『杜若』を勤めて
メインは杜若の花の精
初夏の水辺に美しく咲く杜若。本格的な夏の暑さの前の涼しげで凛とした姿に目を楽しませる人も多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人ですが、そう感じるのは大人いや高齢者の証なのかもしれないと微妙な心境でもあります。
その杜若の精をシテにした能『杜若』を6月の喜多流自主公演(2022年6月26日)で勤めました。『杜若』にはちょうどよい季節の演能のはずでしたが、当日は猛暑、異例の早い梅雨明け宣言が出るほどで、初夏の情緒とは程遠い状況でした。それでもこの時期に、『杜若』を勤めることができたことを喜んでいます。
私の『杜若』初演は昭和62年6月27日の「妙花の会」で、ちょうど35年前でした。当時の動画を見ると、笛・一噌仙幸先生、小鼓・鵜澤速雄先生、太鼓・観世元信先生がいらっしゃり歴史を感じますが、皆様あちらに行かれてしまい、今は大鼓の佃良勝先生お一人になってしまいました。残念至極です。
2回目は初演の7年後、平成6年7月30日「青森薪能」(外ヶ浜)にて、そして3回目はそれからかなり時が経ち21年後、平成27年8月30日「唐松まほろば能」(秋田県大仙市)と、両方とも小書「働キ」で、曲(クセ)などを省略する特別演出で勤めました。
今回はそれから7年後で4回目。久しぶりに小書無し、省略無しで勤めました。
まずは『杜若』の簡単なあらすじをご紹介します。
諸国一見の僧(ワキ)が都から東国へ旅を重ねて三河(愛知県)に着くと、沢辺に杜若が美しく咲いています。見とれていると里女(シテ・杜若の精)が現れ、昔ここで在原業平が「かきつばた」の五文字を各句の頭に置いて、
「唐衣 着つつ馴れにし 妻しあれば 遥々来ぬる 旅をしぞ思ふ」
と歌に詠んだ故事を教え、僧を自分の庵に案内します。(物着)
女は冠(業平の五節舞のときの冠)と唐衣(二条后・高子の御衣)を着て僧の前に現れ、自分は杜若の精であり、業平は歌舞の菩薩の化現であるので、その詠歌の功徳により非情の草木も成仏したと教え、僧に舞を見せながら消えてゆきます。
ご覧になる方は、まず、脳裡に紫色のスクリーンを張り、尾形光琳の絵のような美しい杜若を思い描いて、あるときは花の精、あるときは・・・、花の精→業平→高子→歌舞の菩薩と、万華鏡を回すように見ていただく感覚ではないでしょうか。かといって、どの部分が業平で、高子でという、はっきりした区別はなく、それは見ていただく方のご想像にお任せして、その変化をご自由に楽しんでいただければ良い、と思います。
私自身は演じていて、『杜若』という能は、やはり花の精がメインだと今回勤めて感じました。
前半は「伊勢物語」の九段「東下り」の中でも、三河の八つ橋に着いたときのこと、杜若が美しく咲いている光景を見て、「かきつばた」の歌を詠じた話です。いろいろな恋の物語がある「伊勢物語」の中からこの箇所の杜若に着目し、能の題名も杜若、シテも杜若の精にするあたり、作者・世阿弥の才を感じさせられます。杜若の美しい情景に心を寄せながら、業平と高子の恋の香も少し混ぜ、全体に「伊勢物語」の雰囲気を立ち昇らせているのは世阿弥の若いときの感性という気がします。
後シテの姿は前回同様、初冠に「日陰の糸」を垂らし、杜若の花を挿頭しました。まさに花の精を象徴する形です。「日陰の糸」はおしゃれで華やかさが増しますが、喜多流では使用しません。他流では珍しいものではありませんので、喜多流にはなくとも「能にはある」という友枝昭世師のお言葉をお借りして、私も「能にはある!」を信条として拝借して付けて勤めました。
「伊勢物語」を本説にした能は、『井筒』、『雲林院』、『隅田川』などありますが、どれも「物語」があり単純ではありません。それに対して、『杜若』は深刻な恋の悩みやメッセージがあるわけではなく、絵画のようで、他のものとは趣が違います。
観世流の梅若桜雪(六郎)氏は「これはただ単に観て何かを感じていただく、それが杜若の精であってもいいし、業平の姿を重ねてもいい、理屈抜きで何かを感じとってもらう作品」と、書かれています。亡父・菊生も「あまり深刻にならず、綺麗に気品をもって、そしてところどころに女性の優しさを盛り込めるといい」と言っていまして、私もまさにその通りと思っています。
