演劇における演出ということ

ロンギの部屋

演劇における演出ということ

喜多流能楽師 粟谷明生
女優     金子あい
舞台スタッフ 伊奈山明子

今年(2009年)の5月2日に、「六道輪廻」という演劇を観に出かけた。
主演に和泉流狂言の人間国宝・野村万作氏、演出および出演に野村萬斎氏、脚本が笠井賢一氏。また、麻実れいさん、若村麻由美さんといったお名前がある。他に狂言師のお仲間、深田博治氏、高野和憲氏、月崎晴夫氏も出演されている。そして、私の弟子で女優の金子あいさんが出演し、演出助手として伊奈山明子さんもかかわっている。そこで、観劇の後、「六道輪廻」に関わった二人の弟子と、演劇について語り合い、面白い話も出たので、ここに書きとめておくことにした。

(粟谷明生)

■役者と演出家

粟谷 現代演劇に関わっているお二人と、能と芝居みたいな話ができれば、と思いまして… 。能では、シテが出演も演出もすべて一人でやりますが、現代演劇ではそれを分業しているわけですね。分業するよさも知りたいし、逆に分業しなくてもいいところもあるでしょう? そこが知りたいですね。

金子 そういえば、演出家はいつから職業としてあるんでしょうかね。 現代演劇に関して言えば、興行の規模が大きいほど分業されていますよね。小さい劇団なんかは人手もお金もないから皆で力を合わせて何でもやらなければならない。あえて共同演出なんというのもありますよ。ひとつ言えることは、古典でなく、新作を創る場合はある程度客観的な 目が必要なんじゃないかしら。つまり主観に埋没してしまうと、その作品をお客さんが見たときにどう感じるかということが全く分からなくなってしまう。自己満足的なところで終わってしまう危険がある。 世阿弥の時代にも本当に演出家はいなかったんですか?今のような演出家というようなことではないにしても、誰か、客観的に見ていたのではないかなと。


伊奈山 実際に演出家はいなかったけれども、大名たちが演出家的な目をもっていて、ああだこうだと言ったのでは?


粟谷 確かにそれはありますね。大名たちは、彼らのパトロンであり、また良い目を持った観客でもあったでしょう。
そして演能者たちが、作品を上演するごとに観客の反応をみて、作品を練っていったのでしょうね。
粟谷明生


金子 長く続いている芸能は何百年とやっているうちに、これ受けないねというものがそぎ落とされていったんでしようね。最初はつまらないものもたくさんあったと思いますよ。だから、年月が客観性を持たせてくれたというか、そんなところがあるんじゃないかな。


伊奈山 そうですね。いまだに観阿弥・世阿弥の作品が上演されているわけですが、その間にそれらの作品もいろんな演出の変遷をたどってきたでしょうし、時代に合わなくて廃れたものもたくさんあるでしょうね。
喜多流は五流のなかでは最後にできた流派ですが、新進気鋭ともいえた江戸時代の喜多流にも、演出家はいなかったのでしょうか?


粟谷 演出家みたいなものの記載は伝書をみても無いですね。シテ方のセンスに任される…。それが座の長であり、最後には家元に責任がいく事になるのでしょうが…。所詮シテのやりたいように…。


金子 たとえば新作能を、突然、明生先生がシテでやることになったとします。1ヶ月の稽古期間で来月やりますということになったら、その能のおもしろさをどこで判断するか、シテとしてどうするかということになるでしょ。やっぱり自分のかわりに見てくれる客観的な目がある程度必要だなというときに、そこに演出家という分業でやる人が現れてくるんじゃないかという気がするんです。


粟谷 なるほど。

金子あい


金子 つまり新しい作品を短期間でよりよく創るための職人さんみたいなところがあるんじゃないかな。現在の能の上演作品は蓄積されて、能楽界全体のレパートリーになっているんですね。たとえば『船弁慶』を明生先生しかやらないわけではなくて、誰でもやれる状態になっている、みんなが曲をシェアしているんですね。そうすると自分がやらなくとも、誰かの演じるものを見ることができる。そして誰かが演じるものに協力して、自分も参加しながら、その作品を見ることもできるわけです。お互いに見ながらやれるというのは、長年続いている「劇団」としてのメリットじゃないですか。

■「芝居しろ」「ちゃんと謡え」とは?

