『求塚』の地謡を謡う その2 ー地謡全員の気迫がつくり出すものー



先日の第8回日経能楽鑑賞会『求塚』(シテ・友枝昭世師)(平成26年6月5日)で地謡を謡ってきました。『求塚』というと、「地謡の充実」をテーマとして、友枝昭世師にシテをお願いし、我々が地謡(地頭・粟谷能夫)を謡った粟谷能の会研究公演を思い出します。平成5年5月のことでした。あの研究公演では自分たちが立ち上げた会であるのに、なぜシテをやらないのか?という声も上がりましたが、我々はあえて地謡にまわり、地謡の勉強をしようと考えました。「能は謡が7割」と、父菊生は謡の大切さを強調していました。いくらよいシテがいても、地謡陣が情けないと、その舞台は台無しになってしまう、と。私たちも地謡の大切さをひしひしと感じ、父たちの次の世代である私たち、そしてさらに私たちの次の世代の地謡の担い手をつくっていくという志がありました。あの試みにご協力いただいたワキ・宝生閑師、囃子方は一噌仙幸師、柿原崇志師、亡くなられた北村治師、皆様のご指導とご協力は今でも忘れられず、感謝しています。

あの研究公演がよい経験となり、その後、父が平成10年・大槻自主公演でシテを勤めた『求塚』でも、平成15年の友枝昭世の会『求塚』にても、その成果が発揮されたように思います。


そして「地謡の充実」を折に触れ確認しようと、このテーマで、研究公演特別版を企画してきました。平成17年の『木賊』、平成22年の『檜垣』、いずれも友枝師にシテをお願いして、我々が地謡を勤めてきました。


今回の日経能楽鑑賞会『求塚』も、シテが友枝師、地頭が粟谷能夫、私も地謡に加わり、研究公演と同じような配役となりました。地謡の充実とひとことで言いますが、それは地頭を先頭にして、地謡全員が真剣に、気迫をもって謡わなければ実現しないものです。
地謡は通常8人で謡うもので、地頭と呼ばれるリーダーが主となり、他の者が地頭の意向を感じて合わせて謡います。

地頭は一曲のテーマを考え、演じる者の動きや思いなどを考慮して、リズムやメロディーの流れを創り出す大事な責任を負っています。その責務は重くプレッシャーとなるものです。そして、他の地謡全員の力量が必要です。力量がなく上辺だけの謡い方で、地頭に寄りかかるような、責任を負わないような態度での謡は、地頭にはとても重荷になり、十分に力が発揮できません。地謡は地頭が優れていなければ成り立たないのは当然ですが、他の者が地頭を援助する気持ちに溢れていると、地頭は安心でき、心強くなって力を発揮できます。ひいては、地謡全体が充実し、よい舞台に繋がるのです。


今回の『求塚』も、地謡をしっかり謡おうと意気込んで臨んだのは言うまでもありません。順調に舞台が進行していました。そして、最後の場面、「暗闇となりぬれば・・・」のときのことです。囃子方の間の取り方がいつもより大きくなったため、地謡もうっと息を飲みました。それはほんの一瞬のことです。地頭もやや戸惑いがあったのでしょう、違う言葉を発しそうになりました。そのときです。残り7人の地謡が力強く、気迫を持って謡い出し、最後の一番よい場面を傷つけることなく、スムーズに運ぶことがきました。


地謡を謡っていると、思わず言葉を間違えそうになったり、言葉が出てこなかったりすることは正直あります。しかし、それがあからさまにお客様に感づかれてしまってはプロとして失格です。正確に間違わずに謡うということは当然ですが、間違いやアクシデントは演劇では付き物で、それをどのように粗相なく判らないようにうまく処理するか、これも大事なプロの技だといえるでしょう。

その策はいくつかあるでしょうが、私は今回の舞台で、もっとも有効な手法は「地謡全員が一致団結して気迫をもって謡う!」ということに確信を持ちました。このもっともオーソドックスな取り組み方をまっとうしていれば、大凡のことは防げるのではないでしょうか。地謡の各自が精一杯、声をふりしぼり、力を出し切るほど声を出す。それがアクシデントに動ぜずうまく対応出来る唯一の策、そう確信しました。

地頭と地謡のメンバーとの関係は、一般には地頭が責任者で他の者を引っ張り、皆は地頭に従って謡う、というように思われるでしょう。間違いではないですが、私の理想型は地謡の一人ひとりがみなぎる気迫を出し切って地頭を支える、というスタイルであると思います。両者は主従の関係だけでなく、横一列にならんだ仲間であって、リーダーを引き立て協力関係にある、と謡う者が意識する、そう信じることが大事だと思います。

地謡のどこのポジションで謡おうが、全員がプロ意識で気迫をもって、邪魔にならない程度を踏まえて大きな声で謡うことです。
昔よく能夫に「明生君お得意のサイコロステーキ論がまたお出ましだね」と苦笑されましたが、まさにそうです。大きなビーフステーキはナイフとフォークを扱い自分の食べやすい形に切り口に入れます。ダイナミックでよいでしょう。

しかし一方で、サイコロステーキのように最初から口に運びやすいサイズに切られているのは、食べやすく、それぞれのお肉のおいしい個所の味覚を楽しめるようになっていると思います。

つまり地謡のそれぞれのポジションの者とサイコロステーキは同じようなもの。自分の置かれたテイストを自らが引き出すこと、もちろん一番おいしいところは地頭肉にお譲りするのですが・・・、自分を美味しく食べて貰おうとする前向きな意識が大事なのです。

全員が一致団結というと、一枚岩のように最初から纏まった堅い物をイメージしてしまいますが、細分された個々の力の結集の方がより効果を上げ易い、というのが粟谷明生特有の持論なのです。先日の『求塚』は、全員がそれぞれの味わいを出し、協力し合い、その結果よい地謡が謡えた、私はそう感じて、持論のよい手本となる舞台だったと思っています。もっとも後日、どこかの批評家がダメ出しの感想を書かれるかもしれませんが、これは私の私なりの持論と感想であることを付け加えておきます。

今、頑張って地頭を勤めている粟谷能夫、いや能夫だけではありません、地頭という責任ある立場の者を、もっともっと強くフォローしよう! 前列も一体となって! と声を上げてくれ、そう叫びたいのです。

ふり返れば、地謡の充実をテーマにした研究公演から20余年の時が流れました。あの時の私たちの志、その成果がようやく現れて来たと感じ、なんだか嬉しい気持ちになっています。これからも心を引き締め、情熱をもって精一杯謡っていきたい、そんな気持ちを新たにした、思い出に残る日経能楽鑑賞会『求塚』となりました。 

デジブック『求塚』シテ・粟谷明生
http://www.digibook.net/d/27d4a533819fa45d3b9de0c65cb86306/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true

番組資料 粟谷明生蔵
写真   『求塚』シテ・粟谷明生 撮影 石田 裕
文責   粟谷明生

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