写真集と弔辞
粟谷菊生
此の度 国文学の鳥居明雄教授と能の写真で皆様よく御存知の吉越研氏との編纂による僕の能の写真集が出ることになった。
鳥居氏は彼の大学生時代から今日に至るまで僕の追っかけ的大ファンだったそうだが 一度もお目にかかったことは無かった。それが三年前の平成十五年四月 僕が宝生能楽堂での玉華会で「鬼界島」の能を勤めたとき ロビーではじめて妻に自己紹介をされ、それからの面識ということになる。このときの「菊生先生のこれまでの舞台を写真集に残しては…」との御提案が発端で以後 氏は大学での本業の傍(かたわ)ら まことに多大の御盡力を払はれこの二冊の写真集の上梓(じょうし)に至った。
写真集の話のもち上った前年の夏 偶々(たまたま)妻は それまで演能順に整理してあった写真を急に思い立って曲目別に整理したそうだ。あまりの膨大さに半分は捨てたとのことだが喜多流専属のあびこ氏撮影の写真帳の分も、後に曲目別のアルバムに移し入れ、その後再度、五番立てに準じて分別するなど何回か整理し直してくれてあった。
当初「景清」だけの写真集を企画されていた鳥居氏だったが はじめて来宅された折 アルバムを見て これは「景清」に限らないで いっそ演能曲全般に亘(わた)った写真集にするべきだという考えに変った。そのうち一冊にまとめるには余りに多過ぎるので検討の結果二転三転、最終的には「景清」を別に一冊にまとめることになった。昭和三十年代からの舞台写真を百数点に選別して しぼり込むには随分と手間と時間がかかったようではある。僕は「我、関せず」とばかり外野にいるつもりだったが、そのうち写真の場面が どういう謡の箇所かと聞かれる度(たび) それには説明したのだから 心ならずも些かの参画とはなった次第。
今年になって夏を迎える頃、本の刊行に当って「日頃御昵懇(ごじっこん)の方々から一言お言葉を頂けたら…」との出版社の宮田社長や鳥居氏の御意向で各氏に寄稿をお願いしたようだ。
各氏から寄せられた御文章を読ませて頂いて僕は感激した。御座なりでも儀礼的でもないお心のこもった、実に個性のあふれたそれぞれの素晴らしい文章に。これはこのまゝ弔辞にしてほしいと僕は思った。いや、死んでからでは僕が聞くことは出来ないわけで、生きているうちに こんな最高の手向けのお言葉を頂けるなんて何という幸せかと とても嬉しく思っている。
「写真集が出来上がったら、一番うれしく眺めるのは吃度、能から幕引きをした貴方よ」と 何も彼もお見通しのような女房殿。それ当っているかも。
写真 粟谷菊生 仕舞「鉄輪」 出雲康雅の会 18年2月 撮影 石田 裕
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