奈良・飛鳥の旅

平成17年4月29日から5月1日まで、奈良大和路の飛鳥を中心に謡蹟めぐりの旅に出かけました。
能の作品は奈良地方を題材にしているものが多く、謡蹟の宝庫です。
飛鳥(明日香)まで足を伸ばすとさすがに時代が古く、なかなか謡蹟はありませんが、今回は謡と無縁な所も写真にてご紹介します。
まずコースからご案内します。

■初日のコース■
★奈良駅より法隆寺・中宮寺~龍田神社

JR法隆寺駅を下車、駅前より小型バスにて法隆寺門まで7,8分。法隆寺境内は広いので空身で参拝したく、門前で一時荷物預りを捜しましたが、残念ながらありませんでした。昼食をとったお店にお願いして荷物を置かしていただき助かりました。境内は撮影禁止が多くここでご紹介できませんが、南大門、五重塔、金堂を廻りました。やはりこの日の目的の第一は大宝蔵院です。玉虫厨子などが有名ですが、なんといっても「百済観音」です。あの長身でしなやかな身体のラインは魅力的でおもわず触りたくなります。

西院伽藍から東院伽藍に移動しますと、夢殿があります。能『夢殿』は故喜多実先生のお作りになられた新作能であり、以前、現喜多六平太宗家が実物の夢殿を背景に舞われたことがあります。今回はちょうど、秘仏「救世観音像」が見られる幸運な時期でした。夢殿の奥に中宮寺があり、本尊「如意輪観世音菩薩半跏思惟像」は神秘的なほほ笑みをたたえていて、これも私のお気に入りの仏像です。
法隆寺の近くに『龍田』ゆかりの龍田神社があります。聖徳太子が宮を造る地をさがしているときに斑鳩の地を御告げになったのがこの明神と言われています。またここは坂戸座申楽の発祥の地でもあります。   

■二日目のコース■
★在原神社~結崎の面塚~補厳寺~石舞台~昼食~酒舟石~飛鳥寺~橘寺~長谷寺(湯本、井谷屋宿泊)

二日目は貸切りタクシーにて、マニアックな謡蹟めぐりから始まりました。
まず『井筒』ゆかりの在原神社です。「西名阪国道バイパス開通のため、その場所を少し移動させられた」と神社の広場にてゲートボールを楽しむ地元の爺様婆様達が教えてくれました。
次に結崎座(観世流)発祥の地と面塚に向かいました。場所は川西町の寺川の横に結崎公園として綺麗に整地され、観世流の意気込みが感じられます。次に田原本町味間の世阿弥夫妻が出家した補厳寺(ほがんじ)を訪れ、石碑を見るだけとなりましたが、貴重な資料が門のところに置いてありましたので頂いてきました。
(読みたい方は添付ファイルからご覧下さい)

補巌寺をあとに、飛鳥の石舞台に向かいました。昼食を済ませ酒舟石を見学、飛鳥寺に着くと、丁度飛鳥時代の蹴鞠の再現をしていました。服装やルールなど面白く見られましたが、蹴鞠の技術はまだまだ未熟で、保存会の方々も「練習不足やー」と照れておられました。時間に余裕があったので橘寺にもまわり、いよいよ初瀬の長谷寺に向かうときに飛鳥川を見るのを失念していたことに気づき、運転手さんにお願いしましたが、時間がギリギリですからとの返答で諦めました。

長谷寺は今回で3回目ですが、お気に入りのお寺の一つです。丁度牡丹まつりで満開の牡丹を堪能できました。そのため大混雑で急に疲れてしまいましたが・・・。下山途中の東道に『玉葛』の「二本の杉」があり、私以外の参加者全員で『玉葛』の一節を、人が来ないかびくびくしながらも無事謡い終えました。直ぐ隣には定家と俊成の墓もあり合掌して参りました。

