喜多流の謡3

■ 謡の道しるべ
◇ 謡 は 詞 と 節 と よ り 成 る
 謡は節のある所と無い所の二つから出来ていて、節の無い所を単に詞といふ。詞は節が無いだけ簡単であって、謡の習ひ始めの人などは、詞といふと謡ひ易いと安心してかかるが、詞にも数々種類がある。節といふ程のものはないとしても、抑揚があって一種の曲節がつき、心持などは反って節の所よりも多く、結局は節といふ助けのないだけに謡ひ難いものとなって来るものである。詞の難かしいことがわからぬ間は、まだ謡は初心の境を脱せぬといって良いのではあるまいか。◇ 役 に 就 て 夫 々 心 得 が あ る
 詞の種類も数々に別れるが、先ずシテ、ワキ、ツレと役前に就いて夫れ々々固有の区別がつく。シテといっても、其の能柄と人物とにより種々の別のあるのはいふ迄もないが、たとひ男であれ、女であれ、老人であれ、若い者であれ、貴人であれ、下賎であれ、シテ役といふことに就ての固有の謡ぶりは一つ定ったものがある。其謡ぶりは却々細いことで、これを筆の力で顕すのは容易に出来ることでないから、良い師匠に就いて習ふ外はないのであるが、先づ其の大要を言へば、シテは其の能の主人公だけに其の固有の位を以てシットリと謡ふべきである。ワキは之れに反し、元来がシテの脇立となってこえを佐けて行くべきであるから、シテに位を譲り破の心得を以て、ガラリと砕けて強く謡はねばならぬ。例へば鉢木の如きは、ワキは行脚僧とはいへ時の執権最明寺時頼であり、シテは落魄せる一郷士に過ぎぬのであるから、其の位に於てワキの方が遥かに上に居ること勿論であるが、其の人物の位と役柄の位とは自から別で、ワキは品よくシッカリと謡ふうちにも強く砕けた所があって脇役たる固有の位を失はず、シテはサラリと謡ふうちにもおのづと其の能の主人公たる位を持して役柄の重きを失はぬ。土車の主人と家来といひ、正尊の弁慶と土佐坊といひ、其の人柄と役柄との区別を謡ひ分けるのが詞に就いて最も大切なことである。ツレは又軽いといふのが持前の位で鉢木のツレは女であるから、決して荒々しくは謡はれず、女らしく静かに謡ふが、其の静かのうちにツレだけの位で軽く謡はねばならぬ。静かに軽くといへば矛盾するやうであるが、これは確かに出来ることで、其の呼吸を覚えれば何んでもないのである。位といふものは謡全体に渉ることで、筆の上で其の謡方を示すことは至難であるが、多くは謡ひ出しと当て所と謡切りとの所で其の別がつくので、ノベツに位をつけやうと思ふと、謡にハコビが無くなってダレてしまふ。シテ、ワキ、ツレの謡ひ分けは多くは詞の頭と臀と中の当て所とにあると思へば大差はない。

◇ 人 物 に 就 て 謡 方 が 違 ふ
 男女、老若、貴賎等其の扮する人物に就いて其の詞の謡方に差が生ずる。節の所も勿論であるが、節のある所は、又節に就いての謡方があるからここでは先ず詞に就いてのみいって置かう。男といって一様には行かぬが、要するに男物は詞がスカリとして少しも撓みがない。隨って当て所も堺目を正しくキッパリと当てるのであるが、女はこれに反し、全体にシンナリと丸く謡ふと共に当り所もどことなく丸く当ててフウワリと謡ふ。即ち男物はいか程静かに謡ふものでもノリがなく、女物は軽いものでも必ずノリを附けて謡ふ。老翁もノリの附かぬ所は男物に似ているが男物程に強く無い。同じ老翁といひ女といっても、其人や能柄に依って決して同一でないが、其の心持はよく面に顕れているから、面を見て工夫すればよく其の心持がわかる。

