天橋立と成相寺の旅

平成18年7月29日、30日(一泊二日)に明生会有志会員9名と日本三景の一つ「天橋立」や京都の謡蹟めぐりなど、観光して来ました。
初日は生憎のお天気で、曇り空から雨になり傘をさしての拝観となりました。
二日目は快晴、京都では30度を越える猛暑となり、飛び入りで誠心院・誓願寺の謡蹟を尋ねることにして、午後からは予定通り国立博物館の「美のかけはし」展と三十三間堂を拝観してこの旅を無事終えました。

では行程の詳細から。
東京明生会組5人は東京駅から「のぞみ305号」にて、途中名古屋から新城明生会会員4人が合流し、今回の世話役、A・Iさんの待つ京都に向かいます。
京都で全員集合したところで「特急はしだて3号」にて福知山経由で近畿丹後鉄道天橋立駅まで行きます。なんと2時間もかかる行程です。
天橋立駅に到着すると昼食の予約をいれている老舗の宿「対橋楼」の送迎バスがお出迎え。歩いても行ける距離でしたが利用させてもらい、そこで昼食をとって、いよいよ観光開始となりました。

「対橋楼」の前には天橋立運河があり、本土にかかる橋として、全長3,6キロメートル幅20?170メートルの砂州で出来た天橋立があります。この橋は船を通すために橋が回転するので「廻旋橋」と呼ばれています。この辺りは観世流にしかない能『九世戸(くせのと)』の舞台となります。
「対橋楼」の目の前には山門があり、奥には日本三大文殊の一つに数えられる古刹、天橋立知恩寺(橋立文殊)があります。
三大文殊のあとの二つは山形県高畠町の亀岡文殊堂と以前探訪した奈良県桜井市の安部文殊院です。
拝観を終え、すぐ近くの汽船乗り場から遊覧船に乗り、天橋立の全貌を眺めながら、一宮  に渡ります。
船上からの景色を眺めるあたりから急に激しい雨が降り出しましたが、景色は何とか見ることができました。一宮港に着いて、手荷物を本日宿泊する「新風楼」に置かせてもらい、徒歩3分ほどの「元伊勢籠神社」に参拝し、ケーブルカーで「股くぐり」で有名な見晴らし台に登ります。
幸い、この一瞬だけ雨がやみ、記念切手やポスターで見られる絶景が眼下に広がりました。
『盛久』ゆかりの寺、成相寺まではバスで3、4分で急坂を登り到着します。
私は来年予定されている自主公演『盛久』の無事演能を祈願して、会員と記念撮影をしました。その後下山して本日の宿「新風楼」へ。

二日目は
京都に昼までに到着するには天橋立駅9時発の「特急はしだて4号」に乗車しなくてはいけないので、逆算すると、朝一番、7時半発の連絡船に乗らなければなりません。朝早く宿を立ち、船で渡り、橋立あたりを再度ゆっくり散策して時間をつぶし、京都には予定通り12時に到着しました。予約済の錦市場「かね松」の長寿ランチという野菜のみのお昼御飯を戴きました。
食後、謡蹟保存会の立て看板があるところに行きたいという希望があり、相談の結果急遽錦市場近くにある和泉式部の墓として有名な「誠心院」と「誓願寺」に向かい、謡蹟めぐりとなりました。
国立博物館で「美のかけはし」を拝観し、最後は隣の三十三間堂にお参りしてこの旅行を終えました。

文殊院
文殊の知恵の発祥の寺です。天橋立知恩寺の中にあります。

遊覧船にて
左から後方の山に向かって見える松原が橋立です。橋立を見ながら一宮港に渡ります。
ケーブルカー
急勾配を登り降りるケーブルカー。乗車すると既に傾いているように感じるほどの傾斜です。
天橋立
一の宮から知恩寺へと続く松原が日本三景の一つ「天の橋立」です。
今回の「天の橋立」で「松島」「安芸の宮島」と、日本三景をすべて行ったことになりました。
看板
このような案内の看板があり、皆真似して眺めてみました。

指示通りに
股のぞきしながら撮影した画面です
成相寺
平盛久は実在した人物か疑問もありますが、観世流では清水寺で捕らえられたとあり、喜多流ではワキの土屋三郎が「丹後の国成相寺にて捕らえ」とあります。
新風楼
このホテルの外観は古風な感じを受けますが、館内はシックながらハイセンスなお部屋で気に入りました。
部屋の景色
今回は私だけが男性なので、この部屋を独り占め、ゆっくりとくつろいでしまいました。
和泉式部の墓
錦市場から徒歩4、5分に誠心院があります。ここは『東北』『誓願寺』などに取り扱われている和泉式部の墓があるところです。
和泉式部の墓
生憎、謡曲保存会の立て看板はありませんでしたが、墓は立派でかなり大きなものでした。
誓願寺
誠心院からすぐ近くに誓願寺があります。
ここには「扇塚」があり、多数の舞台人、舞踏家が芸道精進を祈願して扇を納めています。
三十三間堂
宮本武蔵と吉岡一門との決闘でも有名な寺ですが、意外と平清盛建立のこと、そして
近くの法住寺に後白河法皇の墓がひっそりとあるのは知られていないようです