『望月』という仇討ち物語
粟谷 明生
平成29年の私の演能は、喜多流特別公演『望月』(1月29日、於:喜多能楽堂)からスタートしました。
能『望月』はシテの小沢友房が主君・安田友春の妻(ツレ)と子(子方)と共に、仇討ちを果たす比較的単純でわかりやすい物語です。シテはほとんどセリフばかりのセリフ劇ですが、獅子舞があることから、重い習いとなっています。
また、仇討ちで重要な役割を演じる主君の子・花若役の子方にちょうどよい歳ごろの少年がいなければ成立しない曲でもあります。今回の特別公演では子方を大島伊織君が勤めてくれましたが、ちょうど子方適齢期です。ツレ役の父・大島輝久氏とともに、息もぴったりで立派に勤めてくれたことが、とても嬉しかったです。
『望月』の見せ場は仇討ちの場面に向けて、緊迫感溢れるクセ謡、そして子方の鞨鼓を付けた舞、シテの獅子舞と続きますが、実はシテ役としては、そこに至るまでの小沢刑部友房の心をいかに表現するかが大事で、課題です。能としての様式美を崩さず品位を保ちながらも、戯曲の面白さを伝えなくてはいけなく、あまり感情が入り過ぎては能の世界の結界を超えてしまい、かといってただセリフを謡うだけではお客様に面白く観ていただけないでしょう。シテは劇的、芝居的な要素と能らしさとのはざまで悩むところで、初演(平成12年3月、粟谷能の会)のときは声を張り上げるばかりで、友房の思いの深さを表現するにはやや単調になってしまったと、反省しました。
シテの友房は多くの負を背負っています。身分ある武士が、主人が討たれ、領地はなくなり、しかも、討たれた場に居合わさなかった無念。急いで戻りたくも、阻まれてそれも果たせなかった悔しさ。今は守山の宿・兜屋の亭主になり下がっているという境遇、それらを最初の名のりの謡で伝えなくてはいけません。
物語は、偶然にも亡き主君の奥様とご世継ぎが兜屋を訪れるところから展開していきます。再会の驚きと喜び、家来としての面目なさ、恥ずかしさが伝わる謡が必要となります。
さらには、そこにあろうことか、宿敵・望月秋長(ワキ)もやって来てしまい、あまりの偶然に驚愕する心、それらも抑えたセリフのなかにどう表現するか、これがシテ役者としてのこの曲の課題である、と思っています。
父・菊生は「腹芸(はらげい)でやれ」と言っていましたが、直球ではない、変化球を織り交ぜた謡い。その匙加減は難しいものですが、自分なりに織り交ぜることに気づいたことは今回の収穫です。
やがて、シテが主君の妻子に望月が来たことを伝えると、妻は、どのようにしてもいいから討つように、と強く頼みます。頼まれた友房にはよい策が浮かびませんが、思案の末、盲御前になって望月に近づこう、と計略を立てます。
盲御前は遊芸者であり、最終的には夜の伽もしなければならない者です。それを主君の奥様に提案するのですから、まさに苦渋の策です。しかし、盲御前ならばこそ望月の前に自然に対峙できるのです。この作戦に対して妻は毅然として受け入れ「嬉しやな、望みし事の叶ふぞと」と心強く謡います。仇討ちのためなら何でもやるという、相当な覚悟がここで見て取れます。
盲御前になりすました母と子は、敵の望月の前で出し物である、曽我物語(兄・一萬と弟・箱王)を聞かせることとなります。
「兄弟が五歳、三歳のとき、彼らの父は従兄弟の工藤祐経に討たれ、月日が経ち、七歳、五歳になったとき、幼けなき心にも父の敵を討つ、と思い始める」と地謡が謡い出します。
盲御前の定番の出し物とはいえ、安田の母子の境遇に重なる話です。地謡はさらに続きます。あるとき兄弟が持仏堂に入り、兄の一萬が不動明王に香を焚き花を供えると、弟の箱王が本尊をよくよく見て、「仏の名が宿敵の工藤、しかも剣と縄を持って自分たちを睨んでいるのが憎い」と走り寄り首を切り落とそうとするので、兄が「仏の名は不動、敵は工藤だ」と諭し、弟は刀を鞘に差し不動に向かい手を合わせ「どうぞ敵を討たせてください」と続き・・・。とその瞬間、子方の花若はしびれをきらし、「いざ討とう(今だ、あいつを殺せ!)」と叫んでしまいます。