金子 話は変わりますが、テレビで女座長の大衆劇団のことをやっていたんです。座長の娘が16歳で主演を務めることになって。子別れの話なんですよ。当然、座長のおっかさんが演出というか指導をするわけですよね。
娘の方は今風の顔をした、そう「モーニング娘。」にいるような可愛らしい女の子なんです。それが舌足らずで、「あっしにゃあ・・・」なんてやっているんです。お客さんがおひねりを飛ばしたりして。微笑ましいんです。
座長のおっかさんは厳しくてね、「ここが一番の芝居どころなんだから、もうちょっと芝居しなきゃダメだよ」とか、言っているんですね。それを聞いて、ん?と思って。16歳の未熟な女の子に、「芝居する」というのが何なのかわかるのかなと。私なんかずーっと未熟なので、未だに分からないし出来ない(笑)。「芝居しろ」だけじゃなくてもっと順序だてて教えたりしてもいいのに、と思っちゃった。


伊奈山 「見て、真似ろ!」という世界ですよね。


金子 そうやって彼女はやってきたし、娘もやっていくんでしょうけどね。


粟谷 「芝居しなさいよね」というのは非常に面白いね、私も「ちゃんと謡えよ」なんていいながら、「ちゃんと」って何?みたいなものを恥ずかしながら感じてしまうときがあるのですよ。


金子 それをちゃんと順序だてて教えて欲しいんですよ。


伊奈山 伝統芸能の世界にはそういう順序立てみたいなものはないんですかね。


粟谷 「芝居をちゃんとしなさい」と言われても、子どもはその芝居の「し」の字も知らない、いや薄々知っているのかもしれないが…、果たして合っているのか疑問。指導の言葉って気をつけなきゃいけないね。同じようなこと能楽師にも言えますね。だから、そこをちゃんと把握出来るようにクリアーしたいね。

■ベーシックなテクニック

金子 お芝居でもそうなんですけれど、見て盗めということになると、その見る側の資質だのみになってしまうところがありませんか?_
言葉は悪いですけれど、盗み取る力がある子は、明生先生がどうやっているかを見てどんどん吸収していくわけですが、もしかすると才能が隠れていても貪欲に学ぶという意識が覚醒していない人だと、いたずらに時間が過ぎていってしまう。花開くまでには時間がかかる。その人が覚醒するのを待たないとならない。もちろん目に入っているものはどこかに記憶されているんだろうけれど。人間の記憶って一度目に入ったものは一生忘れないんですってね。思い出さないだけで。今日一日に体験したことは私たちの脳味噌に全部入っているんですよ。


粟谷 そうか。今日こうやって話したことも全部。だけど人間、忘れるからうまくやっていられる、ということもあるね。(笑)


金子 そういう意味でいうと、「門前の小僧、習わぬ経を読む」というのはありますよね。習わなくても、見ていることが脳に蓄積されていて、だから家の子は他の子よりできるみたいなことがあるわけですね。それは絶対的な好条件なんですけれど。ただ、現代的な演劇とか他の芸能をやっていると、短期間で結果を出さなければならない場合も多いから、すばやく結果を得るために論理的な教え方をしてもらうということも必要になってくるんですよ。


粟谷 そうか、金子さんは論理的に教えてくださいって、よく言うね(笑)


金子 ハハハ、言いますね。年月を積み重ねなければ、身につかないということはもちろんありますが、能楽の方でも後進を育てるというときに、もうちょっと、ベーシック技術部分みたいなものをちゃんと論理的に教えてもいいのではないか。もう少し整理して積極的に使っていってもいいんじゃないかという気がするんです。


粟谷 そうですね、でも私自身がそのように教えてもらっていないので、どうしたらいいのかわからない、これが本音です。他流にはもっと合理的で論理的な指導法があるのかもしれませんが…。喜多流はその点については稀薄というか…。


金子 現場では俳優のテクニック的な部分を指摘されることは少ないかもしれないなぁ。


粟谷 テクニック的な部分は指摘しない?


金子 できて当たり前なんですけれど、役者によって技術的なレベルにばらつきがあっても余り論理的な指摘はしないような気がする。外国の演出家なんかだと細かく言う人もいますよね。古典をいろいろやっていると、発音とか滑舌(かつぜつ)とかに敏感になりますね。年のせいかもしれないけど、若手のセリフが聞き取れない時があります。


伊奈山 滑舌が悪いと、言葉がわからないから作品の内容もわからなくなってきますよね。


粟谷 私は大丈夫かな?


金子 お能の発声はちょっと違うので何とも言えないんですけれど。


伊奈山 私はオペラをやっていましたが、発音や発声にはとても細かい指摘がされますね。


粟谷 プロに言うわけ?


