面打師・岩崎久人さん、石原良子さんと
岩崎 久人
石原 良子
粟谷 明生
(今回は、『殺生石』女体や『経政』烏手の折、面を使用させていただきました面打
師の岩崎久人さん、そして石原良子さんとの、面について雑談話を記載してみました。)
粟谷 今日はわざわざお忙しいところ、お集まり頂き恐縮です。どうぞお気楽にお話頂ければ結構ですので・・・。面を打たれるとき、一応大きさ、サイズは決まりがあるでしょうが、人それぞれ顔の大きさが違いますよね。最近はどうしているのですか? 女流能楽師もおられますが、そういう方のは小さく作られているのですか?
岩崎 女性のはわざと小さく作らないと、どうしてもおさまりが悪いよね。今、男の人も顔、小さいでしょ。体は大きくなったけれど、顔は小さくなっている。佐々木多門君、狩野了一君、皆さん小さいですよ。
粟谷 若い人はそうですね。小さくなりましたね、うらやましい。でも私やうちの父などはでっかいですよ(笑い)。
岩崎 うちの金太郎先生なんか、あんなに顔が長かったのに、面を上の方につけていましたからね。
粟谷 昔は観世さん、梅若さんは割と下に当ててつけられたそうですが、今は平均して上につけている方が多いんじゃないかな。寿夫さんの写真を見ると高いですよ。面の受け(うけ)は難しいですよね。今はどの流儀も当て物をつけますが、つけたときは丁度良いと思ったのに、「おま?く」と言って、幕が上がった途端に、「あれー」って、変わってしまう人もいます。へっへー・・・私ですよ。(笑い)
岩崎 素人会の申合せのとき、ツレをやっている若い人に、「オイ、どこを向いているんだ。もっと下を向け」と言ったらだんだん下に向いてきたから、「そこだ! そこを覚えておけ」って言ったんですよ。僕のこと誰だろうと思っただろうね。
石原 当て物は前もってつけたりはしないんですか? その当日その場でつけるの?家で前もってつけておけばいいのに・・・。
粟谷 それは家に面があれば、可能だけれど・・・、だって皆が皆、自分の家に面があるわけではないですから。能夫だったら、本家の蔵にあるので、ある程度の仕込みは出来るでしょうが、でも所詮自分では受けが見えないので、どうしても信頼出来る人に見てもらわないと・・・、となると当日っていうことになるんですよ。
石原 じゃあ、面は当日はじめてつけるのですか?
粟谷 そうですよ。普通はみんな当日ですね。持ってきてもらったときに。
石原 そうなんですか。
粟谷 そうですよ。だから面を持ってくる人は、開演二時間前には必ず持って楽屋入りしてくれないと演者は困ってしまうわけ。
石原 そうなんですか。この間『国栖』を拝見しました。おもしろかったですよ。面は何かしら、後は何?
粟谷 前シテは「三光尉」で、作者は・・・判らない。後シテは「不動」です。
石原 前の面、いい面ですね。後は黒く見えたんですが・・・。
粟谷 あの「三光尉」よかったですか。「不動」は新太郎伯父がどこからか買ってきたんですよ。当時能夫が「どうして不動なんか買うの、何に使うつもりなの!」と言っていたのを覚えていますが、まあ折角あるので、一度試してみたいなと。能夫も『嵐山』で一度つけています。そう、黒いですよね。我が家の面は、祖父益二郎と伯父新太郎が集めたものです。新太郎伯父は面の収集家でしたから、良い面が手に入るとその面を使う曲を演能の選曲としていたぐらいです。面白い話があってね、私も当時子供でしたが、その場にいたので薄々覚えていて、そう、父がよく皆さんに話すから、よけい印象が強くてね。伯父が「大悪尉」が手に入ったというので翌年に『玉井』をやることにしたんですよ。いざ本番というとき、先々代14世喜多六平太先生が、いきなり、「龍神は黒髭!」といいだしちゃったわけ。新太郎伯父が悔し涙でしょげているものだから、父が六平太先生に「先生、『玉井』ですよ、頭は白! 白頭ですよ! 黒髭ではおかしいんじゃないですか?」と申し上げたんだって。でも六平太先生は葉巻をくわえながら、「昔・・・津軽におつむが白くても髭の黒い方がおられた・・・」とお返事されたとか(笑い)。
石原 面白い! 私たちが喋るより先生たちのお話聞く方がいいわ。
粟谷 岩崎さんはお能も舞われているようですが、お稽古は何年ぐらいやられているのですか? 打つ方が先なんですか?
岩崎 打つ方が先です。守屋与四巳先生が面を打つなら謡えた方がいいでしょ、一番でも舞った方がいいでしょ、やりましょうというのでやらされて。イヤイヤやったんですよ。
粟谷 金春流はどちらで?