この一連の場面は、演者達に全く動きはありませんが、力強い地謡の謡と強い掛け声と音色による囃子方の演奏に興奮させられるところで、聞かせどころです。
特に、クセの地謡には粟谷家伝承の特別な謡い方があります。それは通常より一段高い調子で謡うのが教えです。能が終わった後に、友枝昭世師が「菊生先生を思い出したよ。能夫ちゃんだから謡えるんだね」と仰っしゃったのが心に残ります。声量、キーの高さ、パッション、危機感をはらんだ謡い方。父・菊生の傍らで謡っていた能夫が顔を紅潮させ地頭を勤めてくれたお陰で、周りの地謡も張って謡ってくださった、と感謝しています。
「いざ討とう!」と子方が叫ぶとき、「討とうとは!」と脇差に手をかけて立とうとする望月の従者・アイ(山本則重)と緊張する望月・ワキ(殿田謙吉)に対して、「お騒ぎなさるな、うとうというのは八撥を打とうということだ」とシテのとっさの判断、この四人の一瞬の動き、ここから更に緊迫感あふれる場面へと展開されていきます。
そして、子方の鞨鼓を付けた八撥の舞に続き、シテの獅子舞となります。
獅子舞は喜多流では『望月』と『石橋』にあり、どちらも重い習いとなっています。
私は平成29年に、1月の特別公演で『望月』、3月に粟谷能の会で『石橋』と連続して勤めることとなりました。
両曲の獅子は実は全く違うものです。『望月』は武士が獅子頭を付けて獅子舞を舞うというお座敷芸であるのに対して、『石橋』の獅子は、獅子そのもの、霊獣的な雰囲気を醸し出さなくてはいけません。精神的にも違います。『望月』は獅子舞を舞いながら、相手を酒に酔わせ、敵のすきを窺い、仇討ちをいかに成功させるか、緊迫したなかでの芸であるのに対し、『石橋』は牡丹の咲き乱れるなかで、牡丹の香りをかぎ、狭い橋の上で軽快に飛び回るものです。今回は『望月』らしい獅子、を意識して勤めました。
『望月』の獅子の扮装は、赤頭に金扇を二枚重ね、間に舌にみたてた赤い袋のようなものを入れて獅子の口とし、覆面をして萌黄色厚板唐織の装束を被きます。この格好は現代もよくお正月に見られる獅子舞に似ています。獅子舞は息苦しい覆面をしますが、面を付けないので視界がよく、一畳台に乗ったり降りたりの危険もありません。舞の段数も少なく、『石橋』に比べるとプレッシャーはかなり少ないかもしれませんが、先に述べたような、緊迫した心理劇を意識し体現しなければならない難しさがあります。
獅子の胴体となる装束は厚板を坪折り(襟全体を内側に3つに折る)にし、被いて身を隠して出て、舞う時に装束から顔を出し両袖に手を通す早業を体得しなくてはいけませんが、実は装束の裏側にひもを通す仕掛けがあります。そのため、粟谷家では萌黄色立涌牡丹模様の唐織厚板を『望月』専用としています。演者は、望月が酔って眠ったことを舞いながら確認し、舞い納め、装束を被いたまま身を隠しながら、装束の内紐、赤頭、覆面と決められた順番に紐を解き、白鉢巻きの仇討ち姿となります。この段取り通りに作業することは『道成寺』の鐘の中の物着と同様です。
余談ですが、私が能にめざめ本気で取り組んだ曲『黒塚』で、後シテの腰巻にと選んだのが、この萌黄色の『望月』専用の装束でした。萌黄色と赤頭の赤が鬼女の装束として合うのではないかと思っての選択でした。見るとなんとも不似合いでお恥ずかしい組み合わせでしたが、あのとき能夫は「それはちょっとおかしいのでは」とか「望月専用だからだめ」などと言わず、黙って出してくれました。「自分で装束を選ぶ」ということの大切さを優先してくれたのです。今この萌黄色立涌牡丹模様の厚板唐織は、そんな装束選びの大切さを思い出させてくれる装束なのです。
