芸術院賞受賞に因んで

「芸術院賞受賞に因んで」

粟谷菊生

平成十一年度の日本芸術院賞受賞の内定は三月はじめに発表されましたが、授賞式は六月十九日に上野の日本芸術院で行われました。前日の十八日、野村萬さんの古希と初世披露を祝う会が国立能楽堂で催され、私は乱狂言、(ワキ、囃子、狂言の三役が能を演じるのが乱能というが、その逆)の『唐人相撲』で唐の皇帝の役を演じることになっていました。唐に渡った滅法強い力士を演じるのは観世暁夫さん。三日前の申し合せで、次々に唐人の力士が負けてしまうので最後に皇帝が玉座からおりて自分が相撲をとろうと取組む所作で、ちょっとジャンプをしたところ、脳梗塞で不調となっている左脚のふくらはぎがピシッと微かな音がしたと思ったら肉ばなれを起し、早速医者に行きましたが、これは取り敢えずアイスノンで冷やすだけで、あとは日日薬によるしか術はないということで当日は出演不能となってしまいました。申し合せの次の日が授賞式のリハーサルの日。痛い足を引きずりながら妻に付き添って貰って出掛けましたが此の時、既に皇太后様のお傍らには御近親の方々がお集まりで、三日後の授賞式は約五十年振りの両陛下の御臨席の無い授賞式(前回は貞門皇后崩御の際)となりました。当日は、いかにも慎み深く静かに進み出で、賞状を恭しく頂くという、いとも神妙な演技(?)で、まともに歩けない足をなんとか誤魔化しましたが、両陛下が御臨席遊ばしていらしたら、もっとピーンと張りのある空気となり、式の重み、格というものが違ったであろうと感じたのは私一人ではなかったと思います。ところで、恩賜賞受賞の河竹登志夫さんが授賞式の控室で、終始じっと腰かけている私の所に来て「今日、粟谷さんと会うので新ちやん(新太郎)から頂いたモンブランの万年筆を原稿や作品と一緒に展示室に置きました」と。その昔、新宿の飲み屋で兄と大いに飲んでいたお仲間だったとか。兄が文部大臣賞を受けた時、お祝を頂いたお返しに差し上げたのが此の万年筆だったそうで、思いがけない御縁に暫し若かりし頃の新宿の夜の灯を互いに懐しく思い起しました。人間の治癒能力は三週間……。おかげで肉ばなれも段々治ってきたようです。近頃多い野球選手の肉ばなれの話を聞くと、あながち年のせいばかりではないんだと妙に自己満足している菊生です。

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