興行を請け負う立場になって
―薪能で能の世界へどうぞ―
粟谷明生
午後2時の外気温は35度、猛暑日の夜、豊橋の吉田城本丸跡広場にて吉田城薪能(平成20年8月2日)が行なわれ、能『船弁慶』を勤めました。
今回の演能レポートは、能公演の依頼を受ける能楽師の立場を舞台裏からご紹介したいと思います。
今回主催する三河三座は能楽など古典芸能を地元三河地方に普及しようと発足されたNPO法人のボランティア団体です。その三河三座より薪能公演の依頼があったのは一年前でした。豊橋近郊のはじめて能をご覧になる方はもちろん、何度かご覧になられている方々にも、もっと能を身近に感じ楽しんでいただければ、そのお手伝いをしたいと思いご依頼を承諾しました。
能の催しの善し悪しは企画する側の取り組み方次第で決まり、面白くも平凡にも、またつまらない企画にもなります。
応援して下さる団体の経済力や宣伝力が興行に大きな影響を及ぼしますが、大事なのは実際現場で請け負う人がどのような考えに基づいて番組構成をして結果を出すかです。
能の興行の請負人には能楽団体の事務関係者や代表責任者もいれば、私のように能楽師自ら個人で受ける場合もあります。
今回、吉田城薪能の公演は三河三座から私個人に依頼がきましたので、私は私なりの薪能への考え方を反映したいと思い、企画に意見を言わせて頂きました。
“薪能”と聞くと「夏の夜の清々しい屋外で、雅で幽玄な世界の舞と謡」
などと想像されると思います。
確かにそのような好条件での薪能もありますが、それは非常に稀なことで、内幕は、まずほとんどが悪条件の下で能楽師も裏方現場スタッフも舞台を勤め、働いています。
演者は、蒸し暑い中、装束を着附け、出番前に既に大汗をかいています。
優美な篝火の炎の煙は、風向きによっては演者には煙たく謡に支障をきたします。
また舞台照明は虫などを舞台に集め、演者の妨げになることもあります。
また屋外での音声は音響技術を駆使しなくては観客には聞こえません。
吉田城薪能もこのような悪条件が容易に予測できました。
しかしどんなに暑くても、折角ご来場して下さる方々に「来てよかった!」「今度は能楽堂で観てみようかな」と思っていだだきたい、どのようにしたら、観客が満足して下さるか、を考えました。最近は様々なアイデアやプランがありますが、私は次のように考え企画演出しました。
まず第一に出演者の顔ぶれを揃えることにしました。
よい顔ぶれは当然、観客動員数を増やします。豊橋という地で、喜多流という小さな流儀の、しかも私のようなマイナーな個人が請け負う場合、当代の人気者能楽師の出演は力になり効果覿面です。今回は狂言師として、またテレビや映画でもご活躍の野村萬斎氏に狂言を、笛は幅広い音楽活動をしてご自身のバンドのCDも発売されている一噌幸弘氏に出演依頼して、能だけではない観客も取り込んでの公演にしようと思いました。
第二は曲目の選択です。能公演では出演者と同時に、能そのものに満足していただくことが重要で、曲の選択もカギを握っています。物語が判り易く、舞台進行の流れが良い曲が最適と考え、私は『船弁慶』を選びました。
今回、薪能の公演時間は二時間で、能の演能時間は一時間以内という制約がありました。
はじめは『船弁慶』は演能時間が長いので無理かと諦めかけていました。
しかし、一時間以内で、どうにか遜色のない見応えのある『船弁慶』短縮版を公演出来ないものかと思い、新演出を試みました。
はじめて能をご覧になる方、今までに一、二度しかご覧になられたことがない方々には、役者の動きが無い部分は退屈に感じられるだろう、出来る限り動きを中心にした舞台進行のよい流れに重きをおき、演出しようと考えました。
ここでちょっと『船弁慶』の曲について楽屋話をします。
『船弁慶』はシテ方の小書だけでなく、ワキ方や狂言方の小書も付くと長時間に及びます。
過去に霞会(脇方・故松本謙三氏の主催の会)でシテ・故粟谷新太郎で『船弁慶』真之伝・浪間之拍子・船中之語・早装束・舟歌の小書揃いで二時間二十分もかかった記録が残っています。もっともこれは特別で、通常最近の自主公演や例会では、一部を割愛して一時間半ぐらいにして演じています。
一番立ならば二時間を超えての番組も許されますが、三番立ての留(とめ)にあまり長時間の番組構成はバランス的にあまり誉められたことではありません。長時間の『船弁慶』を催す場合は、初番や真ん中の曲目を短めの曲や軽い曲にするという方法をとっています。
