『雨月』を勤めて

『雨月』を勤めて
住吉明神が描く風情と和歌の徳


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11月喜多流自主公演にて能『雨月』(シテ)を勤めました。
『雨月』は上田秋成の雨月物語と関係ありますか?
と、お尋ねを受ける事がありますが、まったく関係ありません。
能『雨月』は能『高砂』と同じく、摂津の住吉神社の住吉明神を取り上げた演目で、前場と後場の複式構成となっています。前場に老夫婦が登場しますが、シテの老翁は摂津・住吉明神の神霊ですので、シテツレの姥は播州・高砂明神の化身とも考えられます。しかし、ここは敢えて住吉明神だけに焦点を当てた方が、良いようです。


舞台進行にあわせてご紹介します。まず板屋の作物の中にシテとツレが入り引廻で隠して地謡座前に置かれます。


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ワキの西行法師が嵯峨野から住吉大社へ参詣する旨を謡い終えると、すぐにシテは「風枯木を吹けば晴天の雨・・・」と謡い出します。ワキがこれを聞き尋ねてくるきっかけとなる大事な謡です。ワキは宿を所望しますが、老翁はすぐに断ります。すると即座に姥にたしなめられるのは能『鉢木』も同様です。無碍に断る老翁や主人に姥や女房は「だからあなたはダメなのよ!」とたしなめる、これは現代に通じます。
曲名になっている『雨月』は雨と月、どちらが楽しいか?からきています。


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「軒を葺いて雨音を楽しもう!」と言い張る老翁に、姥は「月を見て楽しむには軒を葺かない方がいいわ!」と譲りません。まさに今も変わらぬ夫婦の姿です。「能は現代に生きている!」を証明してくれて面白いです。


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ふと口ずさんだ「賤が軒端を葺きぞ煩う」の歌の下の句に、良い上の句を繋げば宿を貸そう、と言い出す老翁に、西行法師はすぐ「月は漏れ、雨は溜まれと、とにかくに」と上の句を付けます。老翁は喜んで「月は漏れ、雨は溜まれと、とにかくに、賤が軒端を葺きぞ煩う」を詠吟しますが、ここは住吉の神が大好きな和歌を楽しく朗詠する気持を膨らませて謡うところで、前半の一番の聞かせところです。一曲のテーマである「和歌の徳」を前場では音として観客の耳に届ける大事なところだと思い勤めました。


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見事な歌心に感心した老翁は宿を貸すことにします。そして村雨が降ってきたと思ったら風の音だと、思わず老翁は作物から出て、動き舞となります。砧を打ち、落ち葉を集めて秋の名残を惜しみますが、伝書にはあまり舞う意識を持たないように、と記してあります。なるほどあまり動き過ぎては、秋の風情には似合わない、この様な感じは実際に舞台にて、演じてみてはじめて解ることで、貴重な経験が出来たと喜んでいます。夜が更けると西行法師に休息をすすめ、老夫婦は姿を消し中入となります。


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能『雨月』は「風情の能」と、教えられていますが、これは特に前場に関しての教えのようです。秋の情緒ある風景描写と和歌の称賛がこの曲のテーマです。派手な動きがなく地味で渋い能ですので、はじめて能をご覧になる方には少々退屈に思われるかもしれませんが、演者の能楽師としては、この曲をどのように勤め終えるか・・・どのように通過するかが、シテ方能楽師の中間テストのように思われます。落ち着いた曲の風情を醸し出すには、若年では中々難しく、父の言葉「秋の到来を少し寂しく感じるようになって・・・、そしてようやく手掛けられる曲なのかもしれないなあ」を思い出しました。
この度、64歳にて初めて『雨月』を勤めさせていただきましたが、最初は喜びの反面、この曲が選定された事が馬齢を重ねた証であるように思えて、中々複雑な思いでいました。勤め終えて、年を経た者でなければ手に負えないところに少し手応えを感じられたことを素直に喜んでいます。この曲の持つ不思議な力、これを体に染みこますか、撥ね除け通り過ぎるか、そこが今後の能楽人生の大きな分岐点にもなるような、そんな大事な曲だということも、演じて知りました。