岩崎 それね。毎年横浜能があるというので、能面を打ち始めたとき、やっぱり能楽師に見てもらわないとわからないと思って、それで役員の人に聞いたんです。そうしたら桜間金太郎先生がいらっしゃるというので、お会いしたら、金太郎さんに、「あなたのような人は何人も来たけれども、ものになった人はいないね。三年やってみて同じ気持ちだったら、そのときに見てあげるから」と言われてね。その言葉を素直に受け取って、三年したらもう一度見てもらおうと思った。でも金太郎さん、三年経たないうちに僕の面使ってくれたんですよ。
粟谷 石原さんはどうして打つようになったのですか。
石原 能面を一つほしいかなって。お能なんか何も知らずに。
岩崎 僕はね、テレビを見ていて、能面っていいな、ほしいな、でも買うと高いだろうな。だったら自分で作ってみようというのが一番最初のきっかけ。誰かに習おうと思って電話帳で調べてみたけれど、能面を教えるなんてのは無いんですね。木彫というところを調べていて、実にわかりやすい名前の人がいたから、そこに電話をかけたんですよ。「能面つくりますか?」って。「つくりません。でもそういう彫刻をしている人は知っていますよ」というので、そこを教えてもらって電話をしたんです。訪ねて行って「教えてください」と言ったら「オレ知らねえ、自分で勝手にやれ」と言うんですよ。
粟谷 へー、みなさんはどうなんだろうなあ。
岩崎 いやあ、教える人がいたはずですよね。
粟谷 今は教える人も習う人も多いですよね。
石原 能楽師の先生たちは「打った面を見てください」って言われることもたくさんあるんじゃないですか。
粟谷 あまり多くはないですが。たまに見てくださいと言われて・・・、見ると、エーッというぐらいなもので、いやになっちゃうんですよ。だから能夫さんは「難しいですね、彩色は・・・」なんて言ってごまかしたりして(笑い)。
岩崎 金春会の桜間金記氏の『朝長』ね。粟谷さんに頼まれた『須磨源氏』のときの面あったじゃないですか、あれでやったの、そしたらピッタシ! 金記氏が「この面何ですか? って尋ねられて、何って答えて良いのか困ったよ」って言ってましたよ。
粟谷 名前をつけられたら・・・。
岩崎 いや、須磨とは書いてあるんですよ。この間の『殺生石』女体を拝見してそのときの写真を写真家の石田裕さんから見せてもらったんですが、石が割れるときの写真ね、ちょこんと顔が出ている写真、ああいうのは玄人の人は撮らないね。実におもしろい写真だよ。
粟谷 あれシャッターチャンスがいいですよね、ちょっと写真が暗いけれど。私ちょっと顔がでか過ぎるから、面から顔が横にはみ出していて、気に入らないんですが・・・。頭(かしら)をつけたとき、力髪という前に垂らす髪があるのですが、付け方のコツとして、頭の紐に通したらちょっと手前に力髪を出す、そうすると立体感が出るんですよ。あのときは付けた人が、これをするのを忘れたものだから、もろに肌が見えて残念でした。
岩崎 面の写真で気になるんだけど、よく見かける写真が僕らのイメージと違うんですよ。だいたい曇り加減なんだな。
石原 森田拾四郎さんは、照りぎみで、独特の捕らえ方をされますが。
岩崎 粟谷さんは、面の受けはどのようにして見ます?