伊奈山 プロに言いますよ。オペラの言語はイタリア語やドイツ語ですから、日本人にとって非日常の言語ですからね、必ず公演の際には専門家がついて、歌詞の正しい発音やアクセントを教えます。
発声についていえば、肺や横隔膜、声帯の構造もしっかり勉強しますしね。西洋の芸能は理論に基づいて教えられますね。

伊奈山明子


金子 外人の演出家と仕事をしたとき、「アーティキュレーション(明確な発声の仕方)が悪すぎる、なんて言われて、口のまわりが筋肉痛になるほど指導されました。そのときは、ばかばかしく思うんですけれど、結局、後で色々役に立ちましたね。


粟谷 すごいなあ、それは。


金子 「S」の音とかね。

粟谷 どういうこと?

金子 「さ・し・す・せ・そ」のSの音をはっきり発音するということなんです。「し」なら、しの前に 「スー」(無声)というSの音がくっつく感じ。花咲くの「咲く」だったら、「(S)さく」のように発音するんです。これは新内の師匠にも言われました。


伊奈山 西洋の言語だったら、子音を発音するということは当たり前ですね。


粟谷 能もそうなのかな?


伊奈山 私の個人的な意見ですが、能は聴いていると、子音を立てて発音しているところがあるなと思います。
ちなみに「劇団四季」ではそれと逆に、日本語は母音が大切だ、ということで母音発音でやっていますね。たとえば、「キミは明生くんですね」というのを「いいああいおうんえうえ」って練習するんですよ。


粟谷 何だ、それ?


伊奈山 母音だけで発音させるんです。


粟谷 それは何か効果があるの?


伊奈山 日本語は母音が大切であるという理念で訓練しているようですね。


金子 言いにくい部分をそれで練習すると、言いやすくなりますよ。


粟谷 喜多流は発声については何もしていないね、ていたらくでしてね。正確に記憶し、正確にリズムに合わす、それで吉としているところがありますよ、もっと勉強しなきゃいけないね・・・私もだよ。


金子 長い年月、謡というものが醸成され、完成度が高くなって、お能独特な発声法は確立しているんでしょうが、その一番いい発声法はこうですよという論理的な教え方があるわけではないんですね?


粟谷  そうですね、口伝みたいなものに頼っていますね。能は面をかける曲もあるでしょ、そうなるとこもった声に聞こえます。それは仕方がない、それでいいんだ、と思っている人いるのですよ。やはりはっきりと伝わらなければね?私、知らない曲で何を言っているのかさっぱり分からなくて、初心者の気持ちが判ったことがありましてね(笑)


伊奈山 先生でもわからないことがありますか・・・。


粟谷 僕は今出来る限り声が正確に力強く伝わるようにと心掛けていますが…直面物でたとえば『安宅』の弁慶は面をかけませんからよいのですが、面をかけるものは、毎回同じ面を使用するわけではないので、面当ての具合が悪く、しまった!口が開かない、なんていうときもあるのです。あ??と悔やむが時すでに遅しですよ。


伊奈山 現代人にとって能を理解するのに難しいな、と思われてしまうのは独特の発声に加えて、内容ですよね。
能の本説といわれる作品、たとえば「源氏物語」、「平家物語」といったようなものを昔の人は、そういう物語の内容を分かっていたから謡も聴きとれただろうし理解もしやすかったと思うんですよね。


粟谷 そうですね。
でも、諸大名やその取り巻き連中は分かっていたかもしれないけれど、その下の強制的に見せられていた連中はがどうだったろうね?

伊奈山「平家物語」でいえば、琵琶法師が諸国を渡り歩いて聞かせていたわけですから、庶民にも十分知る機会はあったでしょうね。「源氏物語」も、たくさんの写しがあったようですから、室町期には庶民までとはいかなくても相当広まっていてもおかしくないと思いますよ。
それに『道成寺』のように、民俗的なものも能の題材になっているわけですし・・・。
少なくとも、今の我々より能の内容が身近だったのではないでしょうか。


粟谷 確かに現代の人よりも室町や桃山の時代の人のほうが能の物語の内容を理解していたことはあるでしょうね。
室町から安土桃山時代というのは、日本史で一番すぐれたものを創り出した時代で、面や装束を見ると納得させられますよ。江戸期の特権階級の武士だけというのではなく、民衆を意識して一体となっていた時代ですからね。
江戸期は、きめられた雛型に押しこめられ自由な発想がなくなる、面や装束も創作から模写へと。模写がダメということではないですよ、模写も大事です。結局、長年の継続、変えずに守るという日本の伝統というものが、ひな形が好きなのです、でもやっぱりあの室町、桃山時代のエネルギーみたいなものが一番すばらしいと思いますよ。
たとえば海で死んだ男の顔を想像して「蛙」という表情を打つ、すばらしい想像じゃないですか。

■健忘斉の伝書を読んで

粟谷 喜多流の中興の祖といわれる九代目古能健忘斉の伝書を読むと、健忘斉がどうしてこんなに優れているのか、江戸時代初期に承認された新参者の喜多流が、何故他流を超えて健忘斉があれほど隆盛をふるえたのか?と不思議に思ってね、


金子 なぜかしら?


