『通小町』を勤めて―演出の工夫の重要性―
粟谷明生
粟谷能の会(平成21年10月11日)で『通小町』を勤めました。
『通小町』は八瀬の里の僧が毎日木の実や薪を持って来る女の素性を尋ねると、市原野に住む姥で弔ってほしいと言い残して消えます。僧は姥が小野小町の幽霊と察し弔うと、薄の中から小町の亡霊が現れ僧に授戒を願います。すると深草少将の怨霊も現れ、小町の成仏を妨げようとします。僧は深草少将に懺悔のために百夜通い(ももよがよい)を見せるように説くと、少将は雨の闇路を小町のもとに通い無念にも九十九夜目に本望をとげられずに果てたことを語り狂おしく見せます。そして飲酒戒の戒め、佛の教えを悟った途端に多くの罪業が消滅して、少将も小町も一緒に成仏出来たと喜び消えていく、という物語です。
この曲は観阿弥作と言われ、通常の様式とは違った特異な構成です。シテ(深草少将の霊)は後場にしか登場せず、その代わりにシテツレ(小野小町の霊)が前場と後場に登場し、舞台進行役を勤めます。このツレ役はシテと同格・同等といわれる大役ですが、私はあまり意識過剰になり、シテのようになってはいけないと考えます。あくまでもツレはツレの立場、その許容範囲を超えずに勤めるのがツレの心得だと思います。
ツレは絶世の美人、小野小町ですから演者は立ち姿を良くし、謡も張りのある高音の声で、ちょっとツンとした冷たい感じの美人小町になれば、これが私の理想です。このツレ役、我々は指名されると嬉しい反面、その責任の重さを感じます。なんと言ってもツレとしての位をつくるのが難しく、これは何度も経験することでしか習得出来ません。
喜多流は観世流、宝生流と違い、前場の木の実尽くしの段の前にサシ謡(かたじけなき御譬なれども・・・)があります。ここの節扱いは難しく聞かせどころです。昔、父に「上がる音が違う、もっとやさしく張って謡え」と注意されたことを思い出します。今回、長島茂氏に私のツレの考え方を伝え、この大役をお願いしました。それに応えて勤めて下さったことに感謝しています。
前ツレは「市原野辺に住む姥…」と謡本にあるように小町の化身で老女です。しかし現行の演出は、前場も後場も若い女の扮装(紅有唐織・小面)のため詞章と姿が咬み合わなく、この似合わぬ扮装は演者からも観客からも、おかしいのでは…と言われています。
そのため近頃は前場のツレの装束や面を替えるのが流行っています。姥なら本来、鬘は白髪、面は「姥」ですが、中入で鬘を替えるだけの時間が無いので、今回、姥姿は諦め、鬘を替えずに装束を紅無唐織(いろなしからおり)にして面は「深井」にしました。後場は若き日の小町として再登場するので、中入で紅入唐織(いろいりからおり)に着替えます。短時間での着替えは忙しいので、あらかじめ装束に仕掛けをして、着付ける者も付けられ者も無駄を省き手際良く物事を運ぶことに集中します。
後場は普通、一声(いっせい=出囃子)にて、ツレは本舞台常座に入り、シテは橋掛り一の松辺りに立ち、無地熨斗目を頭から被り、被衣(かずき=姿が見えないことを表す能の約束事)の格好で問答となります。これは長時間屈んだままの姿勢なので息がしにくく謡いづらいもので、しかも無地熨斗目を持つ手が次第に痺れてきて肉体的にも非常に辛い演出です。「初演は被衣で…」という流儀の決まりがありますが、私は二度目ということで許して戴いて、被衣ではなく揚げ幕の内側に床几に腰掛けての問答としました。
幕の内側で謡う場合は、演者の声がしっかりと会場の隅々まで聞こえなくてはいけません。しかし、どうしても面を付け、揚げ幕の内側に居ると聞こえづらいようです。特に国立能楽堂のように長い橋掛りでは声の届きが悪く、演者は大きな声を意識しますが、ただ単に聞こえればと馬鹿でかい声では成立しません。地獄の暗闇からの亡者の叫びに聞こえれば良いのですが…。地下から呪いの声が聞こえるようで怖ろしい、と観客に思っていただけたら演者としては成功です。私も声の大きさには自信がありますが、どうも思ったほど充分に聞こえなかったようなご意見もあり、もっと大きな声を出す必要があるのかと、反省し勉強になりました。
演出の工夫に装束選びもあります。
普通は水衣に大口袴の出立ですが、替装束として狩衣・指貫(さしぬき)もあり、指貫の姿は少将の霊という優美な姿となります。初演は指貫で勤め、実は今回もそのようにと思っていましたが、同じ日に『葛城』で緋色指貫を使うことになり、指貫が続くのは好ましくないので、私は大口袴にしました。
指貫と大口袴の違いは単に格好が違うだけではなく演じ方も変わります。指貫は雅な風でやや柔らかな動きでも似合いますが、大口袴は鋭さや強さが必要となります。今回は大口袴で力強い少将をと心掛けましたが、如何でしたでしょうか。皆様のご意見をお聞きしたいです。
さて、少将が雨夜、小町のもとに通う道中をカケリ(立廻り)で演じます。笠を両手に持ち頭を隠して静かに目付柱まで行き、一旦遠くを見上げると、また屈んで左廻りをして大小前にて廻りながら、笠を落とします。
何故落とすのでしょうか?
