阪大機関誌「邯鄲」への寄稿 平成18年度

阪大「邯鄲」への寄稿

「カードは多く」      粟谷明生

伝統ある阪大喜多会の自演会は今年も12月に予定されているが、残念なことに部員の減少で今年は能が出来ないこととなった。

昔の夏合宿の写真を見ると、父はこんなにたくさんの部員を教えていたのか! と驚いてしまう。
近年の少子化問題もあるだろうから、昔のようにとはいかないが、折角続いてきた自演会の能だから早く復活してほしいと願っている。
ではどうしたら能が出来るようになるか?

答えは簡単、人材の確保だ。
部員を増やすこともそうだが、大事な事は一度始めたら最後までやりとげるという精神力だと思う。
部長の高山啓君は必死に部員を増やし、結果を出している。この気持ちを今後も継続していけば、二年後にはまた能が再開出来るだろう。

企業や私の芸術・芸能集団も同様だが、人材、仲間の有無で繁栄もするし簡単に没落もする。目の当たりに見てきたから間違いない。
私は今、阪大と東北大と二校の大学生さんたちとお付き合いをさせていただいている。
皆さん国立大学に合格されるような優秀な頭脳の持ち主で、なおかつ心優しい好青年たちばかりだ。そんな才能の持ち主が、能をやってみよう! と思うのだから、鬼に金棒だ。悪いヤツはいない、が僕の持論。

大学生活にはいろいろあるだろう。勉強一筋で一流企業に入社か家業の医者を継ぐか、はたまたアルバイトに明け暮れて金を貯めて会社を設立、中にはその日その日の生活のためにという御仁もおられるかもしれない。

今、運動部や文化系のクラブや部活動に入り4年間熱中するというのは難しいことなのだろうか、それとも流行らないのか?
人それぞれの生き方があるから、私がとやかくいうことではないが、50歳を過ぎると世の中の裏側も少しずつ見えてくる。
いずれくる就職。いま企業や社会は学生に何を求めているか?

アルバイトで頑張ってきた学生や勉強一筋の超優秀な若者を採用するのは当然だが、実は会社というのはしたたかで、それは単に保険程度にしか思っていない。一時的な採用基準、その場しのぎにしか考えていないのだ。
では、欲している人材とは?

人をまとめる力と広く世界を意識し、なおかつ文化を大事にする考えをもった人、そういう人は引っ張りだこ、すぐにスカウトされるという。
勉強が出来るという一枚のカードだけではなく二枚、三枚のカードを持つこと。

阪大や東北大の喜多流愛好者の学生さんには、是非、結束力、協調性、日本伝統を守る文化意識というたくさんのカードを持ってほしいのだ。
それは決して損ではない。学生生活に後悔しないことだ。
それが判るには人生の半分? 50年かかるが、優秀なあなたがたなら、いま気がついてもいいはずだと思うのだ・・・。

平成18年6月記

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