落人の悲哀
『安宅』(延年之舞)を勤めて
昨日の粟谷能の会(平成27年10月11日)へお越しいただきました皆様、ご来場御礼申し上げます。
還暦記念と銘打ちました第98回粟谷能の会も無事盛会に終わることができて、今ほっと一安心。正直な気持です。
『安宅』の初演は43歳、お囃子方は笛・一噌隆之氏、小鼓・鵜澤洋太郎氏、大鼓・安福建雄氏。53歳の小書「延年之舞」披キでは、笛・松田弘之氏、小鼓・鵜澤洋太郎氏、大鼓・柿原弘和氏のお相手で勤めました。今回60歳の還暦記念の再演「延年之舞」は、笛・一噌隆之氏、小鼓・大倉源次郎氏、大鼓・亀井広忠氏でした。
富樫役のワキは親友・森常好(現 宝生常三)氏が三回ともお相手してくださいました。
『安宅』のような現在物は直面(ひためん)と呼ばれる能面をつけずに素顔で舞台を勤めます。能面は視界が狭く、肉体的にも楽ではありませんが、では直面ならば楽なのか、と問われると、顔自体を能面のように意識しなくてはいけないところが難しく厄介だと思っています。
『安宅』のシテ・武蔵坊弁慶は青年の若い顔では物足りず、かといって年を経た顔ならば事が足りるのか、というとそうでもないようです。
シテ方の能役者にとって直面で勝負出来る賞味期限はそうは長くはない、そう思っています。ですから期限内にできるだけ挑戦しておこう!と考えたのが今年の私の演能テーマとなり、春59歳で『正尊』、秋は60歳成り立てで『安宅』「延年之舞」でと企画、選曲しました。
『安宅』のような現在物は能役者にとって、能の様式美に心技体すべてをゆだねるやり方と、役を演じる芝居心に重点を置くやり方もあると思います。
私も初演では様式美にすっかりお任せするやり方となってしまいましたが、53歳の再演ではどうにかして弁慶という役を演じる、自分なりに芝居になるギリギリの境界線内側まで手を伸ばしたいと思い挑みました。しかしなかなか行けるようで行けない壁を意識させられました。いつの日か、もうこれ以上やったら能ではなくなる、という壁手前までで演じてみたい、それが60歳までに経験出来たら・・・、と考えていました。
能の様式美を蔑ろにせず、調和を取りながらも能の世界の外回りギリギリでの演能、それが私の現在能への美意識といっても過言ではありません。昨日の『安宅』がその域に達したのかどうかは、まだ自分自身答えが出ていない状況ですが、そう意識してのこと、と書き残しておきます。
例えば声。義経へ剛力に変装を依頼する謡や、主君を打擲する非常識なふるまいを詫びる謡。もちろん勧進帳も同様ですが、詞章によって変わる、声の強弱、高低、温冷、明暗、詰め開きなどを頭で考え、それが身体を通して出せるかが大事であり、そこへの意識を忘れてはいけないことを、60歳になってようやく、理屈だけではなく身体でわかりはじめたのです。まあ、なんとも遅過ぎ、と自己反省をしています。
そして曲の理解度を深めること。
演者の年齢により理解度は変わります。また変えなくてはいけないと思っています。
初演43歳と同じように演じていては進歩がありません。
いつも新しい発見がなくては気が済まない性格でもあるので、何かないかな?と探しています。
今回は野村四郎先生のご著書『狂言の家に生まれた能役者』の「安宅について」を参考にさせていただき、喜多流では無かった型を取り入れました。
関所での非礼を詫び、ところの名酒を持参してきた富樫の酌を受ける弁慶ですが、安宅の関はこれから落ちて行く道のりのまだまだはじめ、序の口です。このような困難な道がたくさん待っているかと思うと、弁慶は酒など酌み交わせないのです。富樫を信じていないのです。ですから、呑んだふりして相手が見ていない隙に酒を捨てる型を試みました。中啓(扇)を広げ、酌をうけた型をした後、「面白や山水に」と謡いながら広げた中啓を裏返しにし、「こんな酒呑めるか!」の意思表示です。
古典の伝統芸能は先人の教えを正しく継承することだと思いますが、ただ真似ていれば、それが正しいという考えには同調出来ません。古典を今に生かす、そのためには能にあることならば、流儀の壁など取り払い、よりよい舞台を観客にお見せする、それが芸能者のいろはのいだと信じて止まないのです。
粟谷能の会では「演能の最後の拍手は囃子方が退場するまでご遠慮ください」とお願いしています。『安宅』をご覧になり、最後、あ〜明生さんよかったわ、はい、頑張りましたね、の拍手は正直要りません。
落人のなった義経一行、これからの彼らの人生と悲哀が、終曲し最後幕に入るときの後ろ姿に出せるかどうかが本当の勝負どころだと思うのです。ですから、そこでもし拍手がおきたらもう完全に私の能は不合格ということになるのです。
図々しく「拍手はご遠慮ください」など記載しなくても、「どうしても拍手なんてできないよ」と言わせる能役者になりたい、今思っています。(2015年10月 記)
『安宅』については次の演能レポートもご覧ください。「能の表現と芝居の境界線」(1999年3月) 「延年の舞について」(2009年3月)
写真
1,跳ぶ型 3,金剛杖にて 撮影 石田 裕
2,勧進帳を読む、 4、盃の酒を捨てる型 前島写真店 成田幸雄
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