神楽坂
粟谷菊生
最近子どもの頃住んでいた神楽坂に行く機会があった。坂を上がりながら左右の商店の変貌に驚き、「この路地の奥には◯◯という店があったんだ」などと同行の妻に説明しながら独り遠い昔の思い出に浸っていたが、そのうちに「あった!あった!」むかし懐かし、老舗の履物屋の「助六」が…。父益二郎がいつも下駄を買っていたあの「助六」。平素、白足袋で通していた父はウナギと言って裏が白ネルになっている鼻緒の下駄を愛用していた。さすが神楽坂、気の利いた鼻緒の男物の下駄がある。デパートや他所では見つからないという妻の言葉に、早速買ってしまった。因みに僕は銀座の阿波屋で草履を注文しているのだが、或るお弟子さんが僕にプレゼントして下さろうと阿波屋に行って「マムシでお願いします」と言ってしまったそうな。お店の人、吃驚仰天。
脳梗塞や半年前の思わぬ転倒で足の弱った僕は底の滑らかな皮草履は滑りそうで履けなくなってしまっている。特別の時以外は不本意ながら底裏がゴムで凸凹になっている安っぽい草履を履いている。下駄もエスカレーターに乗る時、怖い目にあったことがあるので、折角買った下駄だが少々の雨だったら履き慣れたゴムの裏の草履にしてしまう。もう見栄も恰好も構っちゃあいられない。老醜と言う言葉があるが、加齢はやっぱり美から遠ざかるようだ。一心同体とは決して決して言わないが、長年連れ添った女房殿、僕の思いは手に取るように判るらしく、「老いの浪の、上にて舞はむ、足弱の、おぼつかなくも、こらえ、こらえて」と戯れ歌を詠んでくれた。
喜多流の自主公演は一昨年(平成十四年)十二月で引退し、大阪は今年(十六年)六月に『鬼界島』で幕引きとし、この秋十月に粟谷能の会も『景清』で舞い納めとした。僕の元気なうちに息子や甥に大曲を舞はせて、その地を謡いたいと謡を謡うことの大好きな僕は、今張り切っている。
長命の喜びにはウラがある。喜びのウラは哀しみで、深みも判る反面、淋しさも味わわされる。これは誰もが味わっていることで、別に僕だけではない…などと、ちょっとしんみりしているかと思うと、来年の仕事の依頼が次々に入り、手帳のスケジュール欄がどんどん埋まっていくのは、もう少し生かしておこうという神様の思し召しかな、と相変わらずの能天気でもある。
景清で 舞い納めとす 胸の内
めでたくもあり めでたくもなし
10月30日
『景清』 粟谷菊生 能楽座札幌公演 撮影 三上文規
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