粟谷 あの時代、観世大夫も宝生大夫もお若くて、下掛の金剛も金春も喜多とは親戚関係にあるからね。時期が良かった。健忘斉は面の善し悪しの見極めの面利きの書物を書いたり、謡い方を説明した「悪魔払」を書いたり、話しているわけ。喜多流は新興勢力だったけれど、健忘斉のお陰で隆盛になり、その後の者も助かったことでしょう。そしてもう一つ忘れてはいけないのが、その次の十世十太夫寿山という人。「先生はこうおっしゃいました」と詳細に書き留めたものがありますが、その業績を評価したいですね。


伊奈山 「申楽談儀」と同じ形式なんですね。


粟谷 能楽の研究では第一人者の表章先生が、喜多の研究をなさったのは、新参者ではあったけれど、健忘斉が書き残した物に興味をひかれたのではないかと思うね。世阿弥の「花伝書」はとても素晴らしい。しかし、その後書き残す作業が少ないのは残念ですね。健忘斉は舞台のことをすべてを網羅して何から何まですべて書いたわけだよ。精神論までね。


伊奈山 世阿弥の最大の功績は伝書を書き残したことですよね。
世阿弥は、観阿弥や息子の元雅の優れた芸のことを書いていますが、私たちはその芸を観ることはできないですからね。
世阿弥が書き残したからこそ、彼らの芸がどうであったか、どのような考えにおいて上演していたか、600年の歳月を経て私たちが知ることができるわけですからね。


粟谷 だから、演じるだけ、話すだけでなく、それを書き残すことの大事さを私は言いたいわけ、観世寿夫さんはすぐれた能役者でありながら、書き残した資料の多さには驚くよ、すごく多いから、それがまた偉大でね。


金子 でも、300年ぐらい経ったら、中興の中興は明生先生、みたいなことになるかもしれませんよ。(笑)
私、この間、仕事で今様を歌わされたんです。今様なんか知らないのに・・・。それはそうとして、今様って「梁塵秘抄」に中に、今様というものを書きとめておこうと思うというくだりがあるんですよね。


粟谷 後白河法皇がね。


金子 有名なところらしいですね。要するに、文章や名画は書くことで後々まで残る。だけど歌や芸能は形に残らない、 それは非常に悲しいことなので、今様というものを書き留めておこうというんですね。芸能に携わっている人なら・・・


粟谷 後白河のその気持ち、わかるな?。


金子 私なんかも、まだ若いから形に残さなくたっていいよ、今やれればと思っていたんですけど、もう少ししたら、形に残すことにものすごく執着を感じるようになってくるんだろうなって。明生先生は私より13歳上だから、たぶんそういうところにだんだん来ているんだろうなって。


粟谷 そう、だからいろいろ書き残そうと、やり始めているのさ。この対談もそのひとつですよ。


金子 「梁塵秘抄」は今様を書き残してくれたわけですけど、残念ながらその節までは残っていない。誰かが復刻したといわれるものを、私のような役者が手探りでそれらしく、歌って見せたりしているわけです・・・。


粟谷 それが本物でなくても、本物に近いものでも、やるしかないのだね。
 

■序破急理論と心気精

粟谷 今、寿山の伝書を読んでいるのですが、序破急理論のところでの説明が面白くてね。一般的には序破急は、導入・展開・解決と説明されているでしょ。でも伝書では、序は物事の始まり、静かなること、破はそれが破れ動き出す。では、急は何だと思う? 


金子 止まる瞬間?


粟谷 いや「急、これ急ぐことにあらず、これ速やかなる心なり」と書いてある。いろいろ序破急の解説はあるけれど、これを読むと能楽師としては、「なるほど!」と納得させられちゃうね。


金子 なるほど?!そのニュアンスすごくよくわかります。分かってない人も多いのでは?


粟谷 今、序破急を無視する人が増えているように思いますが…これはいけないよね。父は理屈を並べるのは嫌いでしたが、謡や舞がもうちゃんと理屈に合っていたね。でも教える時は「俺のやる通りにやれ」だったからね。


伊奈山 
金子 なるほど


粟谷 父の教え方は悪くはないが、一般的にはそれだけではなくて…。もう少し親切に、まずは序破急に限らず基本理論は教え、習い…が、いいと思いますね。最近もう一つ面白いと思ったのは、心・気・精という項目。喜多流の大事な3つの心。この言葉、観世流でもあるようですが、「他流では心の気持ち、気の持ち、精の気持ちと3つに分けて考えるが当流さにあらず、心気精すべて1つなり」と書いてある。なんだかわかる?