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さて中入り後、少し寝てしまい目を覚ました西行は、先程の老人夫婦は見当たらず、自分一人松の下に居ることに気づきます。すると、住吉神社の宮人に乗り移った住吉明神が「石王尉」と呼ばれる老人の面を付けて現れ、自ら名乗り、弊を持ち祝詞をあげて、和歌の徳を讃え舞を舞います。
普通、祝詞はあまり抑揚を付けずに平坦に謡うようにしていますが、『雨月』の祝詞は住吉の神の感情が幾分出た方が良いと思って勤めました。
最後は神が宜祢(きね)に乗り移り、神の思いが言葉を超えて、思わず舞い出す風情で舞います。


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喜多流の後シテの舞は「真之序之舞(しんのじょのまい)」です。他流では「働き」の演出もあるようです。「喜多さんの真之序は仰々しいな」と、お囃子方からもご指摘いただきましたが、従来通りで勤めました。
住吉明神を扱った曲目に有名な『高砂』がありますが、こちらは「神舞」を舞います。


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『高砂』の後シテの使用面について、伝書には「邯鄲男」又は「三日月」と記されていますが、これらのお顔立ちは、若さと力強さを感じさせてくれますので、舞も当然キビキビと早い「神舞」です。一方、『雨月』や『白楽天』の後シテの住吉明神は面「石王尉」を付けて老体として登場しますので、落ち着きながらも力強い「真之序之舞」を舞うというのが喜多流の主張のようです。今回は神力を備えたパワーある老人であるかのように舞いたいと思い、お囃子方にはそれなりのスピード感でお願いしました。


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能『雨月』は四番目物にも脇能でも扱える曲です。この曲の舞台進行は、前場では老翁と姥と西行の3人で展開しますが、後場には姥は登場せず、ワキもシテに絡む事はありませんので、脇能の扱いが吉と私は思い、今回は初番でもあるので、脇能扱いとして勤めることとしました。真之序之舞もややサラリと住吉の神様が喜んで舞われているような雰囲気で勤めたく、その旨をお囃子方にお話するとご理解いただき、とても上手く囃して下さいました。ここに感謝申し上げます。


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後場をご覧になる時に注意しなければいけないのは、シテは老体で登場しますが、住吉の神様が老いているのではないということ。老人に取り憑くのがお好きなのです。
神が老人に取り憑いているので、演者としては単に老いた風体を真似るのではなく「不思議な力を持っている爺さんだなあ」と思わせる演技が必要です。これは前場のシテにも言えることですが、特に後シテの住吉明神は、西行法師が嵯峨野からわざわざ住吉まで来て参拝してくれた事への喜びと、更に和歌の徳を伝えようとし、次第に言葉だけでは済ませられなくなり、遂に思わず身体を動かして楽しく舞ってしまうのです。そのような気持ちで勤めました。


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舞い終えた神は西行法師に念を押すように詰め寄るかと思うと、急に宮人から離れます。取り憑かれていた宮人は正気に戻り、本宅に帰宅したと終曲しますが、このもぬけの殻となるところがクライマックスです。ここをうまく見せるためにも、それまでの老体の動きが力強くなくては、変化が強く表れません。それまでのパワフルさが必要なのです。宮人は正に薬を飲んでパワーを発揮するかのように舞い謡い、神が離れると途端に、薬の効き目が切れ力を失ってしまう・・・、これも現代に通じるように思えてなりません。


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今回、はじめて「石王尉」を付けました。この面は『西行桜』では桜の精、『遊行柳』では「柳の精」となりますが、『雨月』や『白楽天』では住吉の神となります。
この面が『雨月』の住吉の神では、なにを思われているのか、何を伝えたいのか、と、お顔を眺め、自身に問いかけていますが、未だに答えはわかりません。まだその域に至っていないようです。
父が勤めた『雨月』の写真の裏に、「膝故障 具合悪し」と記されていましたが、私も左足不良での演能となり、思わず苦笑してしまいました。終演後、先輩方にご挨拶に行くと、「菊生先生に似ていたよ。おとうさんそっくり」と言っていただきましたが、父が勤めたのは74歳の時、私は64歳、この隔たりがあるうえで、父似が、嬉しいような、そんな老人に見えたか、親子だから仕方ないか・・・、とこれまた複雑な気持ちがこみ上げ苦笑しながら、自身の能への道にあと何回テスト曲が来るのだろうか、と期待と楽しみを感じ、健康で能の道を歩いて行きたい、と改めて思いました。

(令和元年11月 記)

写真提供
(前島写真店 成田幸雄)1,4,5,6、9、12,13
(石田 裕)2,3,7,8,10,11,14