話しを薪能に戻しましょう。
では屋外の能、というものはどのように演じたらよいか。
私の経験上、屋外の演能は屋内の能楽堂や劇場とは違います。
屋外は、時折吹く風を感じ空気も清々しく気持ち良いものですが、反面、開放感が強すぎるためか、屋内で感じる演者と観客の密な緊張感は生まれ難いものです。
演じ手が精一杯舞台を勤めても、なんとなく物足りなさ、空振りしたような空虚さを感じることがあります。それは屋外と屋内の違いもありますが、それだけではなく、屋外に対応する能役者の取り組み方にも原因があります。
楽屋内の話しですが、能は屋外と屋内で同じように演じても、残念ながら同じ効果が出ません。そのことを能楽師が把握しておかなくてはいけません。
観客の皆様はさほどその違いがお判りならないかもしれまんが、楽屋裏ではこの微妙な違いを感じ、苦心し工夫をこらして演じている能楽師もいるのです。
もっとも、今のような屋内で屋根が付いた能舞台という奇妙な構造の劇場で演じるようになったのは近年のことで、能発生から江戸期の頃は、屋外中心の活動、興行であった訳ですから、昔の能役者は常に屋外用の演技をしていたことになります。
ですから私の意見は、今の演能ではどのようにしたらよいか、今に拘ってのことです。
私は、初心者向けで、屋外のしかも時間制限がある特殊な条件下の能は、短く判りやすい作品を選び、卓越した技の持ち主が観客にその思いが直に伝わるような設定を心掛けるべきと思います。
今回当日になって、音響映像担当者から一つのアイデアが提案されました。
舞台裏のお城に映像を映そうというのです。潮が巻いたり、波の音をたてたり、白色や赤色、青色の映像です。私は一瞬返事に困り、失礼かと思いましたが、すぐにお断りいたしました。
演劇には映像や音、煙など、いろいろな最新設備や技術を使った新演出があり、それを楽しみにしている方々もおられるかもしれません。それはそれでいいと思います。
しかし私は、能とは、観る者の想像力に委ねるところが最も大事なところだと思っています。観客の想像力を奪って、それをサービスだと考えるのは勘違いです。いくら時間を短くしても観能の基本からは外れたくないと思いました。
私が携わる能は演者たちの演じるエネルギーをより観客に伝わるようにと心掛け、それを最優先にしたい、それを邪魔するものはいらないのです。
粟谷明生に頼むと、最新型の演出は出来ない、奇抜な演出は期待出来ないと評判が立っても構わない。逆に、粟谷明生だから絶対に煙りが出たり不似合いな照明はない、と言われるほうがよいのです。
今回は二時間の演能時間の枠の中に、野村萬斎さんと私の舞台あいさつ、火入れの儀、舞囃子、狂言そして残った時間で能という流れになりました。演者たちは暑さを我慢し、エネルギーを集中して勤めてくれました。私も前シテ・静御前、後シテ平知盛と早代わり、両者の違った個性が引き立つよう懸命に勤めました。
地元の定盛友紀君の子方・義経の登場も新聞に取り上げられるほど興味を引くもので、ご来場の皆様には楽しんでいただけたのではないでしょうか。
時間の制約もありましたが、工夫を施せば短時間でも『船弁慶』を楽しんで頂ける、かえって制約があるからこそ、よい結果を出せたと思っています。
「あっ!もう終わってしまったの!もうちょっと見ていたかった!」と観客を唸らせられればと思っていましたが、後日、ご来場頂きました方から、「能や狂言の世界が身近に感じられた」「退屈するかと思っていましたが、充分楽しめた」というご感想をいただき、実は一番喜んでいるのは私なのかもしれません。
そして、スタッフの方々は舞台作り・会場整理からはじまり、すべてのことを献身的にやってくださいました。心より感謝申し上げます。
能を愛好する民間の人たちが、能の舞台公演に骨を折ってくださる、この様な試みを試行錯誤してやっていけたら、そして、こういうことを通して全国的に能が広がっていけばいいな、それも喜多流の能が広がっていけばよいな、と思いました。
(平成20年8月 記)
写真 撮影 新村 猛
写真1 ご挨拶 粟谷明生
写真2 能『船弁慶』前シテ 粟谷明生
写真3 能『船弁慶』後シテ 粟谷明生
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