風が強く吹いたとも、雨に濡れた手が滑ったとも、いろいろ観る側の想像にお任せするところです。少将は暗闇の中、手探りに笠を捜し見つけ取ると「あ?ら暗(くら)の夜や」と低い調子でありながらも、まだ諦めない強い気持ちを込めて謡います。このような調子も、経験を積まなければ出てこないものです。
今回、特別に小鼓の大倉源次郎氏にお願いして、カケリの手組に干流しと乙流しを打ってもらいました。チ・チ・チ・・・・と干(かん)の小さな高い音色からはじまり、笠を落とす寸前にポ・ポ・ポ・・・と乙(おつ)の低い透き通る音に替わり、笠を落とした途端に通常の手組に戻ります。小鼓の音色の変化で雨夜の百夜通いを聞かせますが、その音色が、雨の音とも、また忍び歩く足音ともと想像して演じましたが、演能後、大倉氏は少将の心音を打つ気持ちで打ったと言われました。ひとつの音色もいろいろな聴き方、捉え方がある、能はそれぞれ個人の自由に想像して観賞するものなのです。
このような演出は他流の雨夜之伝にはありますが、喜多流としては今までに取り入れたことはありません。「喜多流にないものを…」と苦言を呈する方もいらっしゃるやもしれませんが、しかし私はこれからの時代、能楽演者はより良い舞台を提供するために、いろいろなものを受け入れ試みるのがよいと思っています。それが良いものならば必ず残り、似合わぬ物は自然と消えていくでしょう。それでいいと思うのです。消えるだろう、似合わぬだろうと頭から決めつけるのではなく、最善の工夫を凝らすところに価値があるのではないでしょうか。勿論、いろいろな試みを取り入れるには能楽師として技術的なものを会得した上でという条件付は当然の事ですが…。
能には理屈や詞章に合わないことがたくさんありますが、総てを理詰めにする必要はないでしょう。しかし、現代に似合う演出を可能な限り捜し出す作業も能役者の忘れてはいけない大事な仕事です。演者側の都合ばかりを優先するのではなく、ご覧になられる方が舞台で起きていることが、スムーズに判りやすく想像出来る、そのような舞台環境作りを志したいのです。
今回も能役者の工夫ということで、いろいろ試してみた『通小町』でしたが、
鬘を取り替えることが難しいからと諦めた姥姿も、鬘の上に白い毛を乗せる仮髪を用いる方法がすでに試みられていることを後日知り、驚かされ感心してしまいました。
あ?何でそこに気が付かなかったのかと、自分に悔しい思いもしましたが、そのように考え、挑まれている方がいらっしゃるかと思うと、心強く嬉しくもまた励みにもなります。次回『通小町』を演るときは、是非それを導入したいと思います。
能をようやく考えて舞えるようになり、今能が面白くてたまりません。
「考えて舞っているようじゃ本物ではない…」という父の嘆きの声が聞こえて来そうですが、考えないで舞える、そのような高位になるには、充分に考え、考え抜いて、というもがき苦しむような時期があってもいいのでは、そんな状態を通過しなければ訪れてこないのでは…そう自分に言い聞かせています。屹度父も判ってくれるのではないでしょうか。(平成21年10月 記)
写真 粟谷能の会 平成20年10月
シテ 粟谷明生 ツレ 長島 茂 小鼓 大倉源次郎 大鼓 亀井広忠
撮影 石田 裕
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