金子 なに、なに?


粟谷 心・気・精。「心は不動で、気は動くもの、精は形あって無なるもの」と、むずかしいでしょ?ところが寿山の伝書にも、同じような内容が書かれていてね。能の型で、「余精」という一足出ながら両手を前に出す動作の型があるでしょう?


金子 はい


粟谷 精は「余精をもって知るべし」と書いてある。無なるものが、力余って形あるものになる、それが自然と動くような、身体内部からふわ?っと起きる勢いみたいなものなのね。それで余精なんですって。


金子 余精は喜多流だけのものなんですか?


粟谷 さあ知らない。喜多流の伝書に書いてあるから言っているだけのことですよ。『天鼓』で「月も涼しく星も・・・」で、型付には「ヨセイ」とカタカナで書かれているからその真意が判りにくいけれど、どうこの漢字を読んで説明を聞いたら?これなら判る気がしない?


伊奈山 はい、そうですね。お能にしてもバレエでも、型というものがありますが、その型ができた根拠を知らずにやっていますよね。


粟谷 はじめは分からなくてもいいと思うよ、でもある時期になってよい役者を目指すならば、分かろうと努力するは必要だよね。


伊奈山 物真似の領域を超えなければいけないというのは、そういうときじゃないですか。


粟谷 そう。型という基本を根本的に真似尽くした後のこと、それが条件だけどね。それが大人の役者への扉じゃないかな。はじめから精神論を並べても、そりゃダメでしょう。まずは基本で、それが身について応用編で…。


伊奈山 最初から精神論にいってはいけない、と。


粟谷 そう。まずは技の習得、その後に精神的な後ろ盾がほしくなる。そのとき能楽師にとってのバイブルのようなもの、伝書の必要性を知るんだね。私の場合、健忘斎と寿山、そして寿夫さんの本などもまさに後ろ盾なの。


金子 先ほどの序破急は知っていたけれど、心気精は知りませんでした。役者で本番をやるとき、心は不動なりというのは、自分がやろうとしていることがユラユラ揺らいでいてはできないということ、気というのは相手からもらうものだと思うんです。もしくは舞台に流れている目に見えない流れ、あるいはお客さんからもらうもの、それを感じたうえでやり取りをしていると思うんです。それで、精というのがいまひとつ文章にできない・・・。


粟谷 形あって無なるもの、禅問答みたいで難しいね。相手を意識するというのでは、三相応という言葉もある。役者が今何をしなければいけないかというとき、相手は今どういう年代か、相手はどういう人間か、自分はそこで何をしなければいけないかを見極める心得を持つべきだというアドバイスの言葉なので。大事な心得だけど・・・、これは割と自然に体感出来ますね。


金子 対相手の役者ということになるとそういうことなんですが・・・。心気精というのは、何か表現しようとするときに空中に浮かんでくるものに対する役者の心得のような気がして・・・。


粟谷 あとは自分で体得して(笑)序破急理論、心気精、三相応、みんな3つね。


伊奈山 世阿弥の一調二機三声も3つですね。私、この言葉を大切にして声を出すようにしています。


粟谷 声を出すとき、まず調、声の響きなるものを意識して、機はコミですね、そして声、声は「心声に発すとて、おのが心の邪正、おのずから声にあらわる」と悪魔払にあるけれど、調子、機会、声柄を考えるということね


金子 心ある役者なら、どうしようかなといつも考えながら声を出していると思うけれど。でも、中には考えなしで、ドバーッと声を出してしまう役者もいて頼むから出さないでといいたいときもある(笑)。


粟谷 それは、能楽師とて同じ事。とても大事な教えです。


伊奈山 オペラでも一緒ですね。


金子 型やメロディがあるものは、なんとなく声を出してもできるところがありますが、普通の役者は三番の声しかないわけですよ、メロディもなければ型もない。何もないから、感情だけがあって、声ができていないということはありますよね。だから何言っているかわからない、気持ちは分かるけど…みたいなことになる。両方が両立するような訓練がもう少しできるといいんじゃないかなと思います。


粟谷 確かに、日本人の指導者や経験を得た人間が、それなりのものを次の世代に、もうちょっとわかりやすく言わないと、今までのやり方とは別のやり方で教えないといけないということなのでしょうね。
今日はどうもありがとうございました。

(平成21年5月 記 白金・桂寿司にて)

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