◇ 謡 の 位 は 意  で 定 る
 謡には種々の人物が顕れているものであるから、これを謡ふに就いては各其の気位を表彰せねばならぬのである。けれども能役者とて天子様になったことも無ければ百歳の姥となったこともないのであるから、どのやうな謡方をすれば果して天子様らしく聞えるか、どんな声を出したらばよく百歳の姥たることが出来るか、いはば唯想像に止まる計りで実際の経験はないのである。其のうちにもまだ天皇とか老女とか言へば人間界の事であるから幾らかの想像もつくが、神霊とか草木の精とかいふと殆んど想像にも及ばぬものがある。且つ謡といふものは唯自分で謡ふ計りでなくこれを他人に聞かすべきもので、老女だからといって小さい声を出したのでは、広い所に居る千人二千人は勿論、百人二百人にも聞えぬ恐れがあるから、声は十分隅から隅まで聞えるだけのものを出して、其の上で老女は老女、草木の精は精と聞えさせねばならぬ。写実的に声を小さくするとか優さしくするとかいふのでは、謡として其位を示し得たといふことは出来ぬ。然らばどうしたら良いかといふと、そこが所謂芸術としての鍛錬を要する所で、熟練の結果意気の其の所に至ることとなるので、口で言ったり筆で書いたりした教授法でそれが得らるる筈のものでない。能役者は学者では無いから、此の作はどうのかうのと理屈の上から其の能の心髄を極めたものはないが、多年代々の先輩が研究の上にも研究して、次第に後世に伝へたうちに自然と其の心髄に合して、よく其の能柄役柄を写し出すだけのものに出来上っているのである。人には天性に声の良い人もあれば悪い人もあり、能役者といっても人間であるから悉く声があるともきまらず、中には随分銅鑼声のものもあるが、其の銅鑼声で楊貴妃とか静御前とか美人の面影を写すことも出来れば、又皺嗄れ声で、天狗とか鬼神とかいふものの荒々しい趣きを示すことも出来るといふのは、全く其の意気込一つにあるのである。其の意気込といふことが、一場の理屈や一時の工面ではゆくものでないから、真によく其の位を写すだけの謡人となるには、多くの鍛錬を重ねなければならぬのである。
 謡には其の顕れる人物に就いて夫々位がある外に、又其の文句に応じて夫々心持を謡はねばならぬ秘伝がある。即ち一句の内にでも主眼として活かして謡はねばならぬ文句があるのである。其の為には拍子の附け方にまで注意を要する。其例を挙げて見れば、彼の松風の吹くや後の山おろしの如き後の山と後ろをふり返り見る趣きを顕す為め喜多流では特に四ッ地と称して鼓の手を一粒伸して余計に引いて謡ったものである今は四ッ地にはせぬやうなれど長く引く心持に変りはない又弱法師の「春の緑の草香山」といふ所は「春」といふ字も「緑」といふ字も「草香山」といふ字も活かして謡はねばならぬのであるから、「草香山」といふ字が隠れぬやう小鼓の三ッ地の頭を「ホ」と一つ打たせて置いて、あとから別段に「草香山」と謡ふと能く草香山の文字が顕れて判然と聞き取られるのである。
これに反して、彼の大原御幸のシテの出の謡の「山里は物の淋しき事こそあれ」といふ文句では、唯「し」の字一字の謡方で其の文句の意味がよく顕れると否とになるのであるから、「し」の一字こそ実に此の一句中の生命である。謡といへば唯一口であるが、真の謡といふものを謡ふといふことになると、一番の謡には其の一番に就いての大体の心得があり、一番中其の役々に就いて各心持が違ひ、一句々々其謡方に就いてチャンと極った口伝があるのであるから、それだけの習練を重ねた上でなくてはならぬのである。

◇ 謡 は 詞 が 大 切 で あ る
 脇には一切女といふものがなく、又面を被るといふこともないから、シテに比して変化に乏しく簡単なやうであるが、脇の働きは多くは此の詞にあるので、詞の謡方に就いては大いに心得て謡はねばならぬ。先づ高砂とか老松とかいふ脇能の名乗りとなると、始めの「抑も是は九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成とは我事なり」とか、「抑是は都の西梅津の何某とは我事なり」とかいふ所は、詞の内でも声と号して普通の詞と謡方が違って居る。「我未だ都を見ず候程に」とか、「我北野を信じ」とかからが普通の詞となって居る。これは脇能に重きを置く所から出たのであるが、同じ詞といへば、名乗には名乗らしい謡方があり、問と答とでは其の心持が違ひ、待謡には又待謡の風があり、語は本より一種の謡ぶりがあり、殊に詞に上下の別が正しくあって、其の心持がよく顕はされている。これらの事は決して流儀に依り差のある筈のものでなく、よく心持の顕るるが良いに相違ないのであるが、昔は素謡といふことは今日の如くに流行せず、シテ方の流儀では、脇の謡所などには余り注意を払ふ必要が無ったから、或流儀の如きは、脇の謡は唯サラリと謡ひさへすれば良いといふので無造作に謡ってしまったのさへあった位であったが、今日の如く素謡が流行し、謡の吟味が届いて来ては、これらの事もよく吟味して、詞の意味のよく顕はさるるやうに謡ふのがいいに違ひない。

