我流「花鏡」1

我流に現代風に世阿弥伝書の「花鏡」を読み解くことを試みてみます。
「花鏡」は世阿弥中期の能楽論集です。世阿弥自身が「花鏡」の最後に「風姿花伝(世阿弥38歳ごろの著作)は亡父(観阿弥)の芸能のいろいろを二十余年の間書き記したものだが、花鏡は私が四十有余歳より老後に至るまで、芸について悟り得たことを書き残すものである」と記しているように、中年以降の世阿弥自身の芸論になっていて、興味が尽きないものです。
今後数回に分けて、この「花鏡」を手元に置き、私自身が日頃感じていることを合わせて書いてみたいと思います。
その一 「一調二機三声」
謡は五音階で絶対音がありません。絶対音がないからこそ謡の面白みがあると言われています。しかし反面決められていない調子をとるというのは大変難しいことです。
「謡い初めの音の調子(高さ)の決め方と、周りの人と音の合わせ方が難しい…」という素人の方のお嘆きの声を耳にしますが、お気持ちはよく判ります。

調子の決め方には、人それぞれ工夫があるようですが、まず記されている音階よりも少し低目に声を出すようにするのがコツ・秘訣だと思います。上音なら中音位から、中音は下音から、下音は…?下音の下の音、呂音ぐらいから始める気持ちで、それぞれ徐々に指定された音まで上げていくようにします。上音なら上音、中音なら中音と、一つの音だけを変化をつけずに持続して謡うと平坦な幼稚な謡となり、周囲からは「合わせにくい謡」と言われてしまいますから気をつけて下さい。謡の場合、一定の連続音は嫌がられます。なぜなら聞いていて飽きがくるからだと思います。徐々に音を浮かしながら調子に変化をもたせ、そしてノリ(スピード)にも注意して謡うことをお勧めします。

上手な音の合わせ方としては、まず地頭(リーダー)の声をよく聞く意識を持つことが大事です。次に小声や裏声にならないように、しっかりと声を出しながら合わせます。二、三文字聞いてから「さあ合わせよう!」としても中々うまくいかないものです。連吟の難しさは素早く謡いながら揃えること、難しいですが相手とよくよく稽古することで、必ずうまく合うようになります。うまく揃うと気持ちが良く、楽しくなります。これが連吟ならではの味わいということではないでしょうか。

世阿弥の中期の能楽論「花鏡」の最初「一調二機三声・音曲開口初声(おんぎょくかいこうしょせい)」では、まず吹物(笛)の調子に心中で音程を調えるようにする、しかし音程だけ測っておいても、そこに機(気)が備わっていなければいけないと、なんだか難しいことを説いています。この説明に吹物(笛)との関係が出てくるのは、世阿弥の時代、謡は能を演じる手段で、それ用に書かれているためで、能や舞囃子のようにお囃子が入るとそこに密接な関係が生まれてきます。

例えば、曲(クセ)の上羽後の地謡は上音(=じょうおん・高い音)で謡いますが、どの程度の上音にしたらいいのでしょうか?

答えは、シテ謡を基準としますが、笛の高音(=たかね・高い音の名称)を頼りにすることで、私もそのように心がけています。シテが高く張って謡う上音の謡には、やはり地謡も高音(たかね)に沿った高い声で応えなければ舞台映えがしません。もしあなたの周囲に、シテ謡よりも低い調子で謡う人がいたら、あまり上等ではないなあー、と思って下さって結構です。そして、あなたご自身は高い調子で謡うように心がけて下さい。素謡の時は笛がないので困りますが、前記したように、周りに合わせ、まずは音を押さえながら次第に張って、ご自身でしっかり調子を掴み謡うとよいと思います。

謡の発声までの仕組みを世阿弥は「一調二機三声」と説明しています。まず「一調」とは、決められていない調子をどのように掴むかを思考し、「二機」は身体内部に思考したものに気を込める、つまり身体全体の機能を一点に集中して謡う機会を待ちます、そして「三声」最後に発声される、このような経過を経てはじめて謡の声となるわけです。この「花鏡」の「一調二機三声」以前に書かれた「音曲声出口伝(おんぎょくこわだしくでん)」にも同じようなことが記載されていますが、その最後に次のようなことが書かれています。

「声を忘れて曲を知れ、曲を忘れて調子を知れ、調子を忘れて拍子を知れ」これは有名で重要な言葉ですが、これを聞くとなんだか、みんな忘れてしまいそうな気分になります。私はそのあとに続いて書かれているところが大事で、謡の極意、この道を志す者としての心構えが記されていると思っています。

それは「音曲を習う条々、まず文字を覚ゆること、そののち節を究むること、そののち曲を彩ること、そののち声の位を知ること、そののち心根を持つこと。拍子は初、中、後へ渡るべし」です。

謡を習う順序は、まず発音の仕方を覚えること、と注意を促しています。謡の声は日常生活とはっきり区別されたものであり、生な地声はいけません。声自体は綺麗に越したことはありませんが、力が漲ってハイテンションでなければいけないのです。次に節を習得して、曲の趣を出すようにします。節扱いは技法を要します。

例えば、しほり節や入り節など難しい節遣いは優れた指導者からしっかり教わり、それを体得して曲目の主旨を理解しながら役柄に沿った謡へと進んでいきます。最後に発声自体が自分自身の身体の中でしっかり把握、制御できるように確認します。力の入り過ぎや、また入らずじまいで腑抜けに聞こえることのないようにと注意します。そしてそれらはいつも拍子というものに深く関連していると、心得ていなければいけないのです。これは大事な教えで、私自身もいつも忘れずに心がけていたいと思っています。

付録
玄人の謡の善し悪しは、それぞれ贔屓やお好みがあるでしょうから、一概には言えませんが、素人の方から玄人の上手下手の判断をする一つの目安を内緒でお教えします。
もし素人の方が玄人の隣で謡うチャンスがあったら、その時に楽しく、気持ちが良く、自分がいつもと違ってなんだかうまくなったような気がしたら、その玄人は上等だと思って下さい。逆に隣にいてもちっとも満足出来なかったら、その方は申し訳ないが、まあーたいしたことのない玄人だと……。私自身も隣で謡う素人の方にご満足いただけるようにと精進しているつもりですが……。

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