粟谷能の会通信 阿吽
「まことの花」
粟谷菊生
平成十年、今年の新年はめでたく元旦の祝酒で過ごしたと思ったら、軽い脳梗塞で入院。お屠蘇を祝ったのは元旦だけで、不本意にもお正月につゞく約一ヶ月を入院生活で過ごすことになった。
僕は、能『羽衣』の「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」という名文句を謡うとき、いつも清らかな天使像を思い描いていた。そして、その清らかな姿を体現したいとの思いを込めて、長年『羽衣』の能を舞いつゞけて来た。しかし、羽衣をまとう僕の天女よりも崇高な天使たちが、なんと天上ならぬ此の僕のベッドのまわりにいたではないか。何事も嫌な顔一つせずに世話をしてくれる彼女たち。日夜骨身を削って患者たちの面倒を見ている姿を見るにつけ、本当に頭の下がる思いであった。報い少なく、労多き此の天使たちのことを少しでも多くの人に話してきかせ、彼女たちの幸せを心から願わずにはいられない。
退院する時は、杖をつくことになるかも…と云われたが、二月一日に二本の自分の足で退院。その月の二十八日には周囲の心配を押し切って日立で能『景清』を、翌三月一日に東京の国立能楽堂で好きな『羽衣』の能を舞った。息子が「一度、面をつけて舞ってみては?」と心配してくれたが、「面をつけてみて愕然としたら、その愕然とした暗い気持ちを本番まで持ちつゞけて行かなければならない。それでは箪笥でも担いでしまうという火事場の糞力が出なくなってしまう。それより本番になって面をつけてみて愕然としたら、その時こそ、火事場の糞力で演るからいゝ。」と拒んだ。
ワキ、地謡、四拍子、みんなが病み上がりの僕を心配して盛り上げてくれるのを、ひしひしと感じ、辛いながらも喜びを噛みしめながら舞った『羽衣』だった。血圧が上がらぬよう、あまり気張らないで…と演能中、自分に云いきかせたり、内心、不安と挑戦との葛藤で今までにない異質の緊張を味はったが、再び舞台に立つことの出来た喜びは何にも増して大きい。観客には、それと判らなくても僕自身、些か障害の残った左大腿部の固い重さを克服して、これからは世阿弥の云う「まことの花」を咲かせられるよう努めたいと思う。
(因みに入院した一月三日の国立能楽堂定例公演の『月宮殿』と、二月十二日の練馬文化ホールの『砧』は明生が代演。)
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