◇ 詞 と 節 の 堺 目
 詞には節がないといふものの、唯素読のままでは面白味もなければ心持も顕れぬから、一句毎に抑揚を附け、中に一ヶ所は必ず当て所がある。下の詞になると頭から当てて押へて出るから、当る場所は一ヶ所に止らず三ヶ所又は四ヶ所ともなる。これ又一種の節ともいふべきで、既に謡といふ以上は繁簡の別こそあれ、何れも皆曲譜のあるものといふべきである。且つ中には詞の内に節附があって、央は詞、央は節となって居るのもある。例へば鉢木の「仙人に仕へし雪山の薪」とか景清の「両陣を海岸に張って」とかいふ類で、終りの一字又は数字に節附のあるのもある。而して詞から節に移る時には、其の詞の終りには必ず気を持ち、重く押へて、ここで詞が終って節に移るといふことを示す。これは何流でも同じ事で、詞は普通に謡ひ飛ばして木に竹を接いだ様に節となるのは、巧者な謡方とは言はれぬのである。

◇ 習 は ぬ 謡 は 直 ぐ 分 る
 近時謡の流行が盛んな為謡の師匠が欠乏し、習ひたくとも習へないので、器用な人は他の謡の聞覚えや、又は推して知るべし主義で良い加減に謡ったりする向きもある。又習ふ方では殊勝に師を頼んでも、其の師匠が十分に稽古せぬ似而非師匠である為に間違ったことを教はるので、正当の規矩を守ることを知らぬといふ憐れな向もあって、謡を聞く度に感涙ならぬ涙のこぼれるやうなことが_々ある。併し如何程器用な人でも、習った謡と習はぬ謡とは少しく聞いて居るうちには其の化の皮が忽ち顕れるにきまっている。其の証拠となるべき個條は数々あるが、先ず下の三ヶ條が最も早い証拠である。

◇ 文 字 を 読 違 へ る 事
 同じ「老少」を夜討曾我では「ローショー」藤戸では「ローセウ」と謡ふといふ喜多流の定めの類は特別として、謡には一番毎に何所かに一箇所や二箇所は普通に違った読み方があって、習はずに謡ったら必ず間違ふ。又流儀に依って読み方の違ふのもある。例へば、敦盛の「蓮生法師」を、観世流では「レンセイ」と読ますが、外は多くは「レンセウ」と読む。養老の「長生の家」を「ナガイキの家」と謡ったり、半蔀の「雨憲原」を「アメケンゲン」と謡ったのは字の読み違いではないが謡では
間違って居るので笑を招く種となる。「息女」を「ソクヂョ」と読むと「ムスメ」と読むとは同じ一番の謡の中でも所に依って違ふ。「仰せらるる」といふのも、「オオセ」と伸すもあれば「オセ」と詰めるもある。かやうのことはいかに学力があっても、器用でも、習はずには知ることは出来ぬ。其の他節扱ひなり、合方に至ってはどうしても稽古しなくてはわからぬ所が数々ある。元来稽古せずに謡を謡ふのは、法律を知らずに法廷に出たり、地理を知らずに旅行をするのと一般で、大胆と言はうか、無智と申さうか、芸道から見て甚だ不親切千万なことである。何事によらず知った振りをするといふは悪いことで、必ず赤恥をかくものであるが、万事心得た人で、謡となると往々此の赤恥をかいて覚らぬ人があるのは実に片腹痛いことである。

◇ 謡 の 位 が 違 ふ 事
 謡の位は其の能柄と文句柄によって定まるのであるから、文学上の知識のある人で、よく其の文字を味はへばわかる筈ではあるが、併し数百年の間に専門家の研究して定まった位には、なかなか深遠な意味があって、普通の学才で判断したのでは容易にわからぬ所があるから、どうしても専門家に就いて学ぶ必要がある。然るに前項に述べた如く、師匠が悪いか、稽古が足らぬか、其の人の横着か、とにかく学ばずして謡ふ時は、其の位が備はらず、急い所が遅かったり、静かなるべき所が速かったりして、謡の沈着がつかぬ、聞く人が聞くと、其の位といふことで正当に習ったものか否かといふことが忽ちに判定されるのである。

◇ 謡 に 沈 着 の な い 事
 謡には安心といふことが必要である。此の安心は何から来るかといふに、結局熟練といふことから来るので、熟練するには稽古がいるのである。いかに横着な人でも、習はぬ謡をこれで良いと安心はすまい。悪いと知りつつ間に合せてやるから、豪さうに謡って居るうちにもどうしても安心が出来ないので謡が沈着ぬ。沈着ぬ謡はガサガサして聞かれたものでない。謡の沈着といふことでも、習った謡であるか否かといふことはよくわかる。「未完」

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