夏の全国浴衣会

夏の全国浴衣会

粟谷菊生

毎夏、各地で行われる菊生会全国浴衣会も今年で第三十五回。初回は昭和四十三年、高野山の密巖院で私も四十五歳の男盛り。お弟子さん達も皆若かったが、今ではもう卒寿になられた方もいらっしゃるし、既に鬼籍に入られた方もおられる。しかしこの三十五年間浴衣会で大勢の社中が集まるのに一度の事故も無かったというのは奇跡のようなものかもしれない。全国から参集する会員は多いときは百名を越す。旅館の大広間を借り切っての二日間の謡会と三日目の観光。毎年七月の第一土、日、月曜と決めている。初日は現地に到着後午後一時から始まり、翌日は昔は朝六時から初めていたが、明生の勧めで最近は七時から、夕方五時半まで終日、謡と仕舞と、時には連調もある謡漬けの一日となる。明生もはじめは、なんで朝早く六時に開始するのかと不服だったが、いざ自分の社中を参加させてみると、やはりなるべく多くの方に謡ったり舞ったりして頂きたいと思うようになるのが人情で、必然的に朝七時開始というプログラムをいつのまにか自分で作ってしまっている。
昔、朝五時頃から起き出し各部屋を起こしてまわるという奇特な御仁もいらっしゃって、ご婦人方はお化粧、身繕いと男性より大変な筈だから、おちおちゆっくり寝てはいられないのだろうと推察する。
印刷された番組は一応、各自に配られてはいるのだが番組通りに進行しないのが、この浴衣会のコワーイところ。番組通りだと自分の出番はまだまだ先だと、ひそかに抜け出して自分の部屋でちょいっと御午睡、あるいはほんの少し外へお散歩に…などと出来るわけだが、そうはさせない。番組の順序には全く頓着なく突如掲示板に出ている順序を僕が変えるから油断も隙もあらばこそ。此の実に絶妙なアイデアにユニークな組立式移動掲示板を考案作成して下さったのは山口の吉田隆次氏のお弟子さんで、毎回、非常に重宝させて頂いているし、浴衣会の名物となっている。夜の宴会は、勿論壮観だが、各自の部屋に引き上げてからのお喋りもまた楽しみなのではないだろうか。
振り返ると、あんな所にも、こんな所にも、そして、あんな事もこんな事も…と思い出は盡きない。明生会と合併して行くようになって何年になるだろう。菊生会明生会両方の社中同志が交流し、東京と地方の方々との交流も深まる。
地方にこんな謡の名手がいらっしゃったのか…とか、あの方は随分と御上達なさったとか、新鮮な刺激や感動を覚えて下さることもあると思う。また、地方から東京に観能にいらしても能楽堂で知己に会えるのはなんとなく温いものが感じられるのではなかろうか。いずれ明生が引き継いでくれるだろうが、一年でも長くこの浴衣会が続くことを願っている。

写真 鬼界島(シテ粟谷菊生 平成12年 粟谷能の会)

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