謡や舞を覚えるには、繰り返し繰り返しの稽古が基本となります。最初の段階では大きな声でしっかり謡い、舞は舞台で実際に動きながら身に付けていきます。そして次の段階に進むと、曲の主題に合わせた謡い方や舞い方へと表現を膨らませて行きます。しかし、習得中はどうしても自分にとって覚えにくい、舞いづらいというところが出てくるものです。このような苦手な箇所は、意味を考えることより先に語呂で覚るのが実情です。
父、菊生から聞いた幼少時代の話です。中ノ舞(ちゅうのまい)を舞うには笛の唱歌(しょうが)を覚えなくてはなりません。
なんと「ヲヒャイ、ヒョーイ、ヒャーリウヒ」は「おひゃい、とーふ、がんもどき」と覚えたと言います。少年の耳には唱歌が文字通りに聞こえず、こんなふうに聞こえたのでしょう。
私の場合は、森田流の五段神楽(ごだんかぐら)で似たような経験をしました。この五段神楽には七つユリという特殊な部分があります。その途中で拍子を一つ踏むのですが、そのタイミングをつかむのが非常に難しいのです。七つユリの唱歌の一部をご紹介しましょう。
「ヒヤリーーーーーーーイイヤアラ、リイヤラアーーヒヒ、ツロラ、ルリウヒャーーロラロフ、イタルラアラ、ヒュイヒャイツ、ラアラアラ…」
この「イタルラアラ」の「アラ」で拍子を踏みますが、なかなか聞き取りづらく踏みはずし易いとこぼしていましたら、充雄君が傍に来て「明生さん、ロシア人が出てきたら拍子を踏んだらいい」と言うのです。なかなかのアドバイスでした。確かに「ロラロフさん」の登場を意識すると、今までの苦労が嘘のように消えて巧く拍子が踏めます。
もうひとつ。『巻絹(まきぎぬ)』に「されば御獄は金剛界(こんごうかい)の曼陀羅…熊野は胎蔵界(たいぞうかい)…」という詞章があります。この両界曼荼羅(りょうかいまんだら)に関して、私の記憶は不明瞭になることが度々あり、「あれ、碁盤の目みたいな曼陀羅はどちらだったかな?」と、詞章を謡うたびに首をひねっていました。そんなとき、京都のあるお寺の方とお話しする機会があり、胎蔵界と金剛界の区別を忘れないコツをお尋ねしました。すると、「胎蔵界は胎蔵の字の通り、女性の身体の象徴を表したもの。そう見えませんか?となると、もう一方が必然的に金剛界になります」と、印象的で覚えやすい記憶のヒントをいただけたのです。胎蔵界と金剛界。単なる音として覚えてしまえば、意味は知らずとも謡うことができます。ただ、ほんの少しでも意味を知ったとき、その分だけ謡の世界が少し広がるような気がするのですが…。
胎蔵界曼荼羅 – 密教の経典「大日経(だいにちきょう)」を図示したもの。子供が胎内で成長するように、真理探求の精神的な過程を示す。
金剛界曼荼羅 – 密教の経典「金剛頂経(こんごうちょうきょう)」を図示したもの。真理自体を表現している。
写真左 上 金剛界曼陀羅 下 胎蔵界(NHK市民大学より)
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