傘寿、目の前

傘寿、目の前

粟谷菊生

 年をとるというのは大変なコトなんだ、高齢になって生きている人というのはエライんだ・・・とつくづく思うようになった。
 吉行あぐりさんのような方は稀有だと思う。九十九.九%の人は高齢になるに従い、何らかの故障が身体に出てくる。頭にも、肉体にも。一度つまずくと、多くの場合その支障を引きずって多かれ少なかれ苦痛と闘いながら生きて行かなければならない。
 僕も四年前に自分の不注意と、まずい巡り合わせで脳梗塞になり、左脚に不自由を感じるようになった。言語に支障を来さなかったのは好運というか、神様のおはからいに感謝せねばならないが、脚のハンディを克服して舞台で舞うことは、その都度ギリギリ精一杯、渾身の闘志で立ち向かうしかない。いつも、これが最後だ、これが最後だ・・・と思ってしまう。自分の思うようにならない肉体をカバーするため、謡には、これまで以上の・・・もちろん、今までだって謡には常にベストを尽くしてきたつもりだし、又僕にとっても謡は大好きなので、おろそかに謡ったことは一度も無いが、・・・それでも謡の一言一句を、これまで以上に万感の思いを込めて、表現し得る最大限のものを出そうと、真底そう思って謡っている。
 はてさて、こんなことを字に書いてしまっては、僕自身、なんだかふうっと拍子抜けしてしまう感じ。何故なら演じている時は、そんな客観的な思考などは、まるで無く、ただただ全身全霊、一丸となって、そのものになり切っているだけなのだから。ただ以前と違って観てくださっている方々に、肉体の支障を感じさせないようにしようと細心の配慮を必要とし神経をも使わねばならなくなっていることは事実だ。そこで加齢の悲嘆をしみじみ味わっているわけだが、生きとし生けるもの必ず終わりはあるので、老木のあとには若木が萌え出るのは理の当然。息子、孫、甥、そして流儀内の若手たちが、ぐんぐんのびてくるのを見るのは心強い。あと五年は生きてくれと息子と甥に言われている。新太郎の七回忌や益二郎の五十回忌の追善能をしたいからと。自分自身は明日死んでよいと思っているが、伝えておかねばならない事もまだまだあるのが、もう少し生きながらえさせて貰うよすがとなろうか。
 妻には「死ぬのは、ちっとも怖くはないが貴女に逢えなくなるのが淋しいし、イヤだなあ!」と云った。こういう言葉を私の年代の者がぬけぬけと言えますか?言えないでしょう。日本の古き夫たちよ、もっと素直に心の内を妻に表現しなさい!でも、こう僕が言った時、我が女房殿は「その科白(せりふ)、どこで覚えていらしたの?」・・・そして何秒か間をおいて「それ何人に仰ったの?」・・・と。ギャフーン!

写真「頼政」粟谷菊生 撮影 三上文規

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