来年も 此の桜 また見れるかと 
   年々おもう 年齢(とし)となりけり

と僕の心を妻に詠まれてしまったが、この数年来、家の前の桜並木の花を見上げては、本当に、毎年、そう思うようになった。
  昭和四十四年、見渡す限り何もないようなキャベツ畠の中に家を建て、風が吹くと関東ローム層の赤土が舞い上がり、一日に何回も掃除しなければならないと妻がボヤいていたが、その内どんどん家も増え、区が道を舗装して桜まで植えてくれて、短い距離ながら「桜通り」と名づけられてから、もう何年になったろう。
はじめは、ひょろっとしていた細い幹が一抱えもあるように太くなり、毎年見事な花を咲かせ、花の散った後は青葉を繁らせてくれる。染井吉野の並木の中、うちの前の一本だけが八重桜だ。或る年、台風で家の前の桜が我が家の方に傾いてしまった。区の担当と思われる所に電話したところ、早速来てくれたのは良いが、幹に縄をかけてトラックで引っ張った。ナント乱暴なこと! その桜は可愛そうにメリメリと音を立てて折れてしまった。そして、その後に何故か八重桜が植えられた。天に向かって上に伸びる枝々から幾重にも花びらを重ねた八重桜の花はポッタリと下に向いて咲いている。
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妻は染井吉野の方が好きというが、僕はいつの間にか此の濃い桃色の八重桜に愛着を持つようになっている。何か艶なる色気を感じてしまうのだ。悪く言えば爛熟した年増の色気か? とは言っても女性に対する僕の好み、いまの言葉でいう、「タイプ」は必ずしもそうではない。念の為(ため)。
 八重桜は遅れて咲くので、夜タクシーで帰る時「一本だけ花の咲いていない木の前で止めて下さい」とか、染井吉野が散ったあとは「一本だけ花の咲いている木の前で止めて下さい」…と。ほとんど毎夜アルコールの入っている老人は、舌のもつれを悟られまいと正しく発音するよう、無駄な抵抗かもしれないが、それでも懸命な努力を口の筋肉に課して、運転手さんにそう告げる。では花の咲いていない時季は?
「路面に30kmとペイントしてある上で止めて下さい」と、この時ばかりは、ちょっと英語など使ってみるのであります。満開の桜、花吹雪、八重桜、僕は心ゆくまで上ばかり見て楽しんでいるが、下ばかり見て、散った花びらを掃き集め、毎日のように大きな袋に入れてゴミの日に出さねばならない人の労苦は、嬉しがってばかりもいられないらしい。雨の日は散り敷いた花びらに滑りそうで老人は殊に御用心! それでもやっぱり桜はいいですなあ。日本人だとしみじみ思う。 

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