阪大機関誌「邯鄲」への寄稿 平成16年度

切戸口の更新も滞っていますので、父同様、阪大喜多会機関誌「邯鄲」への平成16年度の寄稿文を記載させていただきますので、ご高覧下さい。

三拍子揃える
 
辞書で「三拍子」と引くと、小鼓、大鼓、太鼓など三種の楽器で拍子をとることとある。能楽の言葉が出てきたので驚いた。

三拍子揃うとはこの楽器の拍子が揃うという意味と、三つの要件が全てそなわっていることとも書かれていた。

例えばバレリーナならば、美しい体型、技術、表現力の三つである。 世阿弥の著「花鏡」の中に申楽を志す者の三つの条件が挙げられている。
第一に、この芸道が好きであるかどうか…意欲があってこの道一筋に専念する熱情だ。
第二に、その者に才能があるかどうか…力量を身につける生まれながらの天性、素質だ。
なんとも厳しい条件だが、芸の才能がなければ難しいと釘を刺しているあたりが世阿弥らしい。

では最後は何か?
第三は優れた指導者を得ることだそうだ。
どんなに芸が好きで才能があっても、善き指導者がいなくては片手落ちなのだろう。
指導者の役割は習う者の生き方や芸の方向まで変えてしまうからその責任は大きい。

この三箇条は世間一般にも幅広く通用する三拍子と思い、忘れないように心に留めている。

自分の仕事としている能楽師を考えるとやはり当てはまる。
まず謡えること、それは、ただ音を出して古文の字面を読むのではなく、謡という発声法を基盤に、拍子に合わせ、曲の主張を身体の内部の力を駆使し伝えるという作業である。

舞うことは日常の生活感から遊離し、無駄な力を入れず足腰を軸に、スムーズに華麗に曲の主張を身体の動きで表現すること。
そして表舞台に立たない時は、舞台に立つ者を裏から支え裏方の作業に徹して作品の完成を手助けする。
これらが充分に出来る人を私は本物の能楽師だと思っている。
今喜多流に何人いるだろうか…。
本物目指して私もまだ修業中だ。

阪大喜多会の学生諸君と合宿をして、共に生活するといつも思う。それぞれが与えられた仕事を立派にこなし、練習も真摯に前向きで何事も素直な心で取り組んでいる。合宿ならではの役目や、まる一日という長時間の謡と仕舞の習得、先輩は後輩を指導し、後輩は先輩からの言葉を聞く。

毎晩、私の晩酌の相手もして下さり、有難く感謝感激している。自演会では舞って、謡って、録音や撮影、それに番組のめくり係。最近は人数が少ないのでOB、OGの方が受付の手伝いをしてくれる。
なんともファミリーでいい。とにかく自演会当日は大忙しだ。
なんでも出来るようになっていなければいけないのだな…と学生に教えられる。

今年の能は『小袖曽我』。
近年、父は自演会でこの曲を選曲したいとこだわっていた。
人数物のため部員が少ない状態では無理なので、しばらく演じられなかったが、今年はぎりぎり間に合うらしい。

舞台にこんなに部員が出たら、裏方は大丈夫だろうかと心配だが、そこは阪大喜多会ファミリーだから、OB、OGの方々にも期待している。

『小袖曽我』のシテは兄の曽我十郎祐成、ツレは弟の曽我五郎時致となる。

どうして兄が十郎で弟が五郎なのか不思議だが、理由がある。
兄弟の父は河津三郎祐泰(すけやす)だが、工藤祐経に殺されたため、母は二子を連れて曽我祐信に嫁ぐ。

後に、曽我祐成は伊東九郎祐清の弟となり十郎を名乗り、曽我時致は北条四郎泰時を兄としたため五郎となる。
十郎は十番目の子、五郎は五番目の子という意味ではない。

阪大自演会での『小袖曽我』は今回が7回目となる。
過去の先輩達の舞台が私の脳裏に蘇ってくる。
曲(クセ)の後、母が勘当を許すところや初同の「同じ子に、同じ柞(はわそ)の守傳(もりめのと)」の謡はいまの時代でもなんとなく泣けてくるから不思議だ。

長塚祐成と木原時致の兄弟と日高の局に、この劇的な能を立派に演じてもらいたいと願っている。
地謡を謡う男子や他の役の女子も皆協力してよい舞台を創ろう。
合宿はそのための一つの手段だ。

教える者の責任が大きいとなれば、私も努力を惜しまず自演会の盛会を目指し精一杯お手伝いしなければと覚悟を決めている。

16年度 阪大喜多会自演会のご案内
12月4日(土)2時始 山本能楽堂
能 『小袖曽我』  シテ  長塚美和、
          ツレ  木原彩佳  
          母   日高晴子  
          団三郎 野田美希 
          鬼王  上原久美子 

舞囃子『西王母』  シテ  日高晴子

他、連吟、仕舞、連調など 

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