阪大喜多会誌「邯鄲」に寄稿 

今回の菊ちゃんの一言は、阪大「邯鄲」への寄稿文を記載しました。

阪大喜多会誌『邯鄲』第35号に寄せて 
                                   粟谷菊生                              

 阪大喜多会は1971年度卒の寺川知良君、下城圓君、福田全克君が草分けということになるのだが、阪大謡曲部の長でいらっしゃった出口庄佑先生も大変お力添え下さって、年々恒例となった阪大喜多流能を催す立派な会となっている。寺川、下城両君は父上たちが以前から僕のお弟子さんだったのだが、寺川君は中学生時代から稽古に来ていたので、彼とはもう40年以上のおつき合いとなるのではないだろうか。
 今年5月に西本願寺会館で、大勢の翁会(阪大喜多会OB・OGの会)のメンバーたちと、現役の数名が加わって、僕の傘寿を祝ってくれた。卒業後、各方面に散らばっていたメンバーが、よくぞこの日、一堂に会して下さったと感激した。今では50代を超えている人もいて、多士済々、すっかり貫録がついているのに、話をしていると、学生時代のそれぞれの顔にダブって・・・・というより僕の中には昔の若い顔貌が、そのままによみがえって懐しい一ときを過ごした。が、はて、それでは相手には自分の顔はどう映っただろう。この過ぎ去って行った何十年という時の流れを共に、今この顔貌になっている己れの加齢に気づき、ちょっぴり溜息と哀惜をおぼえてしまったのも正直なところだ。
 丁度僕が結婚した頃に始まった東大喜多会は、30年程前に途絶えてしまったのに反面、阪大は先輩の新入生や後輩たちへの面倒見の良さと相まって、何か温かい横のつながりとフレンドリーな雰囲気が、今まで綿々と長つづきしてくれている要因ではないかと思う。僕はそれをとても喜ばしいこと、有難いことだと思っている。
 いつだったか、4月の入部勧誘のキャッチフレーズが「人間国宝に触れます!!」だったそうだが、こういう文句を考えつく学生さんってスバラシイですね。でもこんな老体に触るの面白いですかねェ。それより「人間国宝に触られちゃいます」なんてのにしたら?
 女の子は入ってこなくなるでしょうね。
 最近になって指導は息子の明生が引き継いでくれているが、このまま、ずっと続いて、皆さんのお子様たちが明生に、その又お子様たちが孫に習ってくれるようになって”阪大喜多会は永遠です!”と末長く伝承して行ってくれるといいなあ、と思うのは少し息が長過ぎる話?些か翁さびた話になってしまったかな。

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