大鼓について

大鼓はオーツヅミともオーカワともいいます。大鼓は「皮を焙(ほう)じる」といって、大火鉢に備長の堅炭を真っ赤におこして皮を焙(あぶ)り、カンカンに乾燥させます。それを男の強い力で思いっ切り締め上げる・・・そういう手間が掛かるので他の囃子方よりも、ずっと早く楽屋入りせねばなりません。昔は素手で打った方もいて、その音色は捨てがたいものがありましたが、今は皆、指皮(ゆびかわ)をつけて打っています。
小鼓を打つ人の袴の縞は細く、大鼓の袴の縞の幅は太めで、両サイドの笛と太鼓は無地に近いようなごく細い縞を用いると言われておりましたが、今はそれは守られておりません。僕の若い頃には、川崎九淵先生、亀井俊雄先生、安福春雄先生、瀬尾乃武先生・・・と何れも名人と言える素晴らしい方々がいらっしゃっいましたが、今もこの分野の方々が先人たちの立派な芸を受け継いで活躍しているのは頼もしい限りです。
 安福先生には、その頃若かった僕は大変可愛がって頂きました。よく飲みに誘ってくださいましたが、したたかに飲んでは、大事な衣装鞄を盗まれることしばしばで、なんとあのアラン・ドロンが「サムライ」という映画の中で安福先生の紋付を着て出ていたのです。紋所が「丸に洲濱」だったので直ぐ判りました。世の中が今のように豊かではなかったので泥棒は中のものを期待して盗ってゆくのでしょうが、宝石箱のような小箱は開けてみてさぞガッカリしたことでしょう。中に入っていたのは指輪ではなくて指皮だったのですから。盗まれた紋付が、どういう経路でそこまで行ったのかは判りませんが、安福先生はお背が高かったので、廻り廻ってドロンが着ることになっても寸法は合ったようです。風貌も、ちょっと欧米人的で、昭和二十九年、能の初めての海外公演となるベネチア国際演劇祭にご一緒に参加した時のベニスで撮った僕と二人のスナップ写真などは、先生を知らない今の人に見せると「この人は外人?」と訊かれる位です。体格の良いことではその時代、小鼓の幸圓次郎先生(幸清次郎氏の父上)は大兵肥満型でしたが、このお二方の大鼓、小鼓と笛の寺井政数先生との組み合わせによる修羅物の後場などのお囃子は聞いていて、ワクワクしたものでした。今は昔・・・と思い起こす懐かしい舞台シーンです。

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