粟谷能の会通信 阿吽
今が食べごろ
粟谷菊生
僕もいつのまにか喜寿を迎える齢となってしまったが、僕より更に高齢で元気に生きていらっしゃる方を見ると心から尊敬してしまう。
この夏、菊生会・明生会合同全国浴衣会大会を仙台の秋保温泉で催したが、101人集まった中で山口の九十二才になる岡操さんが、まことに見事に源氏供養の仕舞の二段グセを舞われた。その矍鑠とした立派な舞いぶりは全員の尊敬の眼ざしを一身に集めたが、ご自分の出番になるまで、ひとり無心に練習に励んでおられる姿は、まるで少女のような純粋さがあり、彼女のお人柄と相まって、日頃の前向きの姿勢が皆の今後の指標ともなった。
この齢になってみると、九十二才で元気に背筋を伸ばして生きているという、そのことだけでも尊敬に値すると思うのに、頭も腰も足もしっかりと舞っていらっしゃる・・・彼女は僕に舞を褒められたと喜んでいらっしゃるそうだが、僕の方が彼女に啓蒙され、力づけられた思いであった。こういう人生の大先輩には心底、敬意を以て脱帽!!
「果物で云えば、今が一番美味しい食べごろだ」と云いつゞけて何十年、僕の能の切符を買っていたゞいてきた。
四十五・六の時も、五十五・六の時も、今が菊生の盛りだと云い、六十五・六になると「今、御覧になっておいたほうがいゝですよ」と、これが最後のようなことを云い・・・。四十代での隅田川は、子を失った母親の気持ちが本当に表現出来るようになったと思い、五十代では、更に深く解って演じられると思い込んでみたり、六十代になれば人生の滋味はだんだん深くなると実際に感じ、七十六になると、突如こういう型をやってみようとひらめき、東京で演った時はこうだったけれど、三週間後の名古屋の公演では又違う演出が頭に浮かび・・・、というより体が心に浮かぶ思いを自然に演じ・・・と、どうもいつになっても食べごろは盡きないような自惚れに我ながらあきれている次第。
今が食べごろ、今が食べごろと云った私の誘いにのって観に来て下さった方々に、私は全身食べられてしまって、いまや残るのは口先だけ。しかし本当の食べごろは八十代なんだ、と自分にひそかに云いきかせている口先居士。
合 掌
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