『半蔀』「立花供養」を語る3

横浜能楽堂特別公演 『半蔀』「立花供養」を語る

(10)習うことと個性を出すこと

川瀬 自分を見つめるということですよね。見つめ果てるというのは、どんなときでもそういう作業はあると思うんですよ。だけど多分、舞台というのはある種、馬鹿にならないとできない部分がある。馬鹿になるというのは変な言い方ですが。

粟谷 抜けるというか。抜けないとね。

川瀬 煮詰め果てたものが果たしていいものかどうかというと、難しいものですよね。白洲正子さんが言われているように、ただこのじいさん型通り舞っているわと。型通りに見事に舞う方がピタッとする場合もあるだろうし。本当に人それぞれの年代と、あるものによって、煮詰めたことが力を得る場合もあるし、全くそれらを忘れ果てることによって力を得ていくこともあるし。

笠井 それはね。

川瀬 本当にいろいろだと思うんです。

笠井 見ている方のこともある。まさに一座建立、見所同心になれるのは、それはすごく難しいことだからね。

川瀬 花とお能で見ると、花は習い続けることも恐いことなんですね。お能というのはある意味では習いきらなければいけないでしょうが、花というのは習いきってしまうと、習いきったためにあることができなくなってしまうということが多いのです。何か型通りに生けているんだけど、伸びていかないというところが圧倒的に多いのです。

笠井 能だって同じですよ。

川瀬 お能は強固な建造物がある分だけ、その中に密度を持ちながら、習った分だけ熟成していくというところがある。花なんかはそういう意味で言うと難しいところがあるんですね。今、立花をさせていただいていますが、これは本来池坊しかないものです。今は小原さんも草月さんもやっていらっしゃいますが、本来、立花は池坊以外にはお願いすることはなかったのです。

笠井 僕らもそう聞いていますよ。お能ではそうだって。

川瀬 他の流儀ではもともと立花というものがありませんから、正式にはできるわけがないんです。たまたま私などが立花をやっていますと、個人でやっているように見えるのですが、池坊という流儀で小さいときから習ってきたからできるんですよ。他の流儀でそういう土台がないところで、今、立花のようなものが立てられている。フラワーアレンジメントみたいで、立花とは程遠いものが多いです。

(11)時代の空気

川瀬 立花も時代によってずいぶん違ってきています。さっき見せていただいた伝書にあるように、昔はたくさんの花をたてた立花でないと満足しなかったのでしょう。粟谷さんは「立花供養」は全くおやりになったことはなかったのですか。

粟谷 はい、ないです。今回が初めてで、たぶん父も勤めていないと…思います。

中村 喜多流でもそんなにやっていないでしょう。

粟谷 追善能のように、それなりに予算が組めるとき、余裕があるときならですね。ですから非常に少なくなってきたんじゃないですか。もっとも天こ盛り立花ですが…。だからこの間の橋の会の友枝さんの立花供養は画期的に感じました。あの時の観世さんの若い人は六郎さんと友枝さんのと両方のお花と舞台を見ているわけですから羨ましいなあ。若い能楽師たちには衝撃が走ったことは確かですよ、皆お花の話をしていました。

川瀬 それは時代の空気というものですよね。

粟谷 川瀬さんのお花を見た人は、もしかすると立花はこういうものだ。昔のゴテゴテしたものは考えられないとなるでしょうね。

川瀬 時代の風潮ですね。

粟谷 実際お坊さんたちがやっていた立花というのは、90日間(一夏)の修行のときにお花をお供えする、立花供養はそのお花を切ってごめんねということで、供養するものですね。私はお寺の人たちがどんな風にやっていたのか。現場はどうだったのか知りたいですね。

川瀬 現実的にはそんなに仰々しいものではないでしょうね。

だけど時代というのは変わっていくのだと思うんです。たとえば玉三郎の女形は昔の女形とは違うわけです。昔の女形はもっと男っぽかったじゃないですか。今は映像にたえられるように、見た目も美しく。要するに舞台を見る人の群像が変わってしまっているので、いくら昔はこうだと言われても、今の人にはちょっとね・・・。

粟谷 カメラのズームアップがいけないのですよ。(笑い) 玉三郎さんの場合はまだズームアップしても大丈夫!

