今、桜が満開です。
能の曲目で春を扱ったものは50曲近くありますが、桜をテーマにしている曲の代表的なものは『嵐山』『雲林院』『花月』『鞍馬天狗』『西行桜』『桜川』『小塩』『田村』『忠度』『湯谷』などです。
喜多能楽堂のとなりの杉野ドレメ学園にある満開の桜を見て、ふとある能を思い出しました。それは故観世寿夫氏の能『西行桜』の話です。
通常喜多流では、シテの狩衣は萌黄色系か茶色系などの一重狩衣ですが、寿夫氏の狩衣は黒色であったと。何故黒色なのか、喜多流では想像できないこの色の選択の根拠は何であろうか、私は答えがわからないままでいました。
澄み切った青空に咲く満開の桜の美しさを演出しているのは薄桃色や白色の花びらの美しさであると思うのですが、私はこの美しさを際立たさせているもうひとつ別の存在があることに気づきました。それは桜の幹です。桜の幹は普通鼠色系統のものであると思っていましたが、今遠くから見る幹は、古木の黒幹として目に映り、なんともどっしりとした風合いがあるのです。心奪われ、思わず足を止めてしばらく眺めてしまいました。
花は白く、幹は黒に見える、寿夫氏はこのコントラストの妙味に目をつけられたのではないだろうかと勝手に推測して楽しんでしまったのです。私自身はまだ『西行桜』を勤めていないので、確かなことはいえませんが、シテは桜の精、幹こそ桜の精そのものであるととれる、この色の選択のすばらしさに改めて感心させられてしまいました。
しばらく見ていると、風がないのに枝は揺れ、花は散っていきます。
数羽の鳥が花をつまんでは、枝から枝へと遊んでいるように見えます。
「鴬の花踏み散らす細脛を、大薙刀もあらばこそ。」と花を散らす鳥を射ってしまおうという少年花月の心が判るような風情でした。
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