品川薪能にて(屋内で) 『船弁慶』を勤める

品川薪能にて(屋内で)『船弁慶』を勤める
粟谷明生



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品川区と十四世六平太記念財団(公益財団法人)の共催で、今回はじめて「品川薪能」が企画され、私が『船弁慶』を勤めることとなりました。(平成29年9月28日)

喜多流の本拠地、喜多能楽堂の最寄り駅は目黒ですが、住所は品川区上大崎です。ここ数年前より十四世六平太記念財団と品川区とのお付き合いも深まってまいりましたので、今後も、多くの区民の皆様に能に親しんでいただき、日本の古典文化を浸透させたいと思っております。

「薪能」は夜のしじまに幻想的に浮かび上がる能舞台のイメージで、初めてご覧になる方にも、長年能に親しんでおられる方にも興味をもって観ていただけるものです。「品川薪能」は区内にある「文庫の森」に特設能舞台を作り催す予定でした。野外にある能舞台を使うのと違って、特設能舞台は、その日のために敷舞台を組み合わせるところから始まるので、舞台作りがなかなか大変です。



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今回は、前日からの大雨と当日も雨が予想されたので、屋外ではなく屋内の「きゅりあん大ホール」での催しになりました。ご覧になった方からは「夜空の下での薪能を期待していたのに・・・」とのお声を聞きましたが、お天気ばかりはどうしようもなく、関係者一同、とても残念に思っております。来年は是非屋外での薪能となりますことを祈念しております。

「きゅりあん大ホール」での公演も「薪能」の様式にのっとり、火入れ式を行い、品川区長の濱野健様や六平太記念財団理事長の近衛忠大様、町会会長様に火入れにご参加いただき、屋内でも薪能の雰囲気作りをして、多くの皆様方にご鑑賞いただけた事を嬉しく思い感謝しております。



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私の『船弁慶』は平家を滅ぼすに勲功があったはずの源義経が、兄・頼朝と不和になって西国に落ち延びようとする道中の話です。前場では愛妾・静御前(前シテ)との別れを描き、後場では義経や弁慶らを乗せて漕ぎ出す船に、平家の猛将・平知盛の怨霊(後シテ)が現れ襲い掛かりますが、最後、知盛の霊は義経との戦い、弁慶の祈祷に負け、波間に消えていきます。変化に富み、物語もわかりやすく、楽しく観ていただけたのではないでしょうか。



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今回は解説、『三番叟』、『船弁慶』、それに「火入れ式」と休憩を入れて、およそ2時間半が夜の能公演の適当な時間だと考え、『船弁慶』の上演時間を1時間5分ぐらいとしました。
特に夜の公演はダラダラと長くなるよりは、やや短くても十分楽しんでいただけるものにしようと、コンパクトな演出を心がけました。



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前場では、囃子事を短く、動きのない場面は省き、序之舞の段数も減らすことで、物語の展開がテンポよく進むように工夫しました。



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後場は、本来「早笛」という出囃子の後に後シテ(平知盛の霊)が本舞台にて「抑々これは桓武天皇九代の後胤・・・」と名乗りますが、今回は、囃子方に特別演出をお願いして、地謡の「一門の月卿雲霞の如く。波に浮みて見えたるぞや」の謡で後シテが橋掛りの三の松前に登場し「思ひも寄らぬ浦波の」と恨みを述べると、途端に早笛になり舞台に入る演出として、地謡の「声をしるべに出で舟の」で足音を立てない足拍子「波間之拍子」を踏み、最後は地謡に緩急を付けて勤めました。
コンパクトな演出とはいえ、全体としては、序、サシ、クセも省かず、詞章で省略したのは初同のみ、細部を工夫することで一曲を飽きずにご鑑賞いただけるようにいたしました。



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シテを演じる時、静御前と平知盛という前後で別人格を演じるところが難しいように思われますが、実はさほど気にせずに勤めているのが能役者の実態です。それよりも若いころは前シテの静御前をしっとりと、それでいて艶もあり、別れの辛さに耐える姿を表現することに苦心します。年を重ねると後シテの勇壮で活発な動きが難しくなりがちです。私も初演の時は前場の静御前が難しいと感じましたが、今は前シテよりも後シテの活発な動きが出来るか、と心配します。その一つに「流れ足」ができるかがあります。



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「流れ足」とは、曲の最後、弁慶らの祈りに負け、引く汐に揺られ流されと退散していくときの所作で、勇壮に戦っていた薙刀を捨て、太刀を背に両手を上げて、つま先で立って横に動く型です。ちょうどバレリーナのトウシューズでのつま先立ちと同じです。これは足の指の力が必要で、若いときにはいとも簡単にできたのですが、悲しいかな年齢とともにきつくなります。今回は、まだ何とかできるだろうと演じてみて、無事勤めることができましたが、終わって、あと何回出来るだろうか?と思いました。その意味でも、今回の『船弁慶』を無事に勤めることが出来たことを喜んでおります。



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私は最近、最後の幕に入るときに拘りを持って演じています。それは最後まで義経を見ながら後ろ向きに入幕すること。義経役のかわいい子方が活躍し、観客の目はそちらに釘付けになっているでしょうが、知盛としては、後ろ向きで義経を睨みつけることで、「このままでは済ませないぞ」という深い恨みを滲ませます。終曲の詞章は「跡白浪とぞなりにける」ですが、ただ何事もなかったように終わるのではなく、悪霊の執心と粘りを観客の心にも焼き付けたいのです。

実際、その後の義経は、平家一門の怨念のためか、舟は嵐によって元に戻され、西国行きを断念、陸奥の平泉への逃避行となります。それはまさに義経滅亡の旅、死出の旅です。知盛の霊を退散させ、勝った勝ったと能は終わりますが、その後の義経の運命は決して明るいものではない、と予感させるような、最後の知盛の粘りを舞台で演じたいのです。

能『船弁慶』は観世小次郎信光の作品です。信光は世阿弥の甥の音阿弥の七男ですから、世阿弥よりだいぶ後の世の人です。世阿弥が幽玄な能を完成したのに対し、劇的なエンターテイメント性の高い能を創り出しました。『船弁慶』のほかには『道成寺』、『安宅』、『紅葉狩』など人気曲があります。いずれも劇的でわかりやすく、登場人物も多くにぎやかに展開し、心躍るものです。
初めて能をご覧になった方は、ここを入口とし、世阿弥の幽玄な能や観阿弥の土臭く芝居的な能、あるいは美しい女人の能から武将、怪異な鬼の能に至るまで、能にはさまざまに変化に富んだものがありますから、それらに分け入って楽しんでいただきたいと思います。
また、今回はホールでの観能になりましたが、能楽堂にも足を運んで、その雰囲気を味わっていただきたく、もちろん「薪能」も機会があったら、と欲張りなお願いです。
今回の品川区との共催のように、能鑑賞の機会をできるだけ増やすべく、努力して参りたいと思っています。多くの皆様の能公演へのご来場をお待ちしています。
(平成29年10月 記)

写真 シテ 粟谷明生
撮影 (1)(3)(6)(7)(9)(10)(13)(14) 新宮夕海
   (2)(4)(5)(8)(11)(12)(15) 石田 裕

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