今回、お相手いただきましたワキ(旅僧)の福王和幸氏は、坦々と軽い感じで謡ってくださいまして、とても演りやすく感謝しています。このワキは特別に偉い僧でもなく、花好きで、美しい杜若を愛で、そこに現れた女性に軽く問答をする役どころです。若者が『杜若』を手がけると、どうしても慎重に演じる意識が強くなり鈍重で堅くなってしまいます。しかし、この軽みがこの能には必須で、軽くさらり演じるところに、この曲の本線があるように思います。
この能は世阿弥作(一説)とされていますが、舞台上で物着をする構成で、やや古い作品ではないでしょうか。世阿弥が複式夢幻能を完成させる前の段階の作品ではないかと感じます。
複式夢幻能では前場と後場の2部形式で、舞台上で装束を替えることを避けました。
『杜若』の場合は舞台上で長絹を着て初冠を付け、太刀をはき、と後見は懸命に短時間の着付けを目指しますが、ご覧になる方には、着替える時間が長いと感じられる方もおられるようです。そのストレスを解消するために、中入りしてゆっくりと装束替えをする複式が生まれたのではないでしょうか。
そして最後、「御法を得てこそ帰りけれ」で終曲しますが、演じ終えて、自分はどこに帰っていくのだろう?と、正直、心もとなくなりました。
僧の夢の中に帰るのでもなく、死者としてあちらの世界に帰るでもなく・・・。シテは杜若の花の精で、現実の女でもなく、死者の化身(霊)でもなくというのも、何か説得力がなく、整理されていないような、未完成な印象を受けます。
ここからいろいろ改善を試み、複式夢幻能という形が確立されていったのでは・・・、そんなことは深く考える必要はない、と先人にお叱りをうけそうですが、気になった自分がおかしくてたまりません。
今回は初回以来久しぶりにクセを舞いました。2回目、3回目は演能時間のこともあり、序からクセまでを省略し序の舞に工夫をこらす演出にして演出効果をあげましたが、序からクセには「伊勢物語」はどのようなものかを語る美しい詞章が連なり、クセの舞は長い二段曲(にだんぐせ)で型も多く、非常に遣り甲斐があり面白い見所でもあります。今回、ここを省略無しで正式に勤めたことで、作者の本来の思いを身体で感じ取ることが出来ました。
クセの舞は謡と型がきれいに合っていないと失格です。遅れたり早すぎては駄目で、演者が謡のスピードに合わせてしっかり型をはめていかなければなりません。この意味で、若い能楽師にとって『杜若』は課題曲にもなっているのでしょう。しかし、齢を重ねた今、単に謡と合わせるという基本的な運動能力にとどまらず、何かを加わえて世阿弥の意図を引き出す、それが役者の魂、役者の華、というエネルギーの発散によって表現されなくてはならない、と偉そうに勝手に思っています。
クセの舞の中、「秋風吹くと」のところで、亡父・菊生が好んだ替之型で勤めました。蛍が飛んでいるのを見廻しながら「秋風吹くと」で扇を左肩へうけ、遠くの空を見るような所作です。これは「伊勢物語」四十五段、男を思いながらも病んで亡くなった女を悼む歌から「飛ぶ蛍の 雲の上まで行くべくは 秋風吹くと・・・」と謡われるところです。父が好きだった『杜若』。父のかわいらしい所作を思い出しながら真似てみました。
今回の面は、最近愛用している「小面」を使いました。父は堰(せき)の銘が入った小面を愛用し、「違う小面を使うと、浮気しちゃ嫌よ、と言われそうで、いつもこれを使っています」と、宮中の美智子皇后様にもお話したのは有名ですが、私も同じようになってきたのかな? というわけで、特に銘は入っていないこの小面が気にいっています。
今年は3月に粟谷能の会にて粟谷菊生十七回忌追善能を催しましたが、演能のたびに、父の姿がまぶたに浮かび、今も私の中に生きているのだと感じさせられます。父の能を思う猛暑の夏となりました。
写真提供 シテ粟谷明生 撮影 新宮夕海
モノクロ写真 シテ粟谷菊生 撮影 あびこ喜久三
三役
ワキ 福王和幸
笛 栗林祐輔
小鼓 観世新九郎
大鼓 大倉慶乃助
太鼓 金春惣右衛門
(2022年7月 記)