粟谷 左右横から、目を中心に見ますが・・・、喜多流の人は横から見てますね。能楽座でご一緒したとき、観世栄夫先生は正面から見ておられました。私そこまで眼力がないので。
岩崎 僕は、真正面から口を見るんですよ。小面なら開いている口の形はいろいろありますが、歯のラインと左右口元が横一直線になるようなところ、曇っているとU字型に見えるし、照る場合はその逆に見える。良い受けというのは真っ直ぐなんですね。
粟谷 そうですか、良いことを聞きました。今度そうしてみよう。
石原 小面の話ですが、以前粟谷能の会で能夫さんが『求塚』をやられたとき、今の小面のような感じじゃない面を使われたでしょ。あれ面白かったわ。
粟谷 洞白の写しね。泰経春と書いてあったな。少し白い感じね。あれはすごく重いんですよ。一度使ってみたいけれどね。父がよく晩年の六平太先生が「面が重い」とおっしゃっていたと言っていましたが、年をとってくるとやはり面の重いのは疲労するんでしょうね。
岩崎 面って、「何じゃこれ」というようなものでも、舞台に上がるとすばらしいのってありますよ。
粟谷 近くで見るのと舞台で見るのとでは違いますね。
岩崎 近くで見ると、ボテーッとした感じで大した面じゃなくとも、舞台で見るとすごいんだなあ。
粟谷 本家に秘密の曲見があってね。友枝さんが『芭蕉』に使われたの。近くで見ると大したことなく見えるのですが、舞台で見たら見違えちゃった。いいねって言ってたら、父に、演じ手がいいからだよといわれましたけれど・・・。
石原 舞台での照明も面には大事ですよね。
粟谷 光はねえ。大事、それは演じる者には一段とね。喜多能楽堂は照明がまだ完璧ではないから、目付柱近くに寄ると目に光が入るんですよ。あれが嫌なんだなあ。素人のお弟子さんが面を付けられて稽古しようものなら、あそこで一瞬見えなくなってしまう、怖いものだから皆躊躇して止まってしまうんですよ。先生は後ろから、もっと先に出て!っていうけれど、当人は怖いですよ。
石原 それは変えられないのですか。
粟谷 もう一度、照明も手を入れないといけないですね、でも財団には資金の余裕がないし、他にもやらねばならぬことが多くてね。
岩崎 僕は目黒の能楽堂が好きでね。『羽衣』も『弱法師』も喜多能楽堂で舞いました。来年3月には最近打った面白い「曲見」で『隅田川』を舞います。最初は『藤戸』って決めていたのですが、あの「曲見」見てから、『隅田川』に変えましたよ。目黒の舞台は脇正面の後方のガラスに自分の姿が見えるじゃないですか。あれが良くてね、気に入っているんですよ。
石原 ところで、ホームページ大変でしょ。
粟谷 ええ。なぜやっているかというと、読んでくれる人が結構いるわけなんですよ。反応もあって、中には新聞感覚で見ている人がいるわけですね。三日に一回とか四日に一回とか見ている。それで、この間見たのと何ら変わらないとがっかりなさるようで、せっかく開いたのに何も変わっていない、新しく更新して下さいとメールが来るんですよ。
岩崎 うちも作っているけれど・・・・。
粟谷 岩崎さんのホームページのギャラリーとリンクするのはどうでしょうか? 公開するのがいやならやめますが。そういうものがあれば、私の演能レポートとリンクさせて、たとえば『大江山』で拝借した慈童の面を、ポンとクリックすると岩崎さんのホームページに行って、こういう面ですよと拡大の面の写真が出るなんていうのは、いいんじゃないかな。
岩崎 写真はデジカメね。息子に買いに行こうと言われ、買わされましたよ。六万円。
粟谷 わー高い機種ですね、六万円というのは。私のは人からゆずってもらったもの。いいものはすごく高いですね。だけどホームページに載せるものは、あまり上級機種でなくてもいいんです。画素数が少ない方がよいようです。
岩崎 そういうことになるとチンプンカンプン。
粟谷 息子さんの聡さんが、「父が粟谷能の会のホームページに殺生石の写真が出るはずだが、未だか、未だかとうるさいのですが、いつごろ記載されますか?」とメールが来ましたよ。「申し訳ない。『阿吽』という小冊子に出しますので、いましばらく待って下さい。出し惜しみしているんです」とお返事をしたら、その後に「父のホームページを開きますから、粟谷能の会とリンクしてほしい」という依頼がきました。すぐリンクしましたよ。
岩崎 そりゃどうもありがとうございます。
粟谷 今年も能雅院展、七月にやられますか? 銀座ですね、今度は面の方がメイン?あれはみなさんお仲間なの?
石原 違います、皆、一匹狼。
岩崎 一年に一回会う程度で・・・。
粟谷 橋岡一路さんも個展やられていますね。(5月28日から7月7日)
石原 100面展、すごいですよ。
粟谷 今度見に行くつもりです。能面展、松濤美術館ですね。先ほどの話に戻りますが、舞台に出してはいけないような面を能楽師が使っているときがありますが、あれは感心しませんよ。打つ方の責任と、付ける能楽師の責任もあると思いますが。そういうときは、地謡なんか一生懸命謡うのがばかばかしくなってしまう時もありますからね。
岩崎 あるだろうなあ。
石原 ご本人は満足しているのですか。
粟谷 本人? 能楽師のこと? それはまわりではなかなか言えないものですよ。 昔、ある方が、不適当な装束を付けて舞われたことがあったの、そうしたら父が、もう怒ってね。「人に物を借りるというのは、もう負けになるんだ。でも大事な曲を勤めるときはそれを覚悟して、頭を下げて拝借してでも、ふさわしい物を身に付けなくては駄目」ってね。面も同じことでしょ。幕が上がってシテが立っているあの瞬間、あれが仲間内での一つの勝負所でね。あの瞬間のあの場面は地謡から一番よく見えるんです。いい演者だときれいな場面ですよ。皆様には申し訳ないけれど、最初に我々が見てしまうの・・・。
岩崎 そこが一番いい場所なんだ・・。見る方も場所の好みというのがありますね。
粟谷 そうです。もう皆様、好き嫌いがあるでしょ。
岩崎 僕なんか真正面から見るのあんまり好きじゃない、中正面側がいいですね・・・。
粟谷 中正面じゃ、目付柱が邪魔でしょ。
岩崎 能面がちょっと横から見えるところがいいんですね。
粟谷 料金では正面席が一番高くて、その次が脇正面で、次が中正面なんですけどねえ。
岩崎 僕は中正面の脇正面側が好きだな。それから、念ずれば通じるというのかな。友枝家の万眉ね。こんなにきれいなものがあったらいいねと思っていたら・・・、何年かして友枝さんと知り合いになって、その面が家に泊まりに来たわけだよね。一か月ぐらい家に泊まって。
粟谷 泊まる?
