平成18年6月30日、能『千寿』や『湯谷』のゆかりの地、磐田市の謡蹟めぐりをして参りました。
コースは磐田駅から千寿禅寺、傾城塚、朝顔の墓、行興寺の湯谷の墓、磐田伝統芸能館
の能舞台、最後は舘山寺九重ホテルまでと、およそタクシーで2時間の旅行となりました。
今回、千寿の墓の場所が判らなく、磐田市観光案内所に尋ねたところ、担当の坪井さんが
ご親切にたくさんの資料やパンフレットを郵送して下さいまして、それが役に立ちました。
ご親切感謝します。
謡蹟めぐりは辺鄙なところが多いため、今回もまたタクシーの貸切で効率良くまわることにしました。磐田駅で女性のタクシー運転手さんと1時間・¥5300で交渉成立。
早速「千寿禅寺、傾城塚、朝顔の墓に行って下さい!」とお願いしたところ、思った通り「あの??? 地図かなんかありますかね??」と少々頼りないお返事。観光案内所から頂いた地図を見せると、すぐに了解されて舘山寺までスムーズに二時間で回ることが出来ました。

吾妻鏡などの文献では「千手」ですが、磐田地方では何時からか「千寿」と呼ぶようになったそうです。喜多流も能『千寿」ですので、ここではすべて千寿と記載させていただきます。

このお寺は以前無人寺でしたが、最近住職ががお住まいになり管理されているようです。生憎ご住職は外出されていたのでお父上の公男様にご許可を頂き、位牌の撮影をさせていただきました。よく見ると新しい位牌であることが判ります。
場所、千手堂637―1

磐田駅から南西へ約3キロメートルの野箱地内に傾城塚(千寿の前の墓)があります。
前には駐車場もありよく整備されています。
頼朝が12人の美女を揃えたという記録に「一番に千寿の前、二番に熊野の娘―――」とあるように、千寿は日本一の美女だったようです。このあたりの住所が白拍子町というのも千寿の影響でしょう。

松尾八王寺神社の近くに小さな祠がありますが、それが「朝顔の墓」です。とてもお寺や神社の敷地内とは思えない畑の真ん中にポツンと墓石があり、立て札に「朝顔の墓」と書いてありました。

小さな墓石です。枯れてはいましたがお花が手向けてあったのには驚きました。
朝顔は湯谷の母からの文を京都の宗盛邸にいる湯谷まで届けます。

藤の季節は人でいっぱいになるほどの藤の名所ですが、私が行ったときは藤は終わっていて、人はなく、静かにお参りすることが出来ました。

これがあるとほっとします。最近立てたものらしくまだ新しいものでした。

次回の『湯谷』演能の成功を祈願し、また朝顔の墓もここに来られればいいのに・・・と祈って合掌。

手前が湯谷の墓、奥は母の墓。いずれも立派な大きな墓です。

見所が屋外ですので、お天気が悪いときのことが気になりますが、舞台は立派なものでした。
右手奥には資料館があり、『熊野』シテ・観世清和氏のビデオが流れていました。