珍しい『調伏曽我』


 能の世界で曽我兄弟を扱ったものは、『調伏曽我』『禅師曽我』『小袖曽我』『夜討曽我』の4曲です。曽我物は主人公の兄弟の年齢から、青少年の演じる番組に選曲されやすいですが、『調伏曽我』だけは大人が演じなければいけない曲です。『調伏曽我』は観世流以外の四流にあり、シテは曽我兄弟ではなく、前シテが兄弟の敵の工藤祐経の役、後シテは箱根権現の不動明王と役柄も大きく変わり、曽我兄弟は弟の箱王(または筥王、はこおう)が子方として重要な大役で登場します。

私は残念ながら曽我物のシテは未だ演じていません。『調伏曽我』は子方と立衆、『小袖曽我』はツレの時致、『夜討曽我』では団三郎と鬼王といずれもツレとしての経験だけです。『禅師曽我』は特に稀曲なので、私の記憶にあるのは二度の上演だけで、なかなか観る機会が少ない曲です。『調伏曽我』は人数物で演者が大勢なので装束も多く、用意が大変です。
『調伏曽我』の地謡は特に後場の護摩の壇上での祈祷から不動明王の出現、五大明王の紹介と、最後に不動自身が形代(かたしろ)を刺し通し、箱王が本懐を遂げられることを暗示して消えるまで、まさに直球の、力そのものの謡で世界を創ります。流儀では特に強く、どっしりと重量感をもって謡うことが教えで、大きな力強い声量も必須とされます。父は「へとへとになるくらい強く謡わなくては『調伏曽我」にはならない」と言います。




 
 喜多流には珍しい巻き毛の赤頭があります。『石橋』の一人獅子と『調伏曽我』の二曲のみに使用が許されるもので、その豪快な異形には驚かされます。

 先日の「二人の会」(平成16年 シテ塩津哲生)で、喜多流として久しぶりに『調伏曽我』がとりあげられ、巻き毛赤頭の不動明王の勇姿が舞台に出現しました。こういう曲がもっと演じられてもいいのではと思います。後シテの装束を着けながら、赤頭に白蓮をつけることが気になりました。我が家の伝書にも、面は不動、赤頭に白蓮と書かれていますので、誤りではないのですが、白い花弁があまりに華麗で大きく、どうも不動の忿怒の形相としっくりとこない、私が思い浮かべる不動の姿には白蓮がないのです。不動明王は密教において大日如来が衆生の教化のために忿怒身に姿を変えられたもので、大日経では「慧刀(えとう)羂索(けんさく)を持ち、頂髪は左肩に垂れ、一目にして諦観し、威怒にして身に猛火あり。安住して盤石にあり。面門には水波の相があり、充満せる童子の姿なり。」と説かれています。(学習研究社「仏尊の事典」より)「大日経疏(だいにちしょ)」では頭頂に「莎髻(しゃけい)」(髪を束ねた鬟ミズラの形)を表すことが規定され、これに遅れて漢訳された、「摂無礙経(しょうむげきょう)」では「八葉蓮華」を頂くものも現れました。これによって不動明王の頭上には莎髻派と八葉蓮華派の二体の造像のスタイルが出来てしまいました。ですから白蓮を頂く演出には問題がない確証がとれました。10世紀天台系の安然上人は不動明王の形を容易にイメージできるようにと「不動十九観」という十九の特徴を決め、以後これに基づき不動の面貌はそれ以前の両眼を大きく見開くものから、左目をやや細め、右目を見開いて天と地を睨む「天地眼」の表情になりました。(詳細は下記の「不動十九観」を参照して下さい)

 蛇足ですが、『葵上』『道成寺』の謡の稽古で、「ナーマクサンマンダ、バサラダー、センダマカロシャナー、ソワタヤウンタラ、タカンマーン」と謡うときまって笑われます。「どうしておかしい?」と聞くと、「バ・サラダだ!と謡われるから、どんなサラダかと思って…」が皆様のお返事です。「これは食べ物ではなく、不動明王のお名前です」とお答えしますが、実際はナウマクサンマンダ、バサラダン、センダ、マカロシャナ、ソワタヤウン、タラタ、カンマン(曩謨三曼陀バ日羅赦、旋陀摩訶魯遮那、ソ婆多耶吽多羅タ干マン)で、謡とは句点や発音が少し異なるようです。(注、変換できない字はカタカナで表記しました)

最近、舞台や楽屋で今まで気にならなかった事が、あれっ!と思うときがあります。作り物や小道具は、実際、本物の代用として作成されていますが、そのものの本質を知っておくことは、演者にとって大事なことのように思います。今、気になることを調べる作業が楽しくてたまりません。気になれば調べ、調べるとまた興味が湧く、こんな繰り返しが、なにか演能の役に立てば…と思っています。今回、白蓮の件で不動明王の姿やその歴史が勉強でき、不動明王が私の中に少し入り込んできたように感じます。いつの日か、巻き毛の赤頭に不動に似合った白蓮を載せ、健気な子方を配して、密教の世界が根底にある、この悪魔降伏の『調伏曽我』が勤められればと心の中で念じています。

不動十九観とは
インドでは梵名アチャラナータで「動かないものの守護者」という意味で、次にあげる十九の項目がその特徴である。
(1)大日如来の化身であること
(2)真言中にア・ロ・カン・マンの4字があること
(3)常に火生三昧に住していること
(4)童子の姿を顕わし、その身容が卑しく肥満であること
(5)頭頂に莎髻があること
(6)左に一弁髪を垂らすこと
(7)額に水波のようなしわがあること
(8)左の目を閉じ右の目を開くこと
(9)下の歯で右上の唇を噛み左下の唇の外へ出すこと
(10)口を硬く閉じること
(11)右手に剣をとること
(12)左手に羂索を持つこと
(13)行者の残食を食べること
(14)大磐石の上に安座すること
(15)色が醜く青黒であること
(16)奮迅して憤怒であること
(17)光背に迦楼羅炎があること
(18)倶力迦羅竜が剣にまとわりついていること
(19)二童子、矜羯羅(コンカラ)童子・制咤迦(セイタカ)童子が侍していること

写真 『調伏曽我』粟谷菊生  撮影 あびこ
   『調伏曽我』喜多実   撮影 森田拾四郎
   『石橋』粟谷新太郎   撮影 あびこ
                     

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