石原 修理ですよ。
粟谷 それで修理をなさったのですか。
岩崎 そう。もうね、彩色がはがれかかっていたんだよ。でもいい目をしていたね。薄い目をしていた。それから、今度は目が見えないから大きくしてくれって言われてね。これ以上できないというところまでやりましたよ。万眉を見ると、友枝先生と思っちゃうもんね。友枝先生、何でも万眉使っていたじゃない。『羽衣』であろうが『蝉丸』であろうがね。
粟谷 そうね。あの年代の方というのは、ほら、それに取りつかれちゃうというか。うちの父もそうなんだけれど、河内の堰ね。何やるにも堰の小面なんです。遊女であろうが建礼門院であろうが『羽衣』であろうが、同じ顔ではまずいだろうと思うけどね。あれね、ご覧になったことある? あー、ありますよね。祖父が見つけてきて父にかけさせたら、実先生が「お前にはもったいない良い面だ」とおっしゃったとかで、それ以来ずっと父はそればかり、浮気しないの。新太郎伯父は、そういう一面主義じゃない。これで『班女』やって、あれで『楊貴妃』をやってと、まー、これが普通ですが、友枝先生や父はタイプが違うんですよ。
岩崎 なるほどね、いい面というのは舞台で見たとき必ずいいかというとそうでもないし・・・。同じ面でも、やはりかける人によってもえらく違うしね。
粟谷 この間、能楽座で父が久しぶりに堰の小面つけたんですよ。『小原御幸』ですが、栄夫さんが後白河法皇をやられて、異流共演でしたが。あの時、父が「やあ、再会したな」なんて言って・・・。あれを使わなくなったとき、父はこの女を捨てた、堰ちゃんを捨てた、そしたらどんどん朽ちていった、本当に真っ黒にね。私も「あれ、こんなに黒かったかな」と言ったら、「バカ、使わないから死んだんだよ」と父。能夫が「修理しますよ。もう使わないんでしょ。誰も使わないでしょうけれど修理しますよ」と言って。つばから汗から菊生のすべてのものが、もうぎっしり詰まっている面ですからね。新太郎伯父が「あの面は気味が悪い」と言ったぐらいで。能夫が一回かけて『玉葛』をやりましたが、どうもしっくりこないようでした。私が一回『船弁慶』で使ったら、父が伯父に向かって「どうして出したんだ」と怒ったそうで。面白いことに、父は私や能夫には直には言わないんですよ。確かに写真で見ると、父以外の人間がつけるとあの面、変なんですよ。
岩崎 面は言うことをきくのと、きかないのがあるんだよね。
粟谷 演者の言うことをきくようにこちらが大きくならなければいけないのかな。使い手が面を生かしてやらないといけませんね。この間の粟谷能の会の『殺生石』女体で後に付ける面、玉藻を前につけたでしょ。あれ結構正解だったと思うんですよ。あのきつい感じがね。
岩崎 はい、あれ前シテによかった。僕のねらい通りの感じが出ていて。仲間と一緒に見に行ったんだけれど、その人が『殺生石』ってあんなにおもしろいものだったかなと言っていたよ。おもしろかった。僕がこだわっていたのは岡本綺堂の小説を読んでずっとあたためていたものなんだよ。その小説を読んで、そんなものを作ってみたいというのがあったんでね。本来、女面で金泥なんてないんですよ。それを僕は薄く、よく見ると泥が入っているのかなという面にしたかった。だけどどうもああなっちゃうんですよね。でも、ああいうのもおもしろいんじゃないかな。
粟谷 使い道を考慮すれば、いいと思いますね。模写ばっかりというのもね。創造性あるものもあっていいはずですよ。だって三光坊や赤鶴の時代の人たちは新しく創造したんだから。どんどん沢山、写しと創作とを作って、いや打って下さい。期待しています。今日はどうもご協力ありがとうございました。
(平成14年6月 対談)
写真撮影 粟谷明生
(上より順番に)泥眼 小面 は岩崎打ち
獅噛(しがみ)増女は石原打ち
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