■三日目のコース■
★長谷寺~奈良国立博物館(館内にて昼食)~白毫寺~新薬師寺~海竜王寺~不退寺~東大寺戒壇院~奈良

朝早く目が覚めてしまい、尾上の鐘や真言宗の読経が聞きたくなって、ひとり急いで長谷寺に登ることにしました。五時半はさすがに人が少なく、鐘の音や読経が聞けて気持ちの良い一日の始まりとなりました。本堂前にてお経を聞いていると、二名の参加者も早く起きたからとお参りにやってきました。
その後、全員宿を出て、近鉄奈良駅に移動し、奈良国立博物館の常設展「仏教の美術の名品」を拝観しました。またも運良く唐招提寺の「木心乾漆薬師如来立像」が特別出陳されていました。お昼に昨日のタクシーにまたお願いして「白毫寺」に登り、閻魔様にご挨拶して、「新薬師寺」に行きました。

ここの十二神将は有名でみな国宝ですが、一体のみ昭和の作であるため、それだけが国宝ではないのだとか。十二神将は十二支それぞれの守り神です。では昭和の作は何年でしょうか?

答えは 辰です。

海竜王寺を拝観し不退寺に伺うと、住職さんが親切丁寧に説明して下さいました。その説明の一部をご紹介します。
「不退寺は業平寺とも呼ばれ、在原業平が住まわれたところです。どうぞどんどん前へ出られて構いません。見て下さい。丁度業平画像がございます。ゆっくりもっと近くで見て下さい。えー男でしょ、56歳ですわ。本堂は右に春日大明神、中央に聖観世音菩薩立像、左に阿保親王座像と神仏混合ですわ。奈良ではそうめずらしいことではないのですわ」
「一つお聞きしていいですか?釈迦涅槃の時に何かがいなかったですね? なにでしたっけ?」
「猫ですわ。理由? いろいろありますが、絵師が中国人で中国に猫がいなかったとか……、ほな涅槃図説明しましょう!(中略)で……お母様の摩耶夫人が天からお釈迦さまにお薬を投げられたんですわ。でも沙羅双樹にひっかかってしもうて……それでお薬出すこと投薬いいますねん」
参加者皆「へぇ………………」
そして最後は東大寺戒壇院の四天王をお参りして旅は終わりました。

私は今年、50歳になります。いつかはじめてみようと思っていた朱印帖。
初めのページが法隆寺というのもいいかな……と今回決断しました。
「年寄り臭い、お金がかかる」と言われそうですが、最近ついこの間のことなのに、どこへ誰と行ったか、思い出せないことが多くなりました。まずい、危険信号です。自分の軌跡確認のためにも写真探訪をまとめていますが、そこに朱印帖も仲間入りさせては……ということです。

奈良のお寺の朱印は¥300,拝観料は¥300が普通です。
ところが最近東大寺や白毫寺は値上げして¥500です。それでも京都に比べたら、まだいいのですが、お寺参り、仏像鑑賞となると意外に物入りです。気づくのが少し遅いのかもしれません。 

では写真でご紹介いたします。
一部写真でご案内出来ないところもありますが、ご覧下さい。

南大門
法隆寺で撮影が出来たのは、ここだけでした。
龍田神社
法隆寺から車で2,3分。能『龍田』の舞台ですが、誰もいない寂しい神社でした。
金剛流発祥の地の石碑
龍田神社前の古道は奈良街道と呼ばれ、市(いち)が栄えていました。その市を拠点に活躍した坂戸座申楽が現在の金剛流です。
綺麗に整備された龍田川
『龍田』は紅葉の名所の龍田川を渡ろうとする旅僧に巫女、実は龍田姫が渡るなと制しますが、どこあたりか気になります。
三室山
「神南の三室の岸や崩るらん」と謡われる、正面の小さいお山が三室山です。
謡曲史跡保存会の看板
神社の石碑には表に在原寺、裏には在原神社と書かれていました。場所は桜井線の櫟本駅(いちのもとえき)下車、徒歩10分。
『井筒』の井戸
西名阪道路側よりの撮影です。
井筒板井
大きな木蓋が置かれていましたが、ゲートボールをしていた地元の大先輩の方々が親切に開けてくれました。
「業平の~面影」のポーズ
井戸には水があり、少し汚いですが、ちゃんとお顔が写るのです。
そこで はい!ポーズ! 「見れば懐かしや」・・・。
一叢薄
「一叢薄の穂に出づるは」と『井筒』の初同に謡われている一叢薄が実際にありました。
面塚
寺川沿いに面塚公園が出来ており、隣接して面塚がありました。その奥には観世発祥の地の大きな石碑があり、廻りを囲む石の柵に観世流の方々の名前が刻まれています。正面入り口の右に東京・観世元正、左には観世銕之亟と、沢山の方のお名前があり、この石碑がご寄付から出来たものと直ぐに解ります。
補巌寺の世阿弥参学の碑
世阿弥夫妻はここで出家し禅を学び、至翁禅門、寿椿禅尼と呼ばれ供養されました。
三輪山
石舞台に向かう途中にジャンボタクシーから撮影しました。左下に小さく、実際は巨大な鳥居がみえます。
石舞台古墳
「石舞台というから誰が、何を踊っていたのかなあ…」と呟いたら、「あら、やだ! 蘇我馬子の墓ですよ…」と恥をかいてしまいました。
しかしパンフレットには、実際は誰の墓か確定しておらず、名称も此の石の上に上って、踊っていた人がいたため石舞台と呼ばれている、と記載されていました。裏に廻ると地下に潜れてその大きさを体感することができます。
飛鳥寺大仏
日本最古の大仏ですが、撮影自由です。思いっきり近づき撮影しましたが、これ以上近寄ると何か祟りがありそうに思えてきて、ここの位置でパチリ!
飛鳥時代の蹴鞠
保存会の方、大汗かいて健闘されていましたが、なにぶんもうちょっと蹴り上げている時間が続くといいのですが……。はっきり言って稽古不足!ですね。
橘寺の塔址心礎
五重塔の心柱を支える心礎です。土門拳の作品にこの写真があり、真似して撮影したのですが、写真を見てこうも違うのかとガッカリです。当たり前ですが、負けず嫌いの私、カメラのせいにしています。
二本の杉への看板
玉葛が母夕顔の侍女右近に再会した二本の杉、石段の第一段の途中、宗宝蔵の近くにこの看板があります。右折するとお墓に行けますが、まずここを右折する人はいないでしょう。長谷寺本堂までの長い石段はまだまだ序の口で、これから第二段、第三段と続きます。でも今回は牡丹が最盛期でした。
長谷寺本堂前にて記念撮影
半跏思惟の構えの筆者を囲んで今回の参加者一同。撮影者は写らない伊奈山氏です
二本の杉
「謡蹟めぐり・青木実著」では朱塗りの拝殿が撮影されていましたが、現存していませんでした。拝殿がないとなんだか異様な景色に見えるのですが……、私だけかな………。
保存会の立て看板
「こんなにお世話になっているから、いつか保存会に寄付なさったほうがいいじゃないですか!」と周りから執拗にいわれています。
立ち連吟『玉葛』
謡い出したら、あたりのことなど気にならないのでしょうか……。
大きな声で揃って上手に謡えました。ホッ!
定家(中央)と俊成(右)の墓
藤原定家はここの鐘楼を「尾上の鐘」と詠んだためにここに眠られているのでしょうか?もう少し立派でもいいのにと思いました。
古河野辺(ふるかわのべ)
『玉葛』に「古河野辺に君を見ましやと…」とあります。この下を初瀬川が流れ、能ではここまで小舟で上るように謡いますが、実際舟では椿市までしか上れないのです。こういうところがお能の世界のいい加減でありながら、よいところではないしょうか?
旅館井谷屋さん
二日目の宿は温泉旅館です。本日の疲れを千人風呂の温泉で癒します
長谷寺の尾上の鐘
前日見落とした「尾上の鐘」。しかしどこを見渡しても見つかりません。
ふと上を見上げるとありました。
天井裏にある尾上の鐘
朝6時と昼12時の二回だけしか打ちませんので、丁度聞けたのはラッキーです。
鐘楼遠景
絵馬堂横から見ると鐘の位置がはっきり確認出来ます。
不退寺
在原業平が住まわれたお寺です。お若い住職様はお話上手です。質問には丁寧にお答え頂き感謝しています。
以上で終わります。ご高覧有り難うございました。