中村 それから以降はそれが基準になっていますからね。

川瀬 そのように時代が変わっているということが大きいですね。

(12)流儀より個人の時代

脇正面より

粟谷 時代の流れで立花もいろいろと変化しているわけで、川瀬さんの立花を見て、「これは池坊」という語り口調が段々と似合わなくなってきていると思うのです、そういうアバウトな世界で考えるのではなく。例えば、観世流の能を見たではなくて、観世流の誰々さんの能を見た、何流の花ではなくて、誰々さんの花を見たと、そう解釈しないといけないなあーと…、立花を見てそう思いましたね。

川瀬 それはあるでしょうね。

粟谷 一方はトルコ桔梗でやっている、一方は川瀬さんの秋草のあのお花、立花を見て…とお話をするとき、何を見たかで全然話が合わない状況がありえるなあと・・・。

川瀬 全然違いますよね。

中村 お能の流儀でいえば、今、菊生先生だったり、友枝先生だったり、それが今の喜多流ということになるわけです。その前の世代はその前の世代で・・・。

粟谷 だから友枝さんの能を見たとか、個人名で言わないといけないんじゃないかな。こんな小さな流儀でも人により全然違いますから。

川瀬 それはそうですね。基本的にはいろいろな人たちが出てくる素地があるということですよね。流儀という骨格があって、それにどのように肉付けしていくかは、多分、それがその人の独自なものになっていくわけです。花なんかも骨は学ばなければならないのですが、さっきも言いましたが、肉まで学んでしまうというのが恐い。習っていると肉を骨と思ってしまう。

粟谷 あります、あります、そう誤解してしまうの…って。

川瀬 そうなるとにっちもさっちもいかない。習いすぎるというのはね。

粟谷 そうですね。いいお話ですね。

川瀬 ある程度の骨組みというか、骨格があるというのはすごく大切なんですよ。立花という骨組みがあるから、どんなに自由にやっても立花なんですけれど、骨組みだけは立花じゃないと困るんですね。

中村 古典芸能のいいところは、その骨組みをきちっと守るというか。狂言で山本さんのところなんかその典型ですよ。だから若い人もそれで育つ。骨ができる。それからどうやって肉付けするか。先ほど笠井さんがおっしゃったのは、多分、則重さんはその肉を付ける可能性があるということだろうと思う。骨は骨で突き詰めるのはいいことだけれど、肉の部分を付けられるというのが、その人の個性ではないか。だけど骨も何もなければ軟体動物になってしまいますからね。古典芸能ではなくなってしまいます。

粟谷 骨も作って、それから肉もですね。

(13)立花とシテの対話

粟谷 先程も少し話しましたが、今回、川瀬さんがお花を持って出られまして、見所にいる人はみんな待っていますから、ああ、あんなに高い草花を持って出るのは大変ではないかなどと思って見ている、すると川瀬さんがスーときれいに持って出られて正先に行き、座って置き少し直したりする。あの辺から、お客様の目のピントはピーッと、そこに集まっているのです。すべての目のピントが。そこを今度はシテに合わせてほしいなあと私の立場として思うのです。でも、それがなかなかむずかしくて・・・。能としての夕顔の精みたいなものの表現に集中するべきなのか、逆に私自身の個としての能楽師を見てもらえればいいのか、どうすればいいのか悩みます。川瀬さんがおっしゃっていた縦糸と横糸を織り成していくようなものだなってことを感じますね。徹底的に感じさせられるのですよ。

川瀬 普通だったら立花がないところで序之舞をされるわけでしょ。でも舞と交差する何かがあってもいいのかもしれませんね。

粟谷 そうですね、今日は舞い易かったです。あまり大ぶりではなかったから、絶対にお花にはかからないなと…。大きいと袖がお花に触れたりして、それは嫌だなと。それがすごく注意して舞いました。