初演の演能レポート「子方を通しての『望月』」では、子方が息子(粟谷尚生)だったこともあり、子方をどう育て、役作りをさせるかということに心を砕いてレポートしました。
今回は大島輝久氏が母役、ご子息の伊織君が子方で、親子共演、大島家の教育方針もあるだろうと、私からは特に何かを言うこともなく、信頼してお任せしていました。大島氏から、二人とも初演なので、型の多少の相談があったぐらいです。それでも申合せの前に一度本番さながらに稽古したいとの申し出がありました。本番さながら鞨鼓撥や刀を用意したほうがいい、最後に突き刺す笠も用意しようとしていると、すでに大島氏が準備してくださり、ここでもう内心安堵していました。ツレと子方のよく出来た連吟、親子で十分の稽古をされ本番に本領発揮されました。このことが私の『望月』の出来を盛り上げて下さったことは確かで、感謝しています。
今回も以前同様、不自然と思われる役者達の位置関係を、お相手の皆様のご協力を得て改善して演じました。
望月が来たことを、母子にこっそり伝える場面に、シテと親子、ワキとアイ、この敵同士が隣に座るのが従来のやり方です。これは何とも不自然です。こんなに近くにいるのに「何、望月と申すか」と驚きを大きな声で謡うのは子方時代からの疑問でした。そこで今回も、ワキとアイが宿を借りることになった後に、お二人に、ワキ座の奥に横を向いて座っていただき、子方らから少しでも遠く離れている状態にしていただきました。
こうすることで、シテの「言語道断・・・」からの驚きと独白、母子に伝えて仇討ちの作戦を練ることにつながります。いくら能は舞台装置が少なく、観客の想像力に委ねるとはいえ、想像しやすいように、できるだけのことをするのが演者の使命です。些細なことのようですが、演者は己のことばかりではなく、観る側に立っての意識、そこを忘れてはいけない、そこを無視するとそのうち罰が当たると思っているのです。
獅子舞の終盤、気持ちよく酔いつぶれる望月を見届けたシテは、獅子舞の装束を脱ぎ捨て白鉢巻き姿になって、子方・花若に仇討ちは今だと促します。その瞬間、子方は太刀を抜きシテと共に望月に迫ります。他流では獅子舞の途中にワキは切戸口から姿を消すようですが、喜多流は、子方がワキの隣に置いてある笠を飛び越え背後に回り太刀を振り上げ、シテも望月に飛びかかり胸ぐらをつかむリアルな演出です。「おまえ達はだれだ?」の望月の慌てた言葉に、花若も友房もそれぞれ名のり、その後は、笠を望月と見立てて、太刀を振り下ろし、小刀で刺し通し、見事本懐をとげます。
『望月』という能はシテが小沢友房であるのに、タイトルは敵の名前です。他にもシテではない者の名前がタイトルになる能は『葵上』『満仲』『昭君』『蝉丸』『白楽天』などがありますが、ここが気になりました。
最後の地謡に「思う本望遂げぬれば・・・・彼の本領を望月の子孫に伝え、今の世にその名隠れの無き事も」と謡い、「弓矢の謂はれなるらん」と終わります。
この仇討ちは土地(本領)ほしさでやったわけではない、土地はすでに望月のものとのお沙汰が出ているのだから、望月亡きあとは子孫に伝えよう、ただ自分たちは「弓矢の謂れ:武勇の徳」のためにやったのだ、それが伝わればいいのだ、と結んでいます。
この能の曲名が『望月』とする意味は殺された者に華を待たせる、そんな想いからではないでしょうか。これは私が演じて思った単なる感想からの考えです。
平成12年の初演から今年は29年、17年の歳月が流れました。私の能は進化したのでしょうか。つくづく時の流れを感じながら、これからも能人生を歩んでいくのだと心に期した、年の初めとなりました。
(平成29年2月 記)
舞台撮影 新宮夕海
楽屋撮影 粟谷明生
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