできないということは確か。技術力だけでは絶対に解決できない。内面の演技ということかな。そこに恋する女がいなければいけないからね。

明生 はい。シテが出来ればいいですが、地謡でも同じような気持ちで謡いたいと思います。地謡は、隣同士お互いの主張があり、ぶつかり合いがあって、そう出来れば上質な地謡が出来上がるわけですから。

能夫 隣同士、前列と後列でも、絶妙な呼吸を大事にしたいね。『松風』のシテをやることで、ツレがわかり、地謡がわかる、そういう相互性が大事だよね。

明生 みんなで創り上げていく。これがすごく刺激的。刺激し、感じていければ、次にシテを勤めるときに、自分はこうしたいという、なにかが生まれてきますから…。

能夫 そういうものが重層化したときにふくらみのある、温かさが出てくるのかもね。

明生 大事なもの、大曲をすればするほど、そういった底力がないと出来ないなと思いますね。それが今の素直な感想です。どうやって地頭を盛り上げ、シテを盛り上げ、囃子方も含めて、曲全体を創り上げていくか、大事な課題だな…。

能夫 そうやって全員がやらなければいけないんだよね。全員の曲への理解を深めていく。それができたとき、流儀全体のレベルが上がっていくんじゃないかな。

明生 そうですね。なんだか私の『松風』の話ばかりになってしまって…。では次回は能夫さんの『小原御幸』についてですね。

(つづく)

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