川瀬 基本的には後場では花を出しませんからね。

粟谷 あとは拍子の踏み方ですね。踏むことで花器が動くといけないとこれも注意しました。

川瀬 桔梗が揺れていましたけど、問題なかったです、よかったですよ。

粟谷 最初踏みましたら、ふわ?と揺れたのが見えたから、アーーッ、とね。外見、夕顔の精はきれいそうで、実は、内部ではアーーッ、次はこれくらいかーあ、なんですよ。(笑い)

川瀬 でも、夕顔の花はよかったですね。振動でずっと揺れていたの悪くなかったですよ。

粟谷 そうですか。

川瀬 こちら側から見ているときは、思わず臨場感があって悪くなかった。ハラハラしながら見る舞台というのも緊張感があって悪いことではない気がしますね。西本願寺で親鸞聖人の降誕祭でやったときですが、光が風とともにふわっと来たり、張り巡らされている幔幕が風で揺れたり、装束も風をはらんでしまうし、光は乱舞するしで、全く異次元の、自然と一体化したような思いがけない光景になってしまう。それはそれで悪くないですね。

中村 それではさっきの立花の観念が違ってしまう。

川瀬 だけど外だったら、今日のようなお花は恐いですね。(笑い) 草ものは恐いです。やるなら松とかああいうものでないと駄目かもしれない。

中村 外で立花供養をしたら大変ですね。

粟谷 屋外での能というのは、これまた特別でね、特別の配慮をしなくてはいけないんです、例えば後見の作業が全く無意味になることがありますね。シテの袴の裾を直したり、クツロギで袖を直したりしても、すぐ風がビューっと吹けば意味がない。そういうのは厳島神社の御神能で毎年経験しているから言えるのですが…。でも太陽の光が装束に当たったときの荘厳さというか、光輝いたときの美しさといったら、太陽の光がいろいろに屈折して、口では言い表せないほどきれいなのですよ。茂山千五郎さんが「不思議やなあ、古い汚れた装束なのに・・・」っておっしゃていましたよ。そういう自然の綺麗さとか力みたいなものと、今日の立花の素晴らしさを比べてはいけませんが。大自然の凄さとは別に、あのお花のすごさ、エネルギーにすごく感激しました。それからね、これは自分の勝手な意見なのですが、舞っていて本来はワキの僧と対話しているわけで、ワキとシテの結ぶ隠れたラインみたいなものを大事にして演じるのですが、あの立花があることによって、もう少し別の感覚、つまりお花とワキと自分がいる感覚を感じました。花は単なるオブジェではなくて、エネルギーを発し、それが演者の世界とミックスしているような…そういう感覚に嵌まったというかなー。

川瀬 ススキの雰囲気がとてもよく出ていたと思いますよ。ススキが原の中で舞っている、非常にきれいだなと思いながら拝見していました。今の季節が一番曲趣にふさわしい時期ですからね。『半蔀』だったら秋の方がいいなと思っていました。

粟谷 いい時期にやらせていただいて。川瀬さん本当にありがとうございました。

川瀬 こちらこそ、本当にありがとうございました。

粟谷 若輩ものにお付き合いいただいて。

川瀬 いえ、とんでもありません。

粟谷 私は時分の花で、川瀬さんは真の花ですよ。

川瀬 とんでもないですよ。

粟谷 今回、こういうチャンスをいただいて本当に喜んでいるんです。

中村 それでは、このコンビで15年後にもう一度やりましょう。

粟谷 15年後? 生きているか分からないよ。もうちょっと早くしようよ。(笑い)

中村 早くては熟成しないではないですか。だからしっかり熟成させて。その年は私の定年退職の年なんですよ。それを記念して。すぐ来ますよ。

川瀬 そのときなら、私はどちらかというと小さい花でやりたいのですけどね。お客様が「立花供養」というご馳走を期待するとき、あまり小さいのではご馳走という感じがしないかもしれませんが、何回も食べていただいた後なら、小さいのでもそのよさを分かっていただけるのではないでしょうか。

粟谷 じゃもっと私、勉強して、熟成させて。

川瀬 私ももう少し・・・、真の花のときにご一緒させていただきますよ。

中村 私も生きていたら、15年後、お二人にお願いに参ります。

川瀬・粟谷 生きていたらね。

中村 遠大な計画ですね。(笑い)

(於・華勝楼、平成16年9月記)

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