能には『石橋』や『望月』の獅子のように激しく活発に動き回るもの、また脇能の『高砂』『弓八幡』『養老』の神舞など素早い動きを要求される曲もありますが、一方ゆったりとした時の流れや動きの中にあっても、謡の詞章や演者の動きによってスピード感を感じさせる場面があり、工夫がなされています。
能『西王母』の最後は「王母も伴いよじ登る、王母も伴い登るや天路のゆくえも知らずぞなりにける」と、仙女(シテ)は天空さして消えて行くようにカザシ廻り返しをして終曲します。
昔、このカザシ廻り返しを素早くクルリと機敏に廻り得意になっていましたら、「それでは遠く彼方の空に消えていくようには見えないじゃないか」と注意されたことがありました。「遠い上空に超高速で飛ぶ飛行機が、地上から見上げていると、実際は高速なのになぜかゆっくりに見える。同じように、遠くに飛ぶという距離感を表すにはゆったりと廻るのだ」と教えられました。素早い動きより、じっくりとしかもふらつかずに廻り返しをする、この難易度の高い動きのほうが観客の想像力を膨らますようです。
但し、そこに演者の天界へ舞い上がるイメージや意識が内在されていないと、単なる回転運動にしか過ぎないことを補足しておきます。
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