能『大江山』の酒呑童子について

子供のころ、鬼退治の能は楽しみでワキが鬼を退治すると拍手喝采で楽しんでいましたが、近ごろはどうも楽しくない、いや晴れ晴れとしない、何か心に引っかかるものを感じるようになりました。それは退治される側を演ずるたびに徐々に大きくなっていったのです。こう感じるのは大人になって見飽きたからではなく、演じながら作品の主旨が少しずつ読み取れるようになったからかもしれません。今回(六月自主公演能)、『大江山』を演能するに当たり、まず酒呑童子とは何者か、能としての『大江山』は何をメッセージしているかを知らなくてはと思いました。 酒伝童子絵巻では、大きい顔をした酒呑童子が酒宴の珍しき肴として美女の白い太股を出し、それを頼光らがたじろがずに塩をつけて食べている場面や、頼光一行に首を切られる恐ろしい場面が描かれています。
また酒呑童子は大陸からの漂流者で、その大きい身体、赤い毛、緑に光った目、そして赤い顔で血を呑んでいたと恐れられていたが、実はその血は葡萄酒で漂流者はロシア人であったという説や、疫病を流行らせる疱瘡神(ほうそうしん)であるとか、兇賊、山賊のようなものである、村里から遠く離れた辺鄙な山中に住む賤民で、荒っぽい力仕事をして鬼のような怪力をもっていた人のことだという説などもあります。 どの説もそれぞれに面白いのですが、能『大江山』の酒呑童子としてはやや合わないように思われます。酒呑童子は本当に京に下って人を殺し、財宝を盗み女をさらったのだろうか。能の『大江山』では唯一、間狂言が洗濯女として血のついた衣を洗うところがありますが、それ以外はこわい場面は描かれていませんし、次の謡の言葉を拾ってみても恐ろしい悪人像は浮かんでこないのです。

1.我 桓武天皇にお請けをもうし 出家の人には手をささじと固く契約もうしたり
2.一夜に三十余丈の楠となって奇瑞(きずい)を見せし所に
3.霞に紛れ雲に乗り、・・・飛行の道に行脚して、或は彦山、伯耆の大山、白山立山富士の御嶽、上の空なる道に行き
4.此の大江山に篭り居て、隠れすまして在りしところに、今客僧達に見表され通力を失うばかりなり
5.さも童形の御身なれば 憐れみ給え
6.構えてよそに物語せさせ給ふな
7.情けなしとよ客僧達 偽りあらじといいつるに

酒呑童子は山伏達(頼光達が変装している)に敵意を見せず無抵抗に歓迎して(1)無邪気に身の上話をし、特殊な力(通力)をもつ存在であるが(23)、今は効き目がない(4)と悲しく語っています。恐ろしさや鬼畜性よりも通力をもちながら、争いを拒み、どこか弱いところがあるように感じさせられます。 父は『大江山』というと必ず「一稚児二山王だよ」といいます。第一に稚児、比叡山の神(山王)より大事にされるべきものだという意味で、自分は童子の格好をしているのだから「山伏達よ、どうか可愛がってくれ」(5)と依頼するところに焦点があるようです。本性は鬼のような異界のものであっても前場ではそれを見せず、綿綿たる訴えかけの言葉が重要で、能としてはここを大事に謡えという教えです。 酒呑童子の童子とは少年という意味ではなく、童形である永遠の青年、不老不死の特異な力が宿る者であります。最澄に比叡山を追われ各修験霊地を転々とするのが八〇六年ごろ、殺されたのが頼光二十五歳の時として九七三年と推定すると、童子の年齢は少なくとも百六十七歳の計算になってしまい、おかしく感じられるかもしれませんが、人間界以外では時間はゆっくり流れているようでさほど問題にならないようです。
 能としては童話性をもたせ、後の鬼神との対照の効果をねらうためにも、永遠の若さを象徴する神仙の化現として優雅で妖精的な神秘に満ちたものとして登場させたのでしょう。面は童子や慈童を使用しますが、今回は我が家にある余りに美しく透明感があるものより、霊性を濃くしたものの方が向いていると思い、岩崎久人氏の打たれた童子の面を使わせて頂きました。 『いざいざ酒を飲もうよ』の場面で、喜多流はシテがワキの酌を受けますが、たぶんこれはお伽草子による頼光達が自分達が飲むと勇気百倍、鬼神が飲むと忽ち通力が消えるという酒を持参したところからきたものだと思います。観世流では酒呑童子に子方の稚児二人がついて出る演出があり、ワキ・ワキ連等に酌をしますが、こうなると意味あいが異なります。私は酒呑童子がワキに酌をするくらいの方が童子の無抵抗さがでてよいのではと思うのですが、今回はワキに酌をする気持ちをもちながらも、従来の喜多流の型付け通りに行いました。 次にこの能のメッセージを知るために、神仙の化現とはいかなるものかを、もう少し掘り下げる必要があると思います。私は酒呑童子は最澄が比叡山延暦寺建立の前より住み着いていた地主神であったという説(金井清光氏・作品研究大江山)に興味が惹かれます。この場合の神は異界に住むものという意味で、異界とは人間界のコントロール不十分なところと考えられます。 異界の存在は、国家(京都朝廷)のような中央の権力者・統治者達にとっては邪魔であり、退治されるべきものだったのでしょう。権力者が領土拡大を謀るとき、それと敵対するものはすべて悪であり、統治できなくなった都の乱れは鬼神の仕業と見立てるのが妥当であったのです。そしてその対象となった最も目障りな存在とは、もともとそこに住んでいた多くの異界の地主神(地霊)であったわけで、彼らは差別・排除・征伐の打撃的措置を受けざるを得なかったのです。 酒呑童子も地主神であるならば、ときの権力者にとっては悪者でなければならず、退治されるべき存在です。しかし能『大江山』では、酒呑童子を単なる悪者ではなく、気の良い誠実な鬼として描き、むしろ偽りがあるのは寝込みを襲うなど退治する側にあることを見せ、征服する側にささやかな抵抗を示しているように思えます。 とはいえ、後場で実体は鬼神として退治征服されるものであると皆に知らしめる必要があったのは、見物者は体制側の人々であり、そうしなければおさまらなかったからで、中世の劇作成の手法だったのでしょう。童子を演ずる猿楽役者も酒呑童子と同じ階級に属する賤民で、征服者に調伏される運命にあり、それを自ら演じなければならない悲しさがあったと聞いていますが、それは中世の時代での事、今の能楽師は中世とは違う心持ちで、この能の訴えかけを考えてみる必要がありそうです。  最近の都心部における烏(からす)によるゴミ問題、計画性のない開発による自然破壊、ここにも征服者と被征服者の関係が見えるようです。私たち人間は、人間の都合で烏をもともとの住処から追いやっておきながら、都会に出没すると邪魔にし、その黒い姿を不気味がって、つい石でも投げて追い払おうとしてしまいます。でもこの烏、どこか能『大江山』の酒呑童子と似ているように思えてなりません。
(一九九九年六月)

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