能『藤戸』ゆかりの地を訪ねる

平成17年4月15日、厳島神社御神能の前日に時間が出来て、お天気もよく桜もまだ咲いている様子でしたので、岡山県倉敷市へ謡蹟巡りに出かけました。
広島駅から新幹線で新倉敷駅にて下車、タクシー乗り場に行き運転手さんに、
「藤戸町に行って下さい、藤戸の渡り、乗りだし岩などが見たいので」というと、
「それなんですか?」と先行き不安なそっけないお返事。それでも、とりあえず乗車しました。
「『藤戸』という能の曲がありましてねえ。それに関連したところに行きたいのです。かなりマニアックなところですが、よろしく」
「??…??…まあ…藤戸町まで行ってみますね。そこら辺で聞けば判るでしょう…」
「大丈夫かな……」と内心思っていると、
「お客さんねぇ…、普通はここからは行かんですよ。倉敷からの方が近いけね…」と。
どうも新倉敷駅から藤戸町までのタクシー利用は珍しいらしい。今度はお財布が心配になり「料金は幾らぐらいかかるの?…」と聞くと、
「行くだけで4000円越えるよ!」の答え。
もうしょうがない、あきらめて「いいですよ、地図に書いてあるところ全部廻るから、よろしく! これがその地図です…」
「はあ…見てもわからんけに……」
以上が車中の会話でした。
「謡蹟巡り西日本編・青木実著」を頼りに、まず「藤戸の渡り」があったと言われる、倉敷市有城小瀬戸に向かいました。
地図の記載がおおまかで詳細な所在が判らないので地元の人に聞いてみることに。タクシーの運転手さんがガソリンスタンドに入り若者に尋ねてくれました。
「有城1348下電バス小瀬戸はどこ?」
「え…、そんなん知らんな…」
「お客さん、知らんっていいますが…」
「乗り出し岩というところなんだけどなあ……」と私。
すると突然、「あっ、そこや!」と直ぐ近く指さすではありませんか。乗り出し岩はまさしく目と鼻の先の街道に面している所にありました。その後も考えていた順番通りにはことは運ばず、あっちに行き過ぎ、こっちへ戻りと捜し廻る、まさに謡蹟をめぐる旅となりました。
ではここから、どうやら見つけることができた能『藤戸』ゆかりの地、「乗りだし岩」「経ヶ島」「藤戸寺」「浮き州岩」「先陣庵」を写真でご紹介します。

乗りだし岩
道路添いにある「乗り出し岩」に佐々木盛綱は陣を敷き渡海作戦を練ったといわれます。当時の海峡はほとんど埋め立てられ中世の海の面影は全くありませんでした。岩は大きく高台になっていたので盛綱は平家方を見ながらこれでは攻め込めないと悔しい思いをしていたのでしょう。その後、盛綱は浦の男に浅瀬を教えてもらい、戦功を上げますが、浦の男の悲劇につながっていきます。
乗り出し岩の看板
看板の下には小さな潅漑用水が流れています。この川のあたりも昔は海水だったのかと思われます。
乗り出し岩
小道の右側の岩が当時大きな岩であった乗り出し岩。岩の上に盛綱の石碑があります。
盛綱の石碑
岩の上にある小さな佐々木盛綱の石碑。
藤戸寺近辺の地図
謡蹟巡りの本では判らなかった位置関係も藤戸大橋のそばにあるこの看板地図で把握理解できました。浮き州の岩も通り過ぎてここまで来てしまいましたが、その後この地図を頼りに捜しあてることが出来ました。
盛綱橋
藤戸寺(盛綱が戦没者を弔ったといわれる寺)と経ヶ島を横切る倉敷川にかかる新しい盛綱橋。
佐々木盛綱像
新しい盛綱橋には盛綱像があります。この橋を渡ると経ヶ島です。手前が藤戸寺、奥が経ヶ島。
経ヶ島入り口
倉敷川添いにあり藤戸寺から盛綱橋を渡り徒歩5分です。
経ヶ島の由来
経塚と浦人の供養塔がありました。
経ヶ島の祠
この塚のあるところだけが岩石で盛り上がった地形で、当時は海の上に突き出ていたといわれています
盛綱橋遠景
盛綱が藤戸寺に向かって馬を走らせているように見えませんか?
盛綱像後方
橋の向い側に藤戸寺があります。
藤戸寺
「春の湊の行く末や藤戸の渡りなるらん」は『藤戸』の次第です。盛綱役のワキが謡います。
春の曲にふさわしく、この日もまだ桜が咲いていました。

謡曲保存会の立て看板
これがあるといつもほっとします。
藤戸供養塔
五重の石塔は盛綱が戦没者の供養のために建立したもの。
浮き州の岩
なかなか見つけられなかった浮き州の岩。まわりは何もありません。あたり一面海とたやすく想像出来ます。
浮き州の岩碑
浦の男は盛綱に殺され、この岩の近く水の深い所に沈められたのです。
岩の碑
現在京都醍醐寺三宝院の池水に置かれている「藤戸石」は秀吉の計らいでここから運ばれました。
合戦場跡の碑
藤戸寺と先陣庵を結ぶ道路添いにこの碑はありました。広い畑の中に少しずつ住宅が立ち並ぶ光景の中にぽつんとある碑。ここがかつて激戦地だったことを思い浮かべてみましたが……。
先陣庵
乗り出し岩から海を渡って軍勢はここに上陸しました。ここも高台で眺めはよく、広大な平地は昔海であったと想像出来ます。
史蹟保存会の看板
先陣庵を最後にこの謡蹟巡りは終わりました。いつか藤戸を勤めるときはこの日を思い出し、一度「子方出し」の小書で演じてみたいと思いました。