『谷行』素袍を勤めて
令和2年1月25日 「大槻能楽堂リニューアル記念日賀寿能」にて、仕舞『谷行』を「素袍」の小書にて勤めました。
昨年9月7日の能楽座公演での仕舞『熊坂』小書「長裃」に引き続き、今回の仕舞とで、喜多流にしかない珍しい仕舞小書の二曲を勤められたことは、とても良い勉強となりました。
今回の大槻能楽堂リニューアル公演の晴れの舞台にて、大槻文蔵先生より『熊坂』「長裃」か『谷行』「素袍」のどちらかで、とのご依頼を受け、「長裃」は父が前回の改修工事記念公演にて勤めたので、親子で同じものも記念になるかと思いましたが、まだ勤めた事のない『谷行』素袍の方が勉強になると思い、演らせていただきました。
長裃や素袍はとても動きにくい扮装です。
何故、動きにくい環境で、動きの速い仕舞を舞わなければいけないのか?
何故、それが喜多流にだけにあるのでしょうか?
先人からの話では、室町時代よりある四座(現在の観世、宝生、金春、金剛)より後に出て来た喜多大夫への、江戸期の将軍や殿様からの技芸の採点であり、からかい半分の嫌がらせでもあったのではないか、と聞いていますが、確かではありません。
当然、指名された大夫は、不自由な状態でも、恙無く舞わなければいけません。
そこで常とは違う型を駆使して勤めたものと考えられます。
さて、『谷行』素袍の型ですが、通常の型と少し違います。
素袍は当然、侍烏帽子を被ります。素袍の長い袴を引きずり、両袖が長く大きな袂はとても舞いづらいものです。
そこで、本来の両足や片足飛びの型をせず、足払いの型に替えたり、飛ばずに裾払いでこなし、しかしあまりに消極的に見えてはいけないので、そこを大胆に粗相なく舞う事を、第一とします。
ではこの小書を私はどのように伝承しているのかを、ご紹介します。
亡くなりました伯父の新太郎が勤めることになり、喜多実宗家に習いに行くと、「自分は知らないので兄の後藤(得三)のところに行ってくれ」、と言われたそうです。
新太郎は後藤先生に直伝を受け、その教えが菊生から能夫へと伝わり、そしてこの度、私が披かせていただく事となりました。
この小書で舞う時の地謡は、舞い手が素袍を着ているからといって、丁寧にゆっくり謡うのは良くありません。やや速く謡う心持ちの方が良いようです。動きにくいだろうと思いゆっくり謡うと、妙な鈍重感が生まれ、キリッとした鬼神の俊敏性が見えずよくないのです。少し速めに謡われる中で、両袖と裾のさばきを巧みに見せるところが、演者の心得だと思っています。
もう舞うことは無いでしょうが、これから舞う人へのメッセージと思い、ここに書き記しておきます。
このような晴れの舞台で『谷行』の「素袍」を勤めさせていただきました大槻文蔵先生に心よりお礼を申し上げます。
(『谷行』素袍 写真 シテ 粟谷明生 撮影 森口ミツル)