謡蹟めぐり 大阪近郊

16年3月15日、住吉大社、浅澤神社、遠里小野(おりおの)、仁徳天皇陵、道明寺のコースで謡蹟巡りをしました。

津の国住吉の里は、昔住之江、墨江などと呼ばれ、能『高砂』の待謡「はや住の江に着きにけり」にある通り、難波の入り江は住吉大社近くまで迫り、大社前には燈篭がいくつもありました。今は埋め立てがすすみ住吉大社前は大きな住吉公園となって昔の面影はありません。

住吉大社近くの道場館の人に、浅澤神社や遠里小野への道を教えてもらい、昔を偲ぶ風情でもと、遠里小野らしい写真欲しさに、少し期待しながら熊野街道を歩きました。電車で4駅分もの長距離を歩いても、それらしき景色はなく、あきらめて堺市と住吉市を渡す「遠里小野橋」から路面電車に乗り住吉大社まで引き返しました。

昼食後、仁徳天皇陵へ向かいました。月曜日のため博物館、日本庭園は休館とは知りながらも、やはり近くまで来ると拝観出来ないのが心残りでした。

百舌駅から天王寺駅まで戻り、道明寺へ向かいました。道明寺は道明寺天満宮と寺と二つに分かれていますので、お寺から先に参りました。看板にご本尊十一面観音の記載があり、喜んで本堂に行くと拝観は18,29日のみとあり落胆しました。それでも絵はがきを買いお話を伺ううちに、自分が能楽師であると明かし、能『道明寺』のなかで謡われている木ゲン樹のことなどに話が及んでくると、「特別に拝観させてあげましょう」との尼僧のお言葉。大喜びして拝見いたしました。御堂で、尼僧が道明寺の歴史などいろいろ説明して下さり、実りある一日となりました。

天満宮はお寺の隣にあり、敷地は広く桜も咲き始めていました。本殿の前には能舞台が有り、5月には天神能が催されるようです。梅園は花の時期を過ぎていましたが、シーズン中はなかなかの混みようだろうと推察出来ました。

今回の旅では奈良や京都に比べ、謡蹟保存会の立て札も無く、昔を偲ぶ旅にはなりませんでしたが、楽しい一日を過ごすことができました。

住吉高燈篭は今は住吉公園近くの交差点にあります
急坂な太鼓橋の上より住吉大社。
昔は西の海に面し前には広大な松原があったようです。
『高砂』は「岸の姫松幾世経ぬらん」「松影もうつるなる」などこの地の松に縁があります。
他に『岩船』『住吉詣』にもゆかりの地です。
四社ある本殿は住吉三神と神功皇后が合祀されています。
『雨月』の西行法師もここに参詣しています。
浅澤神社は杜若苑ともいい、空濠には杜若が植えてある小さな社です。
『富士太鼓』『梅枝』の富士の妻とその子供を祀っているといわれています。
遠里小野にある街道石碑。家が建て込んで、能『雨月』の村雨の風情を感じるところではないと思いました。
今も街道は狭い。
遠里小野(おりおの)は能『雨月』では(とおざとおの)と謡います。
住吉大社に戻る車中。
路面電車
仁徳天皇陵
道明寺
小さくても品のある山門。
境内は静かで広い。
道明寺の解説。
十一面観音が安置されている本堂。
杏子と山門。
能『道明寺』のワキの夢枕に出た「モクゲン樹」。この木の「木の実」で数珠を作ります。夢はこの数珠で念仏百万遍を修業すると往生できるというもの。
道明寺天満宮
『老松』にも謡われる「さざれ石」。
「さざれ石」はいくつもの小石が集まり出来たものです。
橋掛りのない能舞台でした。
「白太夫が小忌の袖より取るや笏拍子…」の白太夫社。能『道明寺』の後シテは白太夫の神です。楽を奏し木の実を振るい落としたと見ると、僧の夢は覚めました。

本殿後ろに梅園があり、梅の香が匂う時期にまた来たいと思いました。