ラジオ放送の収録体験

先日、『実盛』のラジオ放送の収録(放送日7月10日AM7:15)を行った時、収録体験について書こうと思い立って調べてみた。子方時代の記録は、母が初舞台から書き留めておいてくれた「演能記録」があるのでわかるが、子方卒業後は自分で記入するようになったため、記載漏れの時期があったり、ラジオに関しては記録しないできたときもあり、残念だが詳細なラジオの出演記録は判らないのである。
 「演能記録」には、初めての収録は8歳で『橋弁慶』の子方・牛若丸役で、シテは喜多節世先生とある。その後は10歳で『橋弁慶』の子方、シテは喜多実先生、11歳の時も同じく実先生で『高野物狂』と母が記録してくれている。数度の収録経験の中でも、一番の思い出は父がシテの『松虫』の時のこと。多分私は10代も最後の方だったと思うが、『松虫』の全容も知らず、父から録音があるからシテ連を謡えと突然言われて面食らったことを覚えている。シテ連という役があることも知らない時分だから、どこを謡うのか、どのような役なのかと初めて謡本のページを広げたというお粗末ぶりであった。見ると謡うところはシテとの連吟しかなく、すると途端に、どうせ父について謡っていればいいだろうと暢気にしてしまった。それでも録音当日近くなると「放送だ、どうしよう……!」と焦りも出てきて内心は興奮気味。渋谷にあるNHK放送センターには裏に通用門があり、そこを通ると守衛さんが立って監視している。「502スタジオに録音に来た能楽の粟谷です!」と、ここでちょっと芸能人気どり。あ?我ながら、ミーハー!だ。
 父は少しでも多くの経験をさせよう、また世間に息子の名前を覚えてもらおうという親心で、未熟な私をメンバーに入れてくれたのだが、親の心子知らずとはこのことだ、未経験者が全国放送を体験してしまったのだからお恐れ多いことである。まして出演料まで頂戴してしまうのだから、さすがにあの時はウシロメタサを感じた。
ということで、この時のことは強く印象に残っている。遠い昔のお恥